プチホテルゆばらリゾート
露天風呂番付- 湯原温泉の歴史- 温泉情報の開示- 温泉分析表- 温泉指南- 年間イベント- 交通アクセス- 県境道路ライブ- 編集長の部屋- ライブカメラ
湯原の天気- BLOG- 交通アクセス- 各種検索- Google地図- yahoo地図- マピオン地図- 翻訳- 辞書- Net626-News(携帯共通)- YouTube626- English Here

旅行業界・四方山話


<約10年間書き続けてきた業界紙のコラムも2009年の1月号で終了しました。通算101号>

                 2009年  1月号

100: ストップ温暖化「一村一品」大作戦
      全国大会に出場します。
 来年、二月に開催される ストップ温暖化「一村一品」大作戦の全国大会に私たち湯原温泉の旅館組合が県代表として出場する事になった。それに伴い申請書を書いているのだが文字数に制限があり苦労している。とかく私の考える事は「風が吹いたら桶屋が儲かる」式なものだから話が長くなってしまうのだ。コンテストなのでどうせなら良い成績を取りたい。アピールする言葉と話の筋をとっかえひっかえしながら文字数を数えている。うちのCO2削減事業の内容は、使用済み天ぷら油をディーゼル車の燃料に使うEDF(エコ・ディーゼル燃料)なのだが元々の発想が環境保全からスタートしているし、さらに遡れば温泉への拘りからだったのでそのどれに重点を置いて説明するかでインパクトが変わってくる。旅館や温泉関係者なら温泉だろうし、一般の人向けなら同じ環境問題でも「目の前の川を綺麗にしましょう。」の方がCO2削減より受けが良い。しかし今回は真正面からCO2削減がテーマだ。似た様なBDF事業は、日本各地で行っているから、如何に独自性を打ち出すかが勝負所となる。そこで合わせ技で行こうという事になった。以下がその概要だ。  湯原温泉は、露天風呂番付で西の横綱として名高く温泉指南役など温泉に拘った事業を行っているが、はんざき(大山椒魚)や河鹿蛙の生息地でもあり温泉もそれら自然の一部であることから、平成17年、廃食油を燃料として旅館送迎車に利用する事業をスタート。環境がキーワードである事からこの燃料を「EDF(エコディーゼル燃料)」と呼んでいる。当初は、油の回収が思う様に進まず、また燃料を使う旅館側も不安を持っていたが、英国製リムジン(通称:ロンドンタクシー)を使った試験運転を繰り返すことで地元での認識・信頼も高まり町内28カ所のゴミステーションに回収容器を設置して回収・利活用共に地域全体での活動に発展した。ロンドンタクシーは、湯原の自然や特異な温泉環境を紹介するエコツアーや小学校等の環境学習にも活用し、地元や観光客の方々に愛され事業のシンボルとなっている。また市の行う「バイオマスタウン真庭」の一翼を担う事業ともなっている。  とまぁ〜こんな感じ。後は、大会当日の事例発表の4分間にどのようにアピールするかに掛かっている。うちの組合のメンバーは、こういう話になるとノリが良すぎるほど良い。「服装はどうするか?」「ノボリも用意しよう。」とか「そもそも誰と誰が行くのか?」とか話が盛り上がっている。「これでスカだったら大笑いだな、ガハハハ」。とにもかくにも温泉町の仲間は、お祭りごとが大好きなのだ。一月にはネット上でこの一村一品の人気投票が行われます。読者の皆さんの応援もよろしくお願いいたします。


                 2008年  12月号

99:健康と温泉フォーラムin三朝温泉  久しぶりにフォーラムに参加した。湯原温泉では近年、温泉学会、ゼロエミッションフォーラムや全国現代湯治サミット等の開催地となり自らが主催者の一員として参加してきたが他の町のこのような催しに参加したのは数年ぶりだ。今回のテーマは「温泉と医療、地域との連携」で全国各温泉地の医療関係者も数多く参加されていた。三朝温泉には岡山医科大学の分院が昭和一四年に作られており温泉(ラジューム・ラドン泉)を活用した医療の研究が行われると同時に地域医療にも貢献してきた。数年前から全国各地の温泉地の医大付属病院が閉鎖される中で唯一残った病院となっているのだそうだ。三朝温泉と言えば今から三〇年前に、当時、湯原温泉の方向性を探る中で「保養・療養型」のモデルとして三朝を勉強させていただいた事があった。三朝温泉には当時珍しかったクアハウスが民間のホテルにあり国民宿舎にも浴場の一部に歩行浴等の設備が整えられていた。また小型旅館の中には湯治を主体とする営業形態のところもあって湯治プランがパンフレットでも紹介されていた。三朝の奥深さに驚嘆すると同時に湯原温泉もいつか三朝の様な温泉町にしたいと自らに誓いその思いを仲間に伝えたのを思い出させた。河川の公園にも健康づくりの為の歩行コース(足裏マッサージが出来る様にこぶし大の石をでこぼこに敷き詰めたもの)があり行政とも連携した健康づくりの出来る温泉町の先駆的温泉町という憬れにも似た想いで三朝温泉を見続けてきた。その三朝温泉で改めて行われた「健康と温泉フォーラム」にはどのような意味があるのだろうか。すでに療養型の温泉地としては有る意味完成された温泉町というイメージを私的には持ち続けていたので「今更、何故?」と言う思いがあり非常に興味があった。その地で何故「健康と温泉フォーラム」なのか。  三〇年の時は長い。日々の通常の観光客やインバウンドの受け入れに力を入れる中で古くから行われていた「健康づくりの温泉町というイメージが希薄になっていたのではないか」と私なりに推察する。確かに医療機関との連携や湯治主体の営業は低単価にせざるえない傾向があり大型観光客を受け入れてそれを主体としている営業形態の施設において急激な方向転換は困難である。またこれは湯原温泉でも同様であり経営的な問題を解決しながら行なう事となる。当然のことながらこの路線だけではやっていけない施設も出てくる。フォーラムではその問題について興味深い提案もなされた。湯街全体のイメージづくりの観点からは、たとえば全部の施設で5%の客室を滞在向けに確保し組合等で販売する等の工夫を行う。泊食分離と食事提供の工夫。滞在中に楽しめるコンテンツと賑わいの創出(コンテンツの集中化)。また町全体での取り組みとして方向性を示す意志決定部門、情報発信部門、ブランド化部門(商標登録)などの作業部会を作って町づくり事業全体のスピードアップを図る等々。多くの事が提言された。やはり三朝温泉は奥深い。多くの事を勉強させていただいた三朝温泉でのフォーラムだった。


                 2008年  11月号

98:観光立県と地域意識
岡山県でも遅ればせながら国の観光立国に呼応した動きが6月あたりから始まり策定委員会なるものも編成された。全国でも一番遅い策定委員会の立ち上げではないだろうか。メンバーは、JTB、じゃらんのエージェント関係者にJR及び大学関係者、それに市町村会の代表というメンバーであった。現場の判るメンバーは一人も入ってない。そこで検討され発表された骨子は、そのままどこの県に持って行っても使えるような内容で説明会に出席した旅館関係者からはブーイングの嵐となった。その後、各地域で観光関係者の意見を聞く会をもったが大筋は変わらず「もうどうでも良いから好きにして頂戴」と半分諦めにも似た気持ちを持って会場を後にした。9月の末になり具体的な観光事業の提案を募集するという話が出たが広域連携が前提となっておおり結果的にいつも通りのぼやけた事業しかできないのではないかと思えて仕方がない。杞憂に終われば良いのだが。行政の観光事業もいろいろな絡みで県→県観光連盟→振興局単位の県民局と広域観光連盟→市町村の観光課→各地域観光協会や旅館組合とつながり事業を行うのだが大小の行政間の思惑が違ったり、途中の課程を飛ばして直接地域の観光協会に提案があったりと複雑な事になる。さらに市のレベルでも市の観光連盟と行政では若干の相違があり連携に苦慮する。困るのはいつも地元であり現場と云うことになる。観光協会や旅館組合はそれらの若干の相違を煙に巻きながら調整し少しでも地元に利益が上がるように努力しているのだ。お金だけで観光振興は出来る物ではない。しかしお金がなければやりたいことも出来ないというのが現実だ。だからお金は欲しい。しかしお金を貰うことで本当にやってみたい事からスポンサーの意向でずれてしまう事が多い。結果的に貰ったお金は無駄金になり、本来やりたい事以外のいろいろなスポンサーからの注文に振り回されて疲れ果ててしまう。そして次への意欲も次第に薄れていく。旅館という地域に根ざした家業に就き観光こそが地域振興と信じ地域の名を売る為ならば商売敵も仲間として団結している温泉地。地元の良いところに磨きを掛けイベントや地域を良くする事に知恵と汗を出し費用の掛かる事には血も出し頑張っている。その様な地域に少しでも日の当たる仕組みを作って欲しい物だ。観光立国だろうが観光立県だろうが関係ない。利用できる物は、何でも利用すべきというのが常識だろうが所詮部外者である行政や生半可な専門家と名乗る輩の意見がリードする様な補助金なら当てにしない。そんな強気な事を言ってみたい物だ。今は、狐と狸の騙し合い本音と建て前を使い分け少しでも自分達のやりたい事が実現できる様に回り道で無駄なエネルギーを費やすと判りきっている事でも突き進むしか無いのかも知れない。こびる事無く信じる事を好きなだけやってみたいものだ。さて次年度の予算請求の締め切りも近い。さて今年はどんな作戦で行くべきか。紅葉の美しい季節の中で腹黒くも陰謀じみた予算書を書き上げなければならない。


                 2008年  10月号

97:趣味は何ですか?
 今年は、秋の来るのが早かった。慌ただしい夏祭り(八月八日)が終わり、ふと気がつくとコオロギが鳴き始めていた。お盆には朝晩がすっかり涼しくなり早朝に寒くて目を覚ました事もあった。十八年前に発症したCIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)という病気の為、多汗症となった今、夏は一番嫌いな季節だ。ちょっと身体を動かしただけで胸あたりから上の部分からだけハンカチでは拭ききれないほどの汗が噴き出す。(不思議なことに下半身は汗をかかない)秋の来るのを毎年待ちこがれるのだが今年は、早すぎる気がする。エコツアーでご案内する場所に大きな栃があり落ちたその実を持ち帰り植木鉢で育てているのだがこれが現在のところ唯一の趣味となっている。基本的には今でもメカニックな物が好きなのだが手が不自由になってからは自分で弄くれない。ただ見るだけではメカは面白みも無く興味も薄れがちなのだ。習慣でいろいろ調べたりはするが趣味とはもう言えない。その点、植物は多少不器用でも何とかなる。秋一番に実をつける栃の実やドングリを拾って植木鉢で芽吹かせ大きくなったら山に戻してやろうと思っている。普通なら盆栽に走るのかもしれないが、どうもそれとも違う奇妙な趣味となっている。  かつて五体満足だった頃、けっこういろんな事を趣味にしていた。スポーツマンとは言えないまでも凝った自転車でのサイクリングとか下手ながらもスキーはそれなりに好きだった。アマチュア無線も真空管式の無線機を松ヤニの匂いのする半田で作るのが好きだった。今でも簡単な回路図なら書けるが作るのは無理だ。パソコンも趣味で始めたのだがウインドーズになってからはまったく面白くない。ましてや仕事絡みになってしまうので苦痛となっている。ホームページの作成がパソコンに残された最後の趣味かも知れないがこれもいつまで続くか?。最近は、とにかく没頭できる趣味はないものかと探しまくっている。しかし次々と襲いかかる払い続けなければならない目の前のハエに没頭する時間などほとんど無いというのが現実だ。確か子供の頃に思い描いていた人生の中では、そろそろ何もかも引退する予定の歳に近づいているのだが・・。独りよがりかも知れないが今の責任を子供達や若い人達にこのまま担わすのは酷い様な気がしている。少し余裕が出来た時点でバトンタッチしたいのだがそれにも時は掛かりそうな様相だ。暫くは植木鉢のドングリが唯一の趣味と言うことになりそうだ。 CIDP現状報告:この一年間、月末に近い時期に欠かさず五十五単位の点滴を定期的に受けています。おかげで以前の不規則な治療の時よりは良好のようです。自分自身では判断は難しいのですが傍目に所作が幾分良いと言っていただいてます。 ロンドンタクシーの現状報告:天丼号二台とも快調です。9月から精製方法に改良を加えた燃料を使用します。燃費パワーとも若干向上するかも・・。


                 2008年  9月号

96:夏のイベント
 温泉地は、冬のものというイメージがあるが現実には8月が一番に賑わう。お盆期間を中心に夏期全体が稼ぎ時である。そんな訳で例年なら夏休み期間は、特に何もしなくても集客できた。むしろ秋以降の集客に向けての企画を固めるのが7月8月の観光協会なりの活動だった。ところが今年は、予想通りとはいえ異常事態だ。7月末になっても8月のお盆が埋まらないのだ。確かにインターネットの普及により年々予約の発生は遅くなっている。しかしそれにも増してこの春からの物価高、中でも燃料代の高騰による出控えが消費者の余暇の動向に変化を生み出しているように感じられる。身近なレジャーの一端ともいえる外食産業、中でも郊外型のファミリーレストランなどの売り上げに減少傾向が見られている。より大きな出費を伴う旅行も対策を打たなければ今後の経営に大きなダメージを受けることになりかねない。すでに各宿泊施設ではガソリン引き替え券のサービスや送迎プランなどで対策を打っている。しかしそれだけでは十分な効果は見込めそうも無い。いつもながらのバタバタながら急遽、お化け屋敷をやろうと言うことになった。下話はあったものの段取りを始めたのは七月の中旬、わずか十日あまりで準備し二十六日にオープン。宿泊客の集客に何処まで効果があるかは未知数だがとにかく何かアクションを起こさないまま手をこまねいているわけにも行かないだろうと立ち上げた。広報も含め何もかもが夏休み突入後となったわけだが七月末の時点での評判は上々。後は、これが何処まで宿泊に結びつかせるかが課題だ。この夏は、町中で広報車を走らせてこのお化け屋敷も含めイベントの案内を行わせている。来訪客へのアピールと言うのが表向きだが本当の狙いは、旅館を含め観光従事者への周知だ。ともすると折角行っているイベントを関係者が有効に利用していないと思われるのだ。小さなお子様も安心して利用できる「温泉プール」、古き良き温泉町の風情ある「射的屋さん」、たたら製鉄時代からの木地師の伝統を今に伝える独楽挽きの実演と絵付けの体験、ガラス細工の体験、湯原の環境の象徴である大山椒魚の生態が見られる「はんざきセンター」と「はんざきミュージアム」、無料の足湯や手湯、観光ガイドやエコツアーなど・・。コンテンツは、そこそこ有るのだが場所が分散していることもありそれぞれ単独の利用者はまだまだ少ない。今後は、徐々に可能な限りそれらのコンテンツを集合させる事も考えなければならないが、ともかく今は、観光従事者にそれらのコンテンツの有ることを改めて認識させ有効に活用させることが重要だと今更ながら気付かされた。本当にバタバタモードで立ち上げたお化け屋敷という夏季限定のイベントなのだがその周知を通じて湯街の変化と賑わい場所の変化に気付かされた。広報活動を通じて持ち駒の多さを再認識すると同時に弱点も知ることができた。このお化け屋敷は、綿密な戦略も無く危機感からとっさに大きな予算をつぎ込んだイベントではあるがその意味で有意義であった。


                 2008年  8月号

95:全国現代湯治サミット
 第二十二回目の露天風呂の日のイベントが今年も無事に賑々しく開催することが出来た。今年は、その前日、六月二十五日に昨年の肘折温泉からバトンを渡され第三回全国湯治サミットの引き受けとなったのでスタッフの負担は大変であったがこれからの温泉地の戦略を考える意味で有意義なモノとなった。このサミットは、私も入会している現代湯治研究会(会長 野口冬人氏)の主催なのだが内容と運営は、開催地に任されるので準備段階から苦労した。しかし北は、豊富温泉(北海道宗谷支庁管内天塩郡豊富町)、南は、三島村(鹿児島県の竹島、硫黄島、黒島)等、全国から百五十名の参加を頂き懇親会での交流も含めて大変勉強になった。サミットでは、内閣府の地域再生事業推進室の木村俊昭企画官や温泉療養医でもある湯原温泉病院の川上俊爾病院長からが地域資源を活用した地域づくりや医療と温泉の連携などについて講演があり、その後、全国の温泉地代表によるパネルディスカッションが行われた。湯治というと高齢の闘病者が自炊で十泊以上を寂しい温泉地の木賃宿で過ごすという暗いイメージを以前は持っていた。しかし実際の湯治場を訪問した時にそれは消え去った。そこでは短期間を過ごす場所とはいえ立派なコミュニティーが形成され湯街に賑わいすら感じられたのだ。特に昼の賑わいに・・。今回のサミットでは、これからの湯治にはリゾートとしての意味合いもあると感じられた。湯治にしてもリゾートにしても従来の一泊二食付き型から滞在型に移行する場合に必要と思うのは、地域内での楽しめるコンテンツやオプションの充実だ。宿から歩いて散策できる範囲(半径四百b以内)で如何にコンテンツを集約するか。自然愛好家や健康増進あるいは、知的好奇心を満足させる為のコンテンツ。さらに観光ガイドやエコツアーの人材の育成とそれらの内容を容易に伝え参加を募る為のシステムづくり。それらを時間単位でのモデルコースで結ぶ。これらをまずインフラとして充実させて行く必要がある。また同時に利用者に対するこの大きい意味での湯治という古くて新しい余暇時間の過ごし方を提案し啓蒙的視線で告知する必要がある。とはいえこれにはかなりのエネルギーと時間が必要だろう。湯原温泉的には地元の市営の温泉病院との連携や空き店舗を利用しての射的屋の復活など、さらには豊かな自然の維持という視点での廃食用油の燃料化の収集と自ら使用するリサイクル事業を行っている。また広葉樹の植樹などのエコ活動も行っているがこれらも立派なコンテンツなのだが私が私的に行うロンドンタクシーでのエコツアー以外には、生かし切れていない。周辺の地域でも森林浴や高原、城下町のボランティアガイドが多数いるのだが着地型のコンテンツの情報基地であるホテル旅館にはその情報が十分に理解されていないのが現状である。その他、エステやガラス細工などのクラフトなどもあるわけだがこれらの情報を集約し案内できる能力を宿泊地が持つ必要がある。また滞在型の宿泊客を延ばすには宿は、一泊朝食付きや素泊まりと言う宿泊形態での受け入れを積極的に受け入れることも町の飲食店や商店を賑やかにする為には必要だ。町の賑わいは、賑わいそのものが人を呼び込む要因となる。今回のサミットでは各地の事例から温泉地の復興の貴重なアイデアを多く頂くことが出来た。改めて参加頂いた皆様にお礼申し上げます。


                 2008年  6月号

93−2:観光産業は、やはり幸福産業
1.親に上手く育てられ小さいながらも自分は宿屋の跡取りになるものだと擦り込まれていた。その為?有る意味で競争心が無く勉強もしなかった。いざ大学に進学する時に選択肢が少なかった。結果的に当時の社会の風潮で食品経済学の道を選んだ。昭和四七年の事だ。当時、公害による環境破壊が問題視され第一次オイルショックを迎えた時代でエネルギー問題に始まり、食料危機が叫ばれていた。原油高によるインフレで物の値段は月単位で上昇していた。現在に非常によく似た社会情勢であったように感じている。エネルギーや食料生産、人口爆発などの予測が出され、それによれば人類は破滅の方向に進んでいると結論づけられていた。小松左京の近未来SF小説「大滅亡:ダイオフ」は、それらの予測を小説化した物でこの本で決定的に感化されて選んだ道だった。世界的な工業の振興による弊害で世界規模の海で赤潮が発生し魚が捕れなくなる。さらにエネルギーの枯渇で世界の国々はそれぞれ孤立状態となった。食料とエネルギーを遮断された日本は悲惨な状況に陥り結果的に人口の間引きを行うという正に滅亡的内容だったように記憶している。 大学では、農地の単位面積で何を栽培すればより多くの人を飢えから救えるとか酪農に転用すればどうなるとか、そこで利用するトラクターの馬力数はいくら必要とかをそれなりに面白がって勉強した。卒業する頃には当時心配された食料危機もエネルギー危機も回避され私も結果的に宿屋の若旦那になり今日まで無事に宿屋家業を続けている分けだが近年再びエコ活動から始めた廃食用油の燃料活動から各地で行われる講演などに引っ張り出され話題づくりに学生時代の事やその小説の事を思い出している。時代は繰り返すとはよく言った物だ。ガソリン税の暫定税率にかすんであまりよく見えないが石油などエネルギーの争奪は、現実に起きている。それに伴う価格の上昇は、今後も続くだろう。今の温暖化問題は、形を変えたオイルショックと思えてならない。

2. GW直前にこの原稿を書いているが、テレビのニュースが気になってしょうがない。暫定税率復活直前でガソリンスタンドに長い列、ガス電気料金の値上げに小麦粉等、食料品全般の値上がりが加速するという話題をアナウンサーが伝えている。こんなニュースを見せ続けられたらお客さんのGW気分も興ざめだろう。われわれ観光地としてもGW後に危機感を感じる。景気の低迷に加えて物価の上昇となれば消費者は不安感から生活防衛に動く。となれば一番に切り捨てられるのはレジャー費の削減だろう。人々が満ち足りさらに明るい未来が見えている時は観光地も繁盛する。しかしその逆の時は低迷してしまう。観光地間や旅館でパイの取り合いとか細かい事は有るにしろ、これは真実だと思う。 私の町、湯原温泉の歴史をたどってみても時代の波を乗り越えてきた事が良く判る。江戸以前の時代はたたら場の湯治場として、江戸時代から明治の始めは、歓楽的な温泉地、明治中期から戦前までは湯治場、戦後は、団体主体の歓楽的な湯街、昭和の終わり頃は老人旅行主体、五年ぐらい前は、家族カップルの湯街となり、現在は、日帰り家族旅行・・と言うような案配だ。  さて二〇〇八年五月のオイルショック後は、どのような温泉地になるだろうか。今後、ガソリンの値段が安くなる事は考えにくい。環境問題もありヨーロッパ並みの1リットル二五〇円〜三〇〇円なんて事もありえる。遠距離の自家用車旅行は、仲間を誘って燃料代割り勘の小グループ旅行がブームになるかも。格安バスツアーの時代かも等とも考えられる。食の地産地消も今まで以上に求められるだろう。いずれにしても観光地や宿は、今まで以上に工夫が必要になる。個人旅行に慣れた(我が儘に慣れた)お客様が再びグループ化するのだから昔の団体旅行とは違う。グループで来るけれど食事の内容も異なれば団体行動もとらないお客様だったりするのかも。逆に団体旅行にお客様が慣れてくると言う事も考えられる。そうなれば昔の団体旅行の復活なのだろうか。時代は繰り返すと言う言葉もあるし・・。GWが明ければ考える時間はたっぷり出来そうだ。いろいろな宿泊プランを作って手軽なネットで販売し当たりを見てみようと思う。  あれこれ考えながら原稿を書いていたら途中で寝てしまっていた。朝一番のテレビのニュースも暫定税率復活と食料品値上げ等の不安を煽る話題が中心だった。ここ暫く景気の面でも明るい兆しが見えない。今感じているこの感覚は、昭和四七年の第一次オイルショックの時に感じていたモノによく似ている。四七年との違いは、あらゆる物価が上る強烈なインフレでも消費は減少しない状態だった。青春時代と初老を迎えつつ身体との違いからくるのかも知れないが今の時代感覚は、社会全体にブレーキが掛かっている様に感じるのだ。地球温暖化防止などへの環境問題、地球規模での人口爆発と資源の分配などを考えればこの傾向を受け入れなければならない状況はやもおえないのだと思える。有る意味、この状況に順応してさらにその中にあっても幸福感を見いだせる精神構造だったり社会構造に移行する過渡期に有るのだと感じている。右肩上がりが普通の時代は終わったにしても幸福感が有ればあれば我々の生き残る道は有る。


                 2008年  5月号

92:春の雪解けも異常気象
岡山の県北も今年の冬は、地球温暖化と叫ばれる割には寒い冬であった。昨年末から2月にかけて例年以上に雪も降り深山には根雪が多かった。ところが3月の中頃に入り気温が急上昇。さらに18日頃にまとまった雨が降り出し雪解けを加速させたようだ。ホテルの前の幅10メートル程の川も急激に増水してちょっと激流状態になった。この川には昨年秋にホタルの餌として川ニナを蒔いていたのでそれが流されないかと心配になるほどの水量だった。橋の上で川の流れを観察していると川底の石が流される時に出るゴロゴロという不気味な音が聞こえていた。3月19日、NHKの環境番組の協力の為に徳島県に天どん2号(天ぷら油で走るロンドンタクシー:赤い方の車)で観光協会の仲間と出かけていた時、突然の連絡が入った。湯街直前のダムが水門を上げ放流をしなければならなくなったと言うのだ。出かける時には確かにまだ雨が降っていたが明日には天気も回復する予報だったはず。春先のダムの放流など記録を見ても前例がない。このダムは、結構巨大で高さが74メートル、幅が196メートルある。堰き止められて出来た湖は、周囲55qもある。滅多の事では放水などしない。普段の水量調整は、ダム直下の放水口から毎秒0.8トン。これが普段、温泉街を流れる大きな川の水量だ。主に調整するのは発電所へ回す水の方でこちらは温泉街西の山をトンネルで回して落とし込まれ最大毎秒38トンを発電しながら放水できる。(その時の発電量は、26万キロワットアワー:今は凍結状態にあるが北朝鮮の3つの原子力発電所の総発電能力25.5万キロワットアワーを超えると言うと凄いと思う)原油高の中、貴重なエネルギーでもあるダムの水は滅多な事では電力会社としても出したくない。それでも水門を開けダムの放流を行わなければならないと言う事が如何に異常事態で有るかという事が判っていただけると思う。ダムが水門を開けるとなると下流域の温泉街は、その為の対応が忙しくなる。コミュニティーのグループは、花壇のプランターを何十個やベンチなどを移動させる。駐車している車、300台もやっかいだ。水没する露天風呂も足湯を含めて4カ所ありそれぞれに案内を出さなければならない。私などは放水量の協議に出る事になる。露天風呂はともかく各旅館に配湯している泉源への影響を最小限に止める為、泉源が水没しない程度のダムの放水量というのがあるのだ。そのような事を観光の立場で意見し放水量とその期間が決定される。今後の天候だったり観光客の予約状況、それに電力会社さんの思惑等々・・。今年の年度末は、この異常な雪解け水、しいては地球温暖化に振り回されてしまった。  


                 2008年  4月号

91:講談師に挑戦中
 二月に放送されたNHKの全国放送特番「どうする日本」で湯原温泉の環境事業が地域で出来る身近な取り組みという事で紹介された。例の天ぷら油の廃油を送迎車の燃料に利用している事業だ。繰り返しビデオを見ているうちに番組の口切りで講談師の神田山陽さんの語る次の部分にはまってしまった。 春の花、夏の涼みに秋の月、めぐり来たったこの冬の雪、四季折々に彩られる美しき季節のあるこの国「日本」ところがその季節、いやいや気候がどうにもこうにもおかしくなった。そりゃー晴れたり曇ったりとお天道様は、ままならぬモノ、しかーし、それにしても連日真夏日、水不足、大型台風と近年は天変地異の雨あられ、天はいったい我々にいかなる警鐘を鳴らしているのか。そもそも地球温暖化とは大気中の二酸化炭素が原因である。日本は、その排出量が世界第四位このままいけば息を潜めて未来を暮らさなくてはならなぬか傷ついた大地をあきらめた時間を未来の子孫に渡さなければならなぬか。どうしたらよいのか我々は、いや、私は、そしてあなたは・・今、人類の歴史の一寸先は波瀾万丈の様相をていしている・・・。  この一説だがこれにはまってしまった。ビデオを繰り返し見ては文章に落とし印刷してトイレに張った。エコツアーや講演でかっこよく神田さん風に演じてやろうと思っているのだがことごとく失敗。中々難しい。以前も落語にはまって小朝さんの七段目の中の芝居の口上をヒントに名所の砂噴き湯で温泉指南役が演じる湯浴み口上を作った実績がある。こんどは講談を取り入れてエコ教室やエコツアーの出し物を作ってやろうと思っているのだが、話す情報量が圧倒的に多くあんちょこ読みながらやるしか方法がなさそうだがリズムが合わない。しかしも教室などでは可能でもくるまを運転しながら案内を行うエコツアーでは丸暗記しか方法がなさそうだ。CDやテープでは味がなさ過ぎる。ここは修行を積むしか手はないようだ。とりあえず今まで口伝えしかしてなかったエコツアーの内容を文章化してみた。ただ読んでも面白くも何ともない。講釈風にアレンジすることにした。この冬の雪ごもりにはかっこうの暇つぶしになっている。近所の仲間がうちに来ると「ちょっと聞いてくれ」とばかりにやってみるのだが面倒くさそうに付き合ってはくれるが合格点は、貰えてない。身内相手ではやはり緊張感がないせいかもしれない。この上は、ぶっつけ本番、エコツアーのお客様相手に部分部分試して反応を肌で感じながら口上の腕前を上げるほかないようだ。講談師「古林伸美」お披露目は、まだ先になるとは思いますが乞うご期待。


                 2008年  3月号

90:泉源発見?
 先日、旅行作家の野口冬人先生と竹村節子先生がお見えになりました。湯原温泉の事は、よくご存じですので今回は、何処をご案内しようかと思案していました。1月の下旬の事でたまたま大雪となりました。予定していた遠出は取り止め、竹村先生は、久方の来湯と言う事もあり改めて湯街を見ていただく事にしました。雪で足下も悪くロンドンタクシーでエコツアーも盛り込んでと言う趣向でご案内しましたがその折りの話です。  調子よくエコツアーのガイドを演じいつものノリで砂湯から湯街を案内する途中に普段通ることもない湯街裏側にある川沿いの源泉の所に行ってみたのです。その時、野口先生と竹村先生から「どうしてここは雪が積もってないの」、私「アレ?ホントだ」という事で車を乗り入れた場所なのですが。この部分は以前は川だった所を駐車スペースを確保する為、住民が砂利で埋め立て川幅を狭めた形になっている部分なのです。河川の駐車スペースから繋がっていますが通常除雪など行われるような場所ではない為、大雪の時には奥まで入るのは無理だと覚悟して乗り入れたのですが予想に反してまったく雪が無く土が露出し、しかも乾いているではないですか。そばの川では温泉と一緒に吹き出すガスの噴出が随所で確認されていますが埋めた部分がこんな状態になっているとはすぐ目の前に住んでいながら知りませんでした。現在、湯街の湯量は十分で新しい泉源にあまり興味もなかったとはいえ、この河川の未調査の温泉は、手つかずのまま放置されていたのです。私どもも何となく「湯が出ているな」程度には思っていても雪のない普段の川の状態の時にはガスしか見えず温泉の存在を確かめず忘れていました。山も道も30p程度の積雪、一面が雪景色の中で川沿いに長さにして150メートル幅10メートルに渡って見事に雪が溶け乾いた河原が露出しているのを見つけたのです。昔は上流にダムもなく、増水の旅に河原の形も変わっていたと推測できます。川の中では見つけてもすぐに風呂にする事は難しいでしょうが河原なら少し掘るだけで露天風呂が作れます。またその泉源の上に小屋を作って冬場を過ごす暖かい湯治場が容易に作れたと推察できます。川の増水の度に風呂を掘ったり小屋を造り直すのも大変です。多少の洪水でも流れないように川と風呂や小屋の間に石垣を積みさらに強固にし壁を築き小屋を連ね湯屋となした。そんな温泉の歴史が見えてくるようなこの冬の発見でした。  後日、この事をレギュラーのラジオ番組で話したのですが新聞やテレビで紹介される事となりました。テレビでは実際に河原をスコップと鋤簾で掘り小さいながらも四十二℃の立派な一日だけの露天風呂を再現してみました。この発見のきっかけを作って下さった野口先生と竹村先生に感謝です。


                 2008年  2月号

89:テーマとコンセプト
 湯原温泉に温泉民俗資料館とそれなりに立派な外観の建物が昨年までありました。十数年、管理人も置き市の真庭市の教育委員会が維持してきましたがあまりに来訪者が少なく昨年春に閉館されました。館内には住民から貸し出されたお宝が陳列されていたのですが観光客の興味を引く事は無く大赤字。補助金で箱だけは作ったが中身が無く、とりあえず住民のお宝を貸し出してもらい陳列と相成ったわけです。古い農機具や町内の遺跡から出土した考古資料(弥生土器、須恵器等)、農具を中心とする民俗資料、山中一揆(享保年間に当地方で起こった)をパネルで紹介、各種の和本、戦前の教科書、雑誌など。この展示品のリストだけ見るとそれなりにとも思えるのだが実際には、あらゆる雑多な骨董品も一緒に展される事になり結果的にテーマが良く判らない物になってしまっていた。さらにシルバー人材センターからの派遣による人材を管理人としておいていた為、元より専門的な知識もなく来訪者への説明も出来ない物でした。地元の住民も普段全く行く機会のない場所だけに関心も低く閉館になった事さえ知らない人が多かったと言うお粗末でした。  閉館後、預かり物を返し館内を整理すると使い便利の良いスペースが其処にあったのです。今まで教育委員会の管理施設だったものを地元の管理に戻して頂き観光協会や旅館組合で運用させて頂く事にすれば各種イベントやセミナー等も行えるし、展示スペースにしても温泉に特化した内容にすれば良い。さらに温泉卓球や温泉指南役の道場としても使えそうだ。今、この施設を我々観光協会や旅館組合で預かり運営する要望書を出している。願いが叶えば、名称も温泉ミュージアムとしたい。立地も湯街の中央でもあることからここを拠点に町作りを始めたいと思っているのです。温泉に拘りテーマを明確にすれば人の集う場所に成ると確信しています。  我々宿屋もテーマやコンセプトを明確にする事は、今後さらに重要になってくると考えています。私などもホテルの改装など行った時には、テーマやコンセプトを打ち出しているつもりなのですが時間の経過と共にぼやけていきます。特に雑誌など広告媒体やインターネットでの集客の為のプランの作成など・・ついついライバルのプランや企画に影響されてしまい揺らいでしまうのです。気がつけば、ダボハゼになってしまっている。地域のオンリーワンは、一つの宿ではない。サービス・料理・部屋の設え等々、規模に応じて有る物と考えています。新年を迎え改めて足下から見直し自分の宿を見つめ直してみるつもりです。旅館組合や観光協会の公務での役職でも同じ事が言えるかもしれない。差し障りなく無難に役をこなす事も大事ではありますが、今、自分に任された役職ならば自分にしかできない事業に着手し実現する。この原稿は年末差し迫っての状態で書いているのですが(またも締め切りオーバー:編集者さんごめんなさいm(_ _)m )新年を迎えるにあたりその思いを強くしています。  今年も波乱の年となるでしょうが、それぞれの立場で全力投球で頑張りたいと思います。私のこのコラムも九十回になりました。最近は文章が浮かばず逃げ出したいと思う事もあるのですが、ここまで来たら何とか百回まで・・と頑張る所存です。 そろそろバトンタッチも考えなければ・・・。


                 2008年  1月号

88:温泉街のエコツアー
前々号に十年後の夢話を書いたらエコツアーについての質問が一杯きました。そこで今やっているエコツアーの内容についてざっくり紹介させていただきます。 それではエコツアー、スタート。  「今日は、この車、天どん二号(天ぷら廃油で走るロンドンタクシー)でご案内します。どうぞご乗車下さい」。キュルキュルキュルガァー、ゴトゴトゴトゴト」快調にエンジンが始動。周囲にわずかな天ぷらの匂いが漂う。ゴトゴトヨタヨタとディーゼル特有の振動を発しながら湯街を転がしていく。砂湯→「ここは今でこそ西の横綱「露天風呂:砂湯」などと呼ばれてますが、他の泉源に比べて量も少なく温度も低かったので昔は、乞食湯とか牛馬の湯と呼ばれていたんですよ。」ゴトゴトトロトロヨタヨタ。温泉薬師→「この川沿いの湯街は、昔、河原で十ほどの露天風呂があった場所。現在は、その上に家が建ち湯街になったんです。涌いていたお湯は、温泉館に集められ沸かし直しする必要がない範囲に限って配湯しています。」ゴトゴトトロトロ。河原の湯尻→「ここは、湯尻の洗濯場と足湯です。泉源から送られたお湯が冷めないように配管の末端(湯尻)には、洗濯場や足湯を作ってお湯を捨てているんです。」ゴトゴトトロトロ。ゴミの集積場→「このゴミステーションの横にある天ぷら油回収容器は、住民の皆さんがエコディーゼル事業に協力して設置してある物なんです。今は旅館より沢山の廃油が集まります。昨年は四万リットルを超える量が集まりました。この車でもリッター十四qは、走りますから地球を十四周出来る燃料が地域の中で生み出されているわけです。」ゴトゴトトロトロ・・。こうして四十分あまり、古い木造の小学校の校舎や里山と「たたら遺跡」、はては水力発電所等々を車窓からご覧頂いてエコツアーは終了する。  およそ普通に考えたら観光資源にはならないだろうと思えるポイントをロンドンタクシーで案内しているのですが、これが結構、好評なのです。基本的に車から降りないので雨も雪の日も関係ない。晴れれば眺望の良い場所もあるのでさらに喜んで頂いています。本来のエコツアーの内容もさる事ながら折からの燃料代の高騰もありリッター七十五円のEDF(天ぷら油再生燃料)は、センセーショナルな話題ともなっていてマスコミの取材も週一ペースで入っておりそれへの対応も大変なのですが、お陰様で徐々に参加者も増えています。本来、湯原温泉の最大の特徴である自噴泉をアピールし、そのあるべき利用方法をご覧頂き、それに関連づけて湯街を流れる川とそこに生きる生き物、そして環境全体を考えていただくエコツアーなのですが一番に興味をお持ちなのは、EDFの安さと「大丈夫なのか?」と言う疑心感。しかし参加して下さったほとんどの皆さんが下車される時には、それなりに共感下さり感激して下さっています。始めた頃は、手探り状態でしたが今は、手応えを感じています。  歩いて案内すると間延びするし、普通の車だと速すぎる。周囲に愛嬌を振りまきながらゴトゴトヨタヨタ走るポンコツのロンドンタクシーがこのエコツアーには丁度良いようです。始めて一年になりますが今ではお客さんのご希望に合わせて十五分から九十分の時間でコースを組み案内出来るようになりました。ロンドンタクシー二台と小型バスに分乗しワイヤレスマイクで案内し二時間で百人という荒技も出来るようになりました。湯原温泉にお越しの際は、エコツアーを一度体験してみて下さい。


                 2007年 12月号

87:蘇れホタルの里
 先日、地域の子供達とホタルの餌になる「川ニナ」を川に放流しました。 台風シーズンも終わって川の水量が落ち着いたこの時期が良いと言うことで川ニナ20キロを温泉街の支流三百メートル程の間に放ちました。かなり密集した感じになるのかとも思ったのですが三週間ほどたった現在は、それなりに分散して生育している模様です。散歩の際に橋の上から観察するのが日課になりました。川ニナは、本来、人間と共存する環境に多く生息していたそうです。米のとぎ汁や糠や野菜屑が良い餌になっていたようです。ところが人間の生活に洗剤など化学薬品が使われる様になり数が減ってきたと言うことだそうです。私は、子供時分、川ニナの味噌汁が好きでよく採ってきては、母に料理をしてもらっていました。沢山取れた時には、佃煮にもしてもらってましたね。今回放流した川は、温泉街の露天風呂などある大きな川ではなく支流の田羽根川です。この川は、初夏には河鹿蛙も多く元々ホタルも数は少なかったのですが源氏ホタルも飛んでいました。その時期には「かじか通りホタル川」と書いたノボリも立てて観光客の散策コースとしているのですが昨年の大雨で流されてしまったのか今年は、ホタルが極端に減ってしまったのです。そこで川ニナを放流したわけです。川には、時々川ニナの餌になる米ぬかをストッキングに入れて見苦しくならない様に工夫しながら与えています。四月中頃にはホタルの幼虫を放ち、さらにホタルのシーズンが終った頃、丁度その時分には川ニナも散乱し小さな川ニナが一杯生まれるそうです。その川ニナの様子を見て次の年成虫になる小さな幼虫を三万匹放流する予定です。数年がかり(おそらく五年)程度の少し気の長い話になりますが何とか成功させたいと思っています。  天ぷら油を川に流させない為に始めたエコディーゼル燃料事業、美化活動等の本当の成果は、このホタル再生で初めて出ることになると思います。 ※添付画像



                 2007年 11月号

86:2017年9月 ある日の一日  昨年、CIDPの遺伝子治療を受けた。25年間失っていた身体の機能がメキメキと回復して今では少しなら走る事も出来る様になった。今日は、天気も良いので早朝、河川公園を散歩してみた。川沿いの遊歩道には河川特区(※注1)に指定されてから桜や柳が植えられ、その並木が育ってベンチに優しい木陰を作ってくれている。ダムの放水も防災システムが認知されてから住民監視の下では希なことになり浄化システムとの相乗効果で旭川は、管理された清流となり一時いなくなった錦鯉も増えてこの川は「自分たちの池みたいなものだ」と言って自慢の種になっている。夏には泳ぐことさえ出来る程、綺麗なのだ。対岸にはカワセミの人工巣も設置され野鳥観察の穴場にもなっている。鴨や白鳥などの水鳥がお客様を和ませている。公園内の木立の間に整然と駐車された色とりどりの車はそれなりに美しく思える。ここの駐車料金で街は整備されているのだが以前の無秩序な姿が嘘の様だ。街の大部分が交通規制され一般車両の乗り入れが禁止されているので車両の動線は川側になっている。本来の道路部分は、許可車両が遠慮がちに走るだけだし特にこの時間は静かなものだ。足湯も早朝から賑わっている。側にあるカラクリ人形は定時に動くので、それを目当てにお客さん達が繰り出している。足湯ごとに趣の違うカラクリがあり一日見ていても飽きない。この動力は温泉への拘りで低温度差スターリングエンジン(※注3)を利用している。このスターリングエンジンそのものもモニュメントであり湯原の豊富の温泉の証である。これらは温泉配湯や関連施設の運営委託を受けた温泉協会の資金で整備された。また砂湯もこの資金と駐車場の資金で整備運営される様になりトラブルは皆無となっている。 川沿いから離れサボテンの方に歩いてみた。田羽根川沿いの温泉ミュージアム(旧民俗資料館)には温泉道場の告知看板が出ていた。それにしてもここは忙しい。連日、セミナーやコンサート、時々は映画祭も開かれている。特に湯治客には人気のスポットだ。街を一巡して家の前まで帰ってくると鼓橋の向こうでは楽市楽座が店開きしていた。昼は木工のクラフトや特産となったキャンドルや独楽などの土産物が並ぶのだが朝は、やはり農家のおばちゃん達と野菜が主役だ。私がこの市に行くのはもっぱら夜が多い。夜は屋台通りとなるのだ。ホテルに帰ると私も営業開始だ。私の店は息子と娘に譲ったホテルの横にあるエコツアーガイドの待合い茶屋だ。土産物の販売とお茶に和菓子で接待しながらエコツアーの待合いとしているのだ。8時になるロンドンタクシーの運転手に変身だ。10年前に始めたエコツアーは、今や私のライフワークとなっいる。2台のロンドンタクシーは、今もヨタヨタと走り続けている。燃料は、河野君に頼んで精製に木質エタノールを使った特製のEDFで走らせている。コースは、お客様のに選んで頂いているが旧湯原支局を昔の小学校に復元した「昔懐かし田舎の学校とハンザキセンター」、「古代のロマンもののけ姫(社)コース」、「民話コース:不動滝」が人気だ。  午後になり少し暇になったので子供達のホテルを覗いてみた。今日は外食のお客様が多く湯治のお客様の夕食の準備だけしていると言う。湯原温泉の宿は棲み分けが進み息子のホテルはプチ湯治のお客様が主になっている。  店に帰るとエコツアーのお客様がお待ちだった。家内がカステイラとお茶で間を持てなしてくれていた。最後のツアーを終えた後、温泉アカデミーの白髪の辻館長と酒屋のシーちゃんを誘い湯街の屋台通りに繰り出した。  今から10年先、64歳の秋こんな一日を過ごせたら良いと思う。


                 2007年 10月号

85:ロンドンタクシーとバイオディーゼル燃料:その後
旅館組合のエコ事業のシンボルにしようと三年前に購入した中古のロンドンタクシーは、その後もエンジンのトラブルは無くヨタヨタと走っています。当ホテルのエコツアーや真庭市で行っているバイオマスツアー等、また環境関連のイベントにも利用していただいており今や湯原温泉の顔にもなってきました。しかし何分にも古い車でエンジン関係は最初から国産(ニッサンディーゼル製)ですので問題はないものの電装や足回りとなると話は別でして希少車の為、部品の調達に苦労しています。そこで部品取り用と考え今年の春、同じ年式の赤色のロンドンタクシーを購入しました。この赤い方が思いの外、調子が良いので結果的に最初の黒いロンドンタクシーと赤い方を交互に整備しながら走らせています。二台同時に動かすことは希でして概ねどちらかは整備工場に入っています。燃料系やエンジンに問題は無いのですがこの夏の猛暑に冷房(エアコンではない)のコンプレッサーが焼き付きました。両方ともです。一台は、道後温泉で開催された全旅連の全国大会にお披露目で持って行く途中、松山市内を目前にして突然ガラガラと異音を発したとたんぶっ壊れました。道後温泉では涼しげに窓を閉めて走っておりましたが車内はサウナ状態でした。帰りの道中の長かったことこの上なし往復四百キロの高速走行には無理がありました。何分にも概ね二十年前に製造された車ですので部品を手作りしなければならない状態だそうで修理に一ヶ月以上掛かります。仕方なく一台を修理に出し、もう一台でこの夏の猛暑の中、汗だくのエコツアーを行う羽目になりました。お客様は短時間の乗車ですので辛抱して下さっているのですが連続してご案内を勤める運転手は大変でした。エコのイベントで試乗会などでは最新の電気自動車やエコカーの涼しげな車が並ぶ中で地獄の釜の思いだったようです。ただし他の車のエンジン音は、ほとんど無音の状態の中、ガラガラとディーゼル特有の音を立てますので一番目立った様です。その一台の修理が終わったのは、すでに秋の気配が近づいた八月の下旬。もう冷房は不要という頃なのですが来年に備えもう一台も整備に出しています。修理にはやはり一ヶ月以上は掛かるようです。この先も何が壊れるか判りませんので二台所有は正解の様です。しかしそこまでしてロンドンタクシーを維持する必要があるのかというと「?」です。家族からも「物好き・道楽」と罵られております。  さて本来の目的である天ぷら廃油のリサイクル事業ですが順調に推移しています。現在、月に三千リットル。年間四万リットルをEDF(エコ・ディーゼル・フューエル=BDF)として再生しており組合加盟旅館の送迎車で消費しています。お客様にはこの量のたとえ話として「この車で地球を十四周できる燃料」とご説明しています。国の施策にも乗っかり市の後押しも受け来年の春には約十倍の年間五十万リットルの精製が出来る工場を造る計画も持ち上がっています。エコとバイオの温泉地のイメージは、これからの時流になると思っています。


                 2007年 9月号

84:賑わいの創造 その2
   肘折温泉と銀山温泉
 先日、お誘いを受け山形県の肘折温泉で行われた「現代湯治サミット」に参加させて頂きました。翌日から開催される開湯千二百年祭の前夜祭に伴うイベントでした。湯治場として栄えてきた肘折温泉と言う事もあり興味津々、友人を伴って参加させて頂きました。全国各地から多くの方がお越しで、また地元の方も関心も高く各地の様子に聞き入っておられました。サミットの内容については近く肘折温泉の皆さんが何らかの形で広報されるはずですのでそちらをご覧頂くとして私の方からは肘折温泉の湯治場の賑わいについてレポートさせて頂きます。  肘折温泉に到着したのは、朝の十時過ぎでした。待ち合わせの時間には余裕がありましたので湯街のあちこちを観光させて頂きました。まず驚いたのは湯街の道の狭さです。道幅4m少々でしょうか、曲がりくねった道に路地がつながっていました。この道の主役はあくまでも人であり、車はかなり遠慮しなければならないのです。逆に町を歩く時には居心地良さを感じました。その狭い道のあちこちには旅館などの前に足湯が開放されていて浴衣掛けのお客様が連なておられました。また土産物屋さんや商店(雑貨屋兼土産物屋とか酒屋さんとか食品店)は、大勢買い物をされていました。概ね高齢の方が多かったように見受けられました。店の方は、若い方が多く軽やかな会話が飛び交い賑わいを感じました。この時間、湯原温泉なら閉散とした感じなので吃驚しました。さすが肘折は湯治の本場と感じさせられました。自炊客が半分以上と言う事をお聞きしていたので土産物屋さんと雑貨や食料品店が区別が付かない感じで混在しているのもなるほどという感じです。  肘折温泉では一泊し1200祭の一部行事を拝見した後、銀山温泉に移動しました。 こちらは湯街入り口で車はシャットアウトという湯街全体が歩行者天国になっているテーマパーク的温泉地というイメージを感じました。お昼前に到着したのですが湯街手前には観光バスが来ていて若い方や中年の方を多く見受けました。昼は、観光の立ち寄り場所という感じでしたが夜は落ち着いた湯街に戻ると言う感じでしょうか。  この賑わいを感じる二つの温泉の共通点は、狭い空間の心地よさと賑わいの集中、車の排除そして歴史でしょうか。湯治客が作る生活の匂いのする賑わいと立ち寄り観光客での賑わいはまったく異質な筈なのですが・・。  湯原温泉も砂湯に至る道は人主体の町として車はご遠慮頂き、その部分や車両の入りづらい路地裏に賑わいを創出した方が良いかも知れない。

  


                 2007年 8月号

83:CIDPの近況
   身体の自由度と口の関係=世話役

 昨年9月身障者の程度変更があり3級から1級に昇格しました。あまり嬉しい話ではないのですが治療費の負担金が大幅に安くなったのはありがたい話なのです。  私の病気は、CIDPと呼ばれる免役不全の病気で自分の免疫が自分自身の神経を攻撃する抗体に変異していて主に手足の運動系の神経に障害が起きています。この治療には自分の免疫を押さえ込む為に他人の免疫を大量に輸血する治療が必要で月に五日間、一日に七時間の通院治療を行っています。この治療に使う薬が大変高価で保険適用になった今でも四〇万円程度掛かっていました。高額医療となるので数ヶ月先にはその内の三十万円程度は帰ってくるのだが一時の負担が大きいので本来、月一度の治療を行う必要があっても三ヶ月に二回とかタイミングの悪い時には二ヶ月に一回程度になっていた。ところが身障者の認定が一級になってから一回の治療代が一万円程度で済むようになってのです。げんきんな物で治療代が安くなるとこまめに治療に赴くようになりました。この効果は、数ヶ月後に現れました。徐々にですが足に力が入るようになったのです。歩行距離が二倍には増えた感じです。  発病したのが一九九二年。数々の治療方法を試みたのですが有効な治療方法が無く十年間放置状態でした。その後、人の免疫を輸血する血液製剤での治療法の安全性がある程度保証できるようになったのとこの病気の治療法として保険適用になったと言うことで二〇〇二年から現在の治療を受けています。発病から一〇年間は絶望感に苛まれながらも日々を大切に生きました。免疫治療を始めてからは明日の事が考えられるようになりました。そして今、徐々に回復の兆しが実感できる様になりました。治療その物は、死ぬまで行う必要がある訳で月に五日間は病院に縛り付けられる運命ですがそれは完全休養期間と割り切ってしまえば言い訳です。発病以来、一七年になるわけですが新たな局面を迎えています。  さてそんな私ですが身体が動かなくなった分、口が立つように成った所為かどうかは別にして町の世話役は、問答無用で回ってきます。三年前からは旅館組合長を仰せつかり今年の総会で留任となりました。さらに前代未聞なのですが「観光協会長もお前ヤレ」と言う事になってしまいました。一つ受けたら同じ様なモンだろうとタガを括って掛かっていたのですが大きな間違いでした。五月の総会以来、カレンダーに空きが無くなってしまったのです。殆ど毎日何かの会議が入っている。多い日には三つ四つと分刻みでスケジュール管理されている。良いリハビリになっているとは思うのですが少々オーバーワーク気味です。お陰で我が宿の事は、家内や子供たちに任せきり、たまに業務についても浦島太郎状態でさっぱり要領を得ずあげくは、「お父さん邪魔だから・・・」となってしまいました。私は、宿屋の親父家業が大好きでもっと前に出たいと思っているのですが実質的な隠居状態に成りつつあります。実に寂しい・・。

トラベルニュース:原稿:古林伸美
                 2007年 6月号

 先般、倉敷のビジネスホテルが宿泊拒否でやり玉に挙がった。保健所からキツイお叱りがあったと聞き及んでいる。関係者からの情報によるとどうもこの処置には腑に落ちないところもあり理不尽とも思われる。事のいきさつは、以下の通り。  5月のある日のこと、夜間、中国の方がお一人でAホテルに飛び込みでお越しに成られたがあいにく満室でお断りしたそうです。どこか別のホテルを紹介しろという事になってAホテルのフロントは、Bホテルに電話で空室の確認をしたんだそうです。その際、Bホテルに中国の方と伝えたところ外国語は判らないので空室はあるがお断りすると答えられたのだそうだ。Aホテルの担当者は、その答えをそのままお客様に伝えた。その後、Aホテルは、Cホテルを紹介しお部屋が取れたのでお客様は、無事Cホテルに行かれたのだそうです。ところがその後、そのお客様は、Cホテルにチェックインした後、Bホテルにわざわざ出向き何故断ったのかと理由を尋ねられたそうです。2時間余りあれこれ話し合われたが怒り収まらず後日、華僑の団体を通じて観光協会や行政機関にクレームが入り新聞沙汰となった。概ねこういう状況での騒ぎなのですが、このBホテルは、今回、問題となった夜間のチェックイン時は、経営者の両親でもある老夫婦二人で普段から対応していたのだそうだ。外国語が出来ないと言う事もあって外国のお客様は、過去にもお泊めした事がなかったらしい。  このBホテルの老夫婦の立場で思うに降って湧いたような不幸な出来事と思えてなりません。Aホテルの親切でCホテルで宿泊を受けられたのに何故?Aホテルは、何故、Bホテルの断りの理由をお客様に伝える必要があったのか?とか・・。これは単に外国人受入拒否とか言う次元ではなく単なるクレーマーではなかったのかと思えるのです。それに対してインバウンドとか声だかに打ち上げている行政やマスコミの過剰反応では無かったのではないでしょうか。確かに宿泊施設側の対応にも問題点があったのだとは思いますが、そもそもこの旅館業法で言うところの正当な理由無き場合の宿泊拒否の禁止という件は、施設側にとって余りにも不都合というか理不尽というか曖昧というか、実際に経営する立場では問題がありすぎる法律のように思えて成らないのです。現実には料金で折り合いが付かずお断りする場合もあるし、お子様連れお断りの宿やワンちゃん等、ペットお断りの宿は、いっぱいありますよね。その昔、私の父など「態度の悪いお客様は、帰ってもらいなさい。」等と平気で言っていたのを記憶しています。宿屋も本当に弱くなったモンですね。


                 2007年 7月号

82:ダムと温泉
昨年7月の長雨と豪雨で主要道路が土砂崩れにあい半年間に渡り通行止めとなった。さらにダムの大放流で河川内にある名所の露天風呂が流失し復旧にこれも5ヶ月を要し風評もあり昨年度の入り込み数は過去30年間で最も低い数字となった。バブル期もバブル後も変化の無かった平和な温泉町にこの水害の結果、休業に陥った施設3軒、廃業1軒が発生。我が町は今、緊急事態となっている。まさに昨年は、自然の猛威を思い知った一年だった。しかし土砂崩れは、致し方ないがダムの放流については人災とも思えてならない。今年の雨期に備えて昨日、湯原ダム直下流管理連絡会議が行われた。岡山県担当者、市の関係者、地元代表、電力会社という面々が集められた。かなり重苦しい雰囲気の中で話し合いはスタートした。冒頭は主催者であるダム管理の県職員が口を切ったのだが専門用語が多い上にネットでの防災システムの説明など我々素人には理解しづらい話ばかりだった。頃合いを見てこちらから突っ込みを入れてみたところ意外に簡単にボロが出てきた。複雑に絡み合う行政や電力会社の中でも重要なダムの貯水率などの部分で認識が異なったのだ。会議中に行政側で意見調整する場面もある様な始末で我々が甘く見られていたのかと少し腹立たしく思えるぐらいだった。しかしこちら側には数値的の記録などあろう筈もなく過去の放流時の経験的な話でしか対抗できないのが残念だった。事前放流は可能だったのか否か?放流量のコントロールは、適切だったのかどうか人が判断し電力会社の思惑も必ずあった筈だ。疑問点は多く残っている。  しかし過去は過去として今後の対応については、その場で住民側から出された貯水率の公表、放流時の連絡網の徹底とアナウンス内容の徹底、放流時の水位計の設置、貯水状態を監視できるライブカメラの設置、耐用年数と耐震強度の確認など具体的な対策をとるという事で会議は終わった。この湯原温泉のダムは、湯原ダムと呼ばれ昭和30年にできた物で高さ75m横幅200mと言う中国地方では一番大きなダムである。作り出された湖は湛水面積で455haで最大貯水量は9960万トンとけっこうな巨大ダム。建設前は、当然の事ながら激しい反対運動もあった。温泉が枯れない方が不思議がして当然であったと思う。そして建設後、奇跡的に温泉は枯れなかった。逆に結果論だがそれなりに恩恵があったと思っている。泉源の上流にダムが出来たお陰で泉源となっている河川の水位が天候に関係なく安定しているので温泉の噴出量も変わらない。自噴の泉源を持つ多くの温泉場が河川の水位で影響を受け洪水時などは温泉が使えない状態があるが湯原の場合、このダムのお陰で余程の大放流がない限り影響を受けないのだ。また良くも悪くもダムと露天風呂という景観は、湯原温泉の顔となっている。昭和30年代には「ダムと出湯の郷、湯原温泉」というキャッチコピーで売り出していたのも事実だ。しかし世界全体の気象や環境が激変している中で果たしてこのダムが湯原温泉や下流の町々にとって今までのように守り神でいられるのか不安も出てきた。ダム直下に住む我々は、今までのように人任せでは済まない。今後は、積極的にその管理に口出ししていく事が必要と思われる。


                 2007年 6月号

81:賑わいの創造 その2
昨日、待望の本格的な足湯と手湯が完成し市長も参加しての注湯式が行われた決して大きくはないが足湯と手湯が同時に楽しめ、しかも景観が素晴らしい場所に作られた。湯街の中心という事で賑わいの重要なコンテンツとしての期待も大きい。この足湯の建設に呼応して対岸の名勝「鼓岳」のライトアップも別の事業で数日前から行っている。さらに鼓岳のいわれの看板も設置し湯街の中心地らしさが出てきた。  ところで温泉街の賑わいとはどんな物なのだろうか?二昔前のイメージならば宴会後のおじちゃん達が夜の町に繰り出してスナックや赤提灯が賑わう様子の事だろう。今でもそのイメージを抱いている人達も多い。しかし果たしてそれで良いのだろうか?お客様の層は、明らかに変化している。圧倒的に昼のお客様が多いのは事実だがそのお客様達が必要としいてる物が何なのか理解できていない。夜の町にしても同様だ。温泉地らしいお店が欲しいと空き店舗対策を行っている訳だがいったいどんなコンテンツを用意すればいいのか?お昼には、立ち寄り入浴の後、地域ならではのメニューを取り揃えた食堂、若者も興味を引く小さなミュージアム、コンビニも必須のアイテムかもしてない。今、私が実験的に行っているロンドンタクシーを使ったエコツアーなども工夫次第では古都の人力車と同じぐらいインパクトがあるのかも知れない。アウトからインまでの手すきの時間を時間を利用してのアンティークオルゴールのコンサートなど出来うる限りの事にも挑戦して町の賑わいの創出に努力してみるつもりだ。住民も立ち上がり新しい町づくりの動きが出てきた。従来の観光の視点ではなく、そこに住み暮らす住民の皆さんの町づくり多くの皆さんの参加を期待したい。 画像添付:2点


                 2007年 5月号

80:賑わいの創造
温泉街の明かりがまた一つ消えた。温泉街の真ん中にある店構えも立派な土産物屋さんだったが突然に閉店するという話が伝えられてきたのだ。高齢で後継者もなく余生は都会で暮らしたいと言う思いなのだとも伝え聞いた。予想していた出来事だが空き店舗対策など行っている最中だけにみんな危機感を強めている。ある意味、旅館の倒産閉館より温泉町全体の賑わいの部分では手痛い打撃なのだ。何とか組合で借り上げて運営する方向を提案したが当面は住まいとして使うので直ぐには話にならない。実は、この様な店舗を辞めて家が住居だけで利用されるパターンが湯街全体の賑わいを出したい全体の都合で言うと困る訳です。この先もこの様な空き店舗は確実に増える。これはもうどうしようも無い事のように思えてくる。過ぎ去った過去の賑わいを元に戻すとこと自体が間違った考えの様に思えてきた。別の視点で賑わいを創造する方法を模索する事も必要のようだ。町では数々の振興プロジェクトを行っているが賑わいと空き店舗に的を絞った振興事業を有志で行う事になった。行政との連携も不可欠なので連絡は密に行っていく予定だ。具体的には専任の事務局を置き、家主との交渉を腰を据えて行うとか、新規事業参入者への補助金のお世話など、また空き店舗の軒先を利用した屋台のお店の運営などのアイデアも取り入れる考えだ。また各旅館やホテルでもロビーを開放したりコレクションのギャラリーを開くなど若者の参加者から面白い提案もされている。さらに手足として動くスタッフを置き屋台などの直接的な運営やイベントの開催などにも柔軟に対応できる体制を整える。まだまだ絵に描いた餅だが温泉街全体が危機感を持った今がチャンスと世話人達は思っている。合併による再編で今まで口が出せなかった市の教育委員会が管理する資料館などが一度閉鎖され改めて民間に運用を任せる話もありこれらを拠点にする事も出来そうだ。今までの茹で蛙的状況から一軒の土産物屋さんの閉店がきっかけとなり大きく動き出す気運が高まってきた。このプロジェクト名は、湯原の光プロジェクト。夏までには成果が見えてくると思う。  我が家の前に湯原温泉としては、初めての本格的な足湯がまもなく完成する。今までも河川公園には3ヶ所の足湯があるのだが屋根が無く雨の日や冬季は使えなかった。この足湯には手湯に飲泉の設備も整った本格的?仕様となっている。湯街中央の施設だけに賑わいの核にもなってくれるものと期待している。この足湯から携帯でかき氷やコーヒーなど出前が出来る仕掛けやここで温泉道場を開くというのも面白そうだ。足湯でなごみのフォーラムなんてのも面白そう。


                 2007年 4月号

79:3月28日 温泉の未来の為にも森の復活を・・
温泉学会の西日本大会を湯原温泉でお受けする事になりました。3月28日に開催されます。昨年の秋に旅行ペンクラブの皆さんからお話しがあり現在、その内容について具体的な詰めを行っています。テーマは、「現在の温泉問題について」と言う事で決まりそうです。そこで物議になりそうなのが環境省が出した水質汚濁防止法。温泉の成分にも含まれるホウ素やフッ素が排出規制の対象となり暫定期間が終わる今年7月からは温泉宿もこの基準を守らなければ営業を続けられないという問題です。この水質汚濁防止法には多くの問題点があり、私的にはこのまま実行される可能性は、まず無いと楽観視しています。その理由として一つは、本来、化学工場などの公害対策から生まれた筈で温泉が人工的な加工製造作業に伴う有害物質の排出に当たるとは思えないという点、2つ目は、同じ温泉利用施設でも対象となるのは旅館業だけと言う点、3つ目は、自然噴出線も大深度削堀泉も同じ扱いという点。この矛盾だらけの法律がこのまま施行されるとは信じられないのです。ただ関心のない方には理解頂けない世界の話なのでアピールは、しっかり行う必要があると思っています。議論すべきは、温泉という自然の恵みを未来まで守る意味で環境問題について大いにすべきだと思っています。温泉の保護というと削堀問題もありますがそれ以前の大きな問題があります。山の中に住んでいると近年の環境変化に敏感にならざる得ません。温泉も元は雨であり森が無くなればいずれ枯れます。豊かな海を取り戻す為に漁師さんが植林を行っていますが温泉で活きる者も同じです。今湧いている温泉が1万年前に降った雨なのか100年前の雨か、はたまた昨日降った雨なのか、うちの温泉の場合その調査分析を行っていないので不明です。また川の伏流水という事ならばその純粋に汚染問題も大いに気になります。しかし何れにしても元は山に降った雨。重要なのは山の森という事になります。また森と言っても杉やヒノキばかりの人工林は非常に脆弱と感じています。椎の実やドングリなど実もならず、動物を養う力もなければ保水力も無い。事実、戦後の経済成長期に植林された山々は、今、無惨な状況になっています。樹齢50年の木々が少しの風雨でバタバタと正に根こそぎ倒れ、土砂災害の引き金になっています。保水力が無いので少しの雨で鉄砲水が流れてきます。先般、ゼロ・エミッション・フォーラムに参加した際、C.W.ニコルさんのお話を聞きその思いをさらに深めました。イギリスでは600年前に熊がそして400年前に猪が絶滅したそうです。日本は、人口が密集した先進国として、ある意味、例外的に自然の残っている国だそうです。しかし今、急激に環境が変わりつつあります。適切な対応し本来の自然に近い森を復活させなければ熊も猪も絶滅し温泉も枯れ、海も死んでしまうかも知れない。動物たちが生き残れる混合林の育成が急がれる課題だそうです。最近は、すっかりエコ叔父さんになってしまった私です。3月28日の温泉学会では、馬鹿な水質汚濁法の議論以前にこんな視点で話が膨らめば面白いと思ってします。ご興味をお持ちの方は、ご参加下さい。


                 2007年 3月号

78:ゼロエミッションフォーラムin真庭
 2004年に都市再生事業とトラディショナルの予算を頂いて温泉プロフェッショナル養成事業を行いました。ソフト事業なので形に残る物としては、計画書と温泉指南役の養成と「あとなんだっけ?」程度、何故なら良い計画もお金が無いと実現出来ない事ばかりだったり、既存の資料館の使用目的を変更する物だったりと気長に取り組まなければならない事だったので資料を取り出さないと思い出せないのです。小さな旅館組合とは言え直面する事業も多く特にここ数年は合併した市に組み込まれてから観光行政も少々複雑化してそれへの対応に慣れるのに精一杯という状態が続いてます。ところが昨年末あたりから様子が変わってきました。まず本書でも度々ご紹介させて頂いたバイオディーゼル。天ぷら油の燃料化事業も元ネタは、温泉の湧く川やその源の山など環境問題から派生した事業だった訳です。そして今度は、その時膨らませた夢を実現できるかもしてない話が持ち上がってきたのです。地域再生計画に乗れるかも知れない。今まで半分は諦めていた事が実現できるかも知れないと思えてきたのです。さて困ったのが人手不足。この追い風を受けるには作文やら何やらみんなの考えをまとめて絵を描き行政と調整を行う事務局的な人手が必要なのだが、現状は今までみんなを誘い出し帆船に乗り込んで船出したものの大海のまっただ中で風が吹かず、ひたすら汗を流し励まし合ってオールを漕ぎ続けていたところにようやく風の気配が感じられ出した。今こそ帆を張り目標を定めて一気に船を進める時。ところが世の中そんなに甘くない。いざ帆を上げようとしてみたら綻びだらけ、さらに船底からは水まで漏れていてそれの汲み出しや修理に人手を食われて帆を上げ操る人がいない。誰か手伝ってくれる人は居ないでしょうか?これから湯原温泉は、面白くなりそうなんですけどね。しかし仕事も滅茶苦茶多い2月23日には国連大学のゼロエミッションフォーラムが湯原温泉で開かれます。3月には温泉学会の西日本大会とイベントも目白押し毎年の事ながらハードな年度末になりそうです。


                 2007年 2月号

77:正月旅行は何故減った?
 明けましておめでとうございます。本当は、年末には出稿しておかなければならなかった原稿なのですが正月五日に書いています。電話では担当さんから原稿の矢のような催促。この号の発売が遅れたらその理由は、私の所為だと思って下さい。せっかく締め切りオーバーの原稿なら正月のリアルな温泉町の状況について書かざるえまいと言う事でレポートします。今年の年末年始のお客様の入り込みは最悪でした。一昨年あたりから直前にならないと予約が発生しない傾向がありました。昨年は、当日でも空室があり冷や汗ものでしたが飛び込みのお客様で何とか満室になったという状態。そして今年は、三が日に空室を出してしまうような有り様となりました。あれこれとその理由を考えています。まず一番には、努力不足。正月は満室になるものとプランやイベントに工夫をまったくしていなかったとか点を素直に反省しています。年末に昨年夏に流失した町の名所「砂湯」の復旧が行われ奔走していたので自社の事は殆ど人任せ状態とこれはこれで言い訳を考えています。他の地域の様子が今のところよく判らないのでここから先は推測に過ぎないのですが全国的にも、あまり良くなかったのではと想像しています。と言うのは外的要因も少なからずと思っています。12月当初にマスコミ各社が「ノロウイルス」の異常な感染拡大を報じていた事。年末には全旅連の厚生労働省への働きかけのお陰で新聞の記事から姿を消しましたが、それまでは高齢者の死亡事例等も報道され緊急事態とも受け取れるようなマスコミの取り上げようで、これなども旅行を控える一因になった様な気がします。例年なら「嘔吐下痢症」が流行ってるから気を付けましょうね。と言う感じで済んだものが一般的には聞き馴染みのない「ノロウイルス」と言う言葉に変じまるで鳥ウイルスやSARSの様なパニック的な報道だったように思います。これが年末年始の人出を少なくさせたのでは無いでしょうか。またもう一つの要因として地方都市部での12月始めにスタートした「地上波デジタル放送」が原因という事も考えてます。このタイミングでの地デジ開始は、大晦日の国民的行事「紅白歌合戦」を家族揃って高画質の地デジ放送で見たいというお父さんやお母さん方の気持ちを揺すぶったに違いない。その結果、年末のボーナスを家族旅行から地デジ対応大型テレビの買い換えに消費され家族旅行が消滅したと言うような事も有り得るかも知れない。まぁいずれにしても想像であり自分の営業努力の至らなさを他にすり替えているに過ぎないのですがね。個人所得が充分上がっていれば両方に振り向けられるのでしょうが景気の回復もそこまでは上昇していないという事なのでしょう。さてさて今年は、どの様な年となるのでしょうか。パソコンの買い換えブームの予感もありますが地デジ対応テレビほど家計には影響しないと予想しています。皆様にとりまして良い年になりますように・・。


                 2007年 1月号

76:ふだん着の温泉 撮影記
顔なじみのNHKの記者が突然久方に訪れた。天ぷら油の燃料化事業や温泉指南役などで度々取材に来てくれている方だった。今回は、ホノボノとした「よしいくぞう」さんの歌でもお馴染みの地域密着型の番組「ふだん着の温泉」の取材をしたいという申し出だった。七月のダムの放流で流失した我が町自慢の共同露天風呂「砂湯」の復旧を住民総出で行ったのだがその様子を他のニュースで見て温泉を観光客の視点ではなく住民の目線でその関わりを取材したいというのだ。それならばあえて観光客には開放されていないいわばバックヤードの住民だけが利用できる温泉を取材してみるのも面白そう。地元では洗濯場とか川湯と呼ばれている生活に密着したお風呂がある。それを取材してみるのはどうだろうと提案してみたのだ。はたして初めて洗濯場がテレビで紹介される事になった。この川湯は、川沿いの観光客からは目の付かない場所に隠されて作られており、湯街のあちこちにある。昼はご婦人方が井戸端会議ならぬのように足踏み洗濯で賑わい、夜は、住民の方がお風呂として利用している正しく「ふだん着の温泉」そのものだ。しかし取材に入ってみると住民から取材拒否に困惑する事になった。観光客には開放されていない部分だけにそれが放送されると困るというのだ。もちろん放送時にはその旨は考慮すると説得はしたのだが三ヶ所で断られてしまった。結局、うちのホテルの前の大きな岩を利用して湯船が作られテントで覆った川湯とそこを利用されている住民の方の交流にスポットを当てて番組作りを行う事となった。主人公は、裏の酒屋のご主人とその家族と言う事でその家族の生活に密着取材する事となった。取材は、七日間に及んだ。酒屋のご主人は、酒の配達など仕事に精を出しながらも合間に野球チームに入っている小学生の息子とキャッチボールをする親子。試合に送り出すのに頑張ってもらいたいと願いを込めて弁当を作るお母さん。試合に臨んだが力及ばず敗退した息子。しょんぼり帰ってきた息子を父親は、川湯に誘い何気ない会話の中で励ます。レギュラー選手で出られなかった悔しさ、代打で登板したが三振に打ち取られたクチ落ちさ、川湯に浸かりながら交わされる親子の会話に都会では忘れつつある住民と家族が一体となったホノボノとした会話が繰り広げられる。先日放送されたが狙い通りホノボノとした良い番組に仕上がっていた。温泉地にあって観光客が立ち入れない温泉の存在する事。いわば温泉町のバックヤードであり飾り気無いある意味で本当の温泉町の姿であり温泉の文化や歴史が滲み出る場所なのだ。この川湯をテレビを通じて紹介頂けたことで温泉町の奥深さがご理解頂けたと思う。久しぶりに清々しい気持ちで取材に協力できた。この番組は、深夜や早朝、またBSなどで度々再放送されます。是非、ご覧下さい。


                 2006年 12月号

75:ハウルの動く城
 ダイアナ・ウィン・ジョーンズのファンタジー小説、「魔法使いハウルと火の悪魔」を原作とした宮崎駿監督によるスタジオジブリのアニメ映画「ハウルの動く城」、魔法と科学が混在する、近代のような世界。遅ればせながらその映画に嵌っている。私の場合、物語その物というより、「その映画のシーンに登場するメカニックな物(例えば、蒸気エンジンの車)や摩訶不思議な機械(例えば、ハウルの動く城その物)の動力は、何をイメージしたのだろうか?」と言う部分で引き込まれた。バイオマス事業の関連で木屑を燃料にしたタービン発電機や暖房用として木質ペレットのボイラーやストーブが地域で次々と導入されているいるのだが、これだけでは当たり前すぎて芸がない。何か面白い物はないか、と探していた時にこの映画を見て閃く物があったのだ。ハウルの動く城が壊れ掛けた時、まるでゼンマイ仕掛けのようなバタバタした動きになるのですがそれにそっくりな動き方をするスターリングエンジンを見つけたのだ。スターリングエンジンは、ボイラーの爆発事故が続発し死傷者が後を絶たない状況にあったスチームエンジンに変わる安全な動力として1816年に牧師であったスコットランドのロバート・スターリングが発明した温度差で気体が膨張圧縮される特性を利用したエンジンで画期的な発明だったのだが普及し始めた直後にパワフルな内燃機関のガソリンやディーゼルエンジンが発明された為、幻のエンジンと呼ばれ忘れ去られていた。それが今日、地球温暖化が大問題となり二酸化炭素の削減が求められる中で燃やす事の出来るあらゆる燃料が利用できたり、エネルギー密度の小さい温泉など自然エネルギーからでも動力を取り出す事が出来る事から古くて新しいエンジンとして注目されているのだ。とりあえず2種類の模型を購入してみた。アルコールランプで動く真鍮製のエンジンは、M字型に取り付けられたクランクの動きがとてもコミカルでその動きは、「ハウルの動く城」を想沸させる。手平の上で体温の熱と室温との温度差という低温度差で動くエンジンは、50度の温泉が豊富にある湯原の地域の人々にとって、このエンジンの可能性を現実的な物として認識して頂ける良い教材となっている。深い山里の地にあって林業が主要な産業であり、製材で出る木屑は大量に焼却処分されていた。現在、その木屑は、木質ペレットに加工されて容易に輸送でき燃焼時の火力コントロールも容易なのだ。湯原温泉のある真庭市でのペレット生産は国内の70%を占める量となっている。安価な燃料として安定した供給が受けられるのだ。温泉も掛け流しが基本なので40度程度の排湯が大量に捨てられている現状だ。2種類のスターリングエンジンを何とか実用化させそれで生まれたエネルギーで湯原温泉をハウルの動く城にしてみたいと思っている。

   


                 2006年 11月号

74:ピタゴロスイッチ
 NHK教育放送の子供向け番組で「ピタゴラスイッチ」と言うのをやっている。その中で「ピタゴラそうち」という部分があり身近にある雑貨や玩具の動きを連結させた動きにして遊ぶ。例えば玩具の車が走ってきて箱を倒すとビー玉が転がる。そのビー玉が机から落ちると下に置いてあった定規のシーソーに当たり、勢いで消しゴムが飛んでいき籠の中に入る。籠は滑車の付いた紐でぶら下げられていて飛び込んできた消しゴムの重みで滑車が回り別の紐を巻き取り旗が揚がる。実際には、もっと複雑な動きを連結させているのだが見ていてとても面白い。  この番組を見ながらフト思ったのだが私達がやっているまちづくりの一連の事業は、まさしくこのピタゴラスイッチのように繋がった動きの感じられる。物語になっているのだ。 まず最初に起こしたアクションは、「何処に行く湯原温泉」と銘打った温泉街の方向性を見据えるビデオ作成から始まって→露天風呂番付の発掘と宣伝グッズとしての活用→それを広める為の「露天風呂の日」イベント開始→温泉町に暮らすなら温泉に詳しくなければならないと言うところから「温泉指南役養成事業」→結局のところ温泉は健康づくりであり癒しだと言う事で人間ドック付き宿泊プラン「ホットドック」→せっかく指南役がいるのだからお客様に聞いて頂ける場所と言う事で「温泉道場」→温泉に拘る裏付けとして検証できる場所も必要・・で「温泉資料館→さらに温泉について突き詰めていくと「温泉は自然の贈り物」→であるならば海の漁師が山に木を植えるように我々も環境問題に積極的に関わる必要があると言う事で→まずは手近なところからと川を汚さないように「天ぷら油回収事業」→その燃料なら排気ガスが綺麗なので地域環境が良くなると送迎車を走らせる「バイオディーゼル燃料事業」→これらの流れをお客様にも知って頂こうと「エコ観光ガイド」→見渡せば地域でもバイオマスをやっているじゃあないか、それならドッキングさせようと「産業観光」に参加するしよう・・と言うような流れで話はドンドン進んでいく。それぞれ個別の取り組みもそれなりに目立ち社会から注目もされた。またそれらは今でも継続して行っているし枝葉もついて賑やかになっている。さて次は何をする事になるのだろうか?当面、急がなければならないのは温泉街の空き家対策、旅館が何とか引き継いでいっているのだが飲食店や土産物屋さんが寂しくなっている。住まいも兼ねている家が多いので借り上げて店を継続させるのも難しい。何とかこれもピタゴラスイッチの一部に組み込んで動かせれば面白いのだが。「風が吹いて桶屋が儲かる」次元では面白味に欠ける。何とか知恵を絞って繋がりのある町づくりを行いたい物だ。ホテルの前の消防団の機庫が移転する事になった。通常は、ガレージが降りた状態なので移転後は、何かに使えないかと考えている。川沿いで景観が良い場所なのでここに足湯が良いのではないかと思っている。足湯は、今も4ヶ所あるのだがいずれも河川にあり屋根付きの足湯がない。休憩所にもなるし景観もバッチリ、さっそく市に提案書を出す事にしよう。  

トラベルニュース:原稿:古林伸美
                 2006年 10月号

エコでバイオな産業観光
 木造の古い小学校の校舎がその温泉町の観光資源の一つになっている。統廃合により今は、市役所の支所となっている。校庭に立つ二宮金次郎も健在だ。  山間にあるその町は、町村合併により市となったが林業と観光以外とりたてて産業もない。森林資源が豊富と言えば聞こえが良いが見渡せば山ばかり、森林しか資源が無いと言えなくもない。市の中心地域には多数の製材所があり、モクモクと木くずを燃やす煙がたなびいている。木くずは、その製材所で焼却される木くずは、年間180万トンもあるという。温泉町の総湯量が年間305万トンだから、ここでの製材事業が如何に盛んか想像できると思う。この木くずが今、まちづくりに役立っている。市は、国のバイオマスタウンの指定を受け、この木くずを利用した色々な製品やエネルギーを作り出している。Yahooショッピングで一躍人気商品になった「ネコ砂」や癒しの香料として人気のある「ひのき油」、コンクリートの10倍の保水力があり都市のヒートアイランド現象の対策に使われる木質コンクリートブロックなどが製品として作られている。エネルギー分野では、木くずを粉砕、圧縮して作られる木質ペレットは、ストーブやボイラーの燃料として使われるが、国内の7割がこの町で作られている。またガソリンの代替え燃料として使われ二酸化炭素削減の切り札とも言われているエタノールの実証プラントもある。このエタノールも木くずを糖化して発酵させ製造されるものでサトウキビのように食料に利用されていた物を振り向けるのではなく廃棄物から生産できる燃料である為、注目を浴びている。  これらの事は、一見したところ観光とは無縁だが視察の受け入れという新たな産業観光の道も開かれた事となった。昨年は、2万人が訪れている。しかし温泉街を単なる産業観光の宿泊地としてしまったのでは、面白くないし昨今の地方議員先生の乱行問題で視察地として温泉地は敬遠される傾向もある。あえて温泉地に泊まらせるには、それなりの理由がいる。そこで始めたのが廃食用油をバイオディーゼル燃料にして送迎車を走らせる試み。バイオマスタウンの一翼を自ら担う事業を行う地域としてアピールする事。  バイオディーゼル燃料(BDF)事業は、地域の理解も得られゴミステーションでの回収も行われるようになり温泉地域から他地区に拡大を続けている。  視察の皆さんへのBDF事業の説明会は、校舎の2階で行われる。ノスタルチックな雰囲気の中で、ゼロエミッションの温泉は自然からの贈り物であり環境に配慮するこの事業は、自然への恩返しと説く。なかなか良いシティエーションなのだ。


                 2006年 10月号

73.エコディーゼル燃料「EDF」その後U
 最近は、インターネットの宣教師から「エコおじさん」になってしまった。うちの組合のバイオディーゼルと製材所の木くずから作られる木質ペレットや燃料の木質エタノールの実証工場など視察が次第に増えてきたのだ。俗に言う産業観光と呼ぶコースだが、その中にしっかりと組み込まれている。主に地方自治体の議員さん達の視察だ。  8月の原油の値上がりにより軽油の値段も125円まで高騰、天ぷら油を精製した代替え燃料「EDF」は、普通、軽油に20%混ぜた「B20」と言う規格で作られている。その場合、32円程度の軽油税が掛かるので通常の軽油との価格に大きな差は発生しない。ところがうちの場合は、「B100=100%」で利用しているので軽油税は掛からない。現在、1リットル75円で組合員にのみ利用してもらっている。軽油の高騰で50円の価格差が出てきたのだ。旅館組合としてこのEDF事業を始めた目的は、「温泉は自然の恵みであり、EDF事業は自然への恩返し」という「エコロジー」と言う視点であったのだが、同じエコでも「エコノミー=安い燃料」という次元で飛びつかれたのでは面白くない。特にテレビ等で取り上げられる都度、視聴者から「安い燃料を売ってくれ」と問い合わせがあり少々戸惑っている。とは言うもののお陰で地域での認識は高まった。8月からは、市の協力で地内28ヶ所のゴミステーションに廃食用油回収の為の容器が置かれた。そこでの回収状況も順調で当初予定の月一の回収では間に合わず早々に満杯になり急遽、回収に赴く必要が生じるなど供給面でも拡大している。非常に結構な話なのだがここまで話が広まるといつまでも旅館組合だけの事業という訳にいかなくなってくる。来年には、EDFも規格化されると言う話もあり、今後はその点を睨みながら方向転換して行く必要もありそうだ。  エコロジーの視点では、もう一つ面白そうな事ができそうだ。EDF精製の過程に置いてアルコールを使用するのだが通常メタノールが使用される。これをエタノールに変えて精製する案だ。メタノールは、石油から作られておりエコロジーの視点から少々面白くない。地内には木質エタノールの実証プラントがありそこで製造されるエタノールは純度99.8%なのだそうだ。EDF精製時に水分は大敵でアルコールの純度が悪いと精製できない。通常流通しているエタノールは純度95%程度の物であり、これを利用する為には特殊なフィルターで純度を上げる必要があるのだが木質エタノールだとそのまま使用できる。この木質エタノールは現在、市の公用車の燃料としてガソリンに3%混ぜられた「E3」として利用され走行試験を行っている。これをバイオディーゼル燃料にも使わせて頂こうと提案しているのだ。これがかなえば100%バイオと言い切れるEDFとなり地域内で連携した新たな試みとして全国初の事業と言える。


                 2006年 9月号

72.水害復旧
   25年ぶりのダム大放流
 今から50年前の町のキャッチコピーは、「ダムと出湯の里」と言う物だった。ダムの直下にある露天風呂は、町一番の名所でありダム(堰堤)をバックにした露天風呂の風景が今でも湯原温泉の顔であることに違いない。このダム、滅多のことでは放流しない。3年とか5年に一度とかにあるかないかだ。今年7月の長雨には、さすがに支えきれず一気に大放流が行われた。1秒間に300トンの放流に通常の放流なら流される事のない露天風呂の屋根や脱衣室までまるごと流れた。放流は、2日間続き川の汚れを根こそぎ流した。放流が終わると急激に水が引いていく。町の世話役が広報車で「みんな集まれ!」と呼びかけると大人達は、スコップや鋤簾を担いで繰り出し土砂で埋まった露天風呂を掘り出したり生活の中で利用している地域の湯場の復旧に精出す事になる。子供たちにとっては放流後の川辺は、絶好の遊び場となる。河川の駐車場や足湯の場所の植え込みの土砂は流され大きな窪地があちこちに出来ている。窪地には、澄んだ水が残り虹鱒や鮎など多くの魚も取り残されている。ウナギや鯰もいる。魚の「つかみ取り大会」だ。歓声があちこちで上がる。足湯に出来た窪地には大山椒魚がぞろぞろと出てきた。子供たちが救出し川に戻していく。中には70センチ級の大物もいた。暫く姿を見かけなかった大山椒魚(はんざけ)の出現に自然の逞しさを感じ川に戻す子供たちに優しさに嬉しくなった。一方、露天風呂の掘り出しに参加した大人達は、懸命に復旧作業に精を出す。重機を入れるとつややかな岩肌に傷が付く為、全て手作業で行われる。さすがに大勢の力は、大した物で数時間後には、元の露天風呂に甦った。変な人為的な構築物が無いだけ自然な感じがして良いと意見が一致。暫くは昔のように岩の上に脱衣しての入浴を楽しんで頂こうという事になった。



                 2006年 8月号

71.若者のありがたさ
   総力戦、学徒動員。
 昨日、温泉街の総力を挙げて行っている「6.26露天風呂の日」が無事終了した。今年で20周年を迎える大イベントだ。このイベントには湯原温泉が持つあらゆるコンテンツを投入する。僅か一日のイベントだが町を挙げての総力戦になる。商工会の青年部、女性部、旅館組合の青年部、女将さんの会などが祭りの中心だが準備段階での清掃活動などには小中学生からなるスポーツ少年団やシルバーの皆さんも協力して下さった。式典では保育園児らもマーティングで参加頂き華を添えてくれた。旅館の面々は、このイベントの一番の魅力となっている内湯の無料開放で訪れるお客様のご接待、飲食店もそれぞれに工夫を凝らした弁当の販売や店先での賑やかし、シルバーの皆さんもゲートボールやグランドゴルフを記念大会という形で開き盛り上げてくれている。行政の皆さんも駐車場や交通案内、記録係などで頑張ってくれている。この様にあらゆる内容のイベントが同時進行する形なので町の瞬発力が求められる。そこで新たなる戦力として地元大学の学生達に観光ボランティアとして参加頂くことになった。以前から教育実習で協力させて頂いている岡山商科大学の学生さん達に青年部の配下として参加頂いたのだ。人員は、引率教員2名、男子学生3名、女子学生4名でした。前日から入りテント張りや机椅子の配備、当日は、朝四時半には起床して儀式に参加し大雨の中、露天風呂の清掃や風船づくり、その後は、本部やバザーの手伝い、最後の片づけまで終日レスポンス良く動いて下さった。一番嬉しかったのが学生達の参加で町が吃驚するぐらい若返ったのだ。街角のあちらこちらで部署を守るスタッフの面々、何かのテレビコマーシャルではないのだが、ある意味慣れてしまっている地元のスタッフの中に若い学生が数名入るだけで雰囲気が変わってくる。やはり若者が町をリードすると言う事を実感したイベントとなった。ありがとう露天風呂、ありがとうスタッフの面々、ありがとうお客様。今年は、イベントに対するアンケートに苦情は、一件も無し、スタート時、大雨でお客様は、昨年より少なかったとは言う物のその分、満足度は高く内容の濃い良いイベントが出来たと自負している。 PS:イベント:ロンドンタクシー大活躍 「露天風呂の日」には、旅館組合のEDF事業説明コーナーも設けた。そこでは燃料の製造工程の説明を行い、ロンドンタクシーに体験乗車して頂いた。休ませる間もない程の人気コーナーになり説明用員に科学に強い学生を増員したり、運転手も整備担当者を増員するなどてんてこ舞い。EDF事業も真庭市全体で行うバイオテクノタウン構想に組み込まれ視察の対象ともなりました。


                 2006年 7月号

70.深刻な山の荒廃
 湯原温泉は、狭い谷間の温泉街なのでどこも間近に山が見える。山を眺められると言う程度ではなく山の木々の一本づつがそしてその枝に留まる鳥たちの営みまで見える。山との狭間にある川の様子や生き物の様子まで日々の変化が季節や日々の変化の中で見て取れる。近年、大きく山や川が荒れている。川は、雨が降ると見る間に増水し雨上がりには石ころの河原が広がる。そして生きた木まで流れてくる。山の治水能力が無くなっているのだ。少しの雨で鉄砲水が出てくる様ではここに住み生き物たちも居心地が悪かろう。特別天然記念物のオオサンショウウオや河鹿蛙は、どうしているのだろう?ホタルの餌のカワニナもごろごろと流れる岩では住みにくいだろう。数年に一度はやってくる集中豪雨も川がこんな状態では過去の経験以上の惨事になりかねないと憂える。重要な観光ルートも度々土砂崩れで封鎖され入り込み客数に重大な影響を与えている。同じ場所が範囲を広げながら繰り返し崩れている。大雨が降った訳でもない。「今日の雨は、よくふったなぁ」程度の雨で山が崩れる。崩れた現場の上部の木も根が浮き傾いている。このままでは梅雨に入ればこの先も崩れ続けるだろう。何故この様な事態になったのか?調査員の言葉に唖然とした。「ヒノキや杉など植えてはいけない場所にまで植林した結果がこれですね。」戦後復興の為に大量の木材が必要とされ今まで雑木しか生えなかった急な斜面や岩山での少しでも土が有れば植林された。植林されたヒノキや杉が小さな時には問題なかったのが50年の年月で条件の良くない場所でもそれなりに大きくなった。しかし針葉樹の根は、思った程広く深く張らないのだ。幹や枝葉に比べて根が浅く狭いので大風が吹くと木が揺さぶられ根が岩盤などから浮いてしまうのだ。そこに雨が降ると表層雪崩と同じ理屈で地崩れが起きる。その様な理屈だそうだ。多くの人を悩ませる花粉症も植生を無視した利益優先の農林政策の結果であるが一見自然災害と思われていた土砂崩れも実は、災害でなく人災と言えるかも知れない。製材業者が多く林業関連を中心に据えた杜市作りを進めようとする我が市ではあるがもう少し自然にお伺いを立てた施策をとらないと失敗を繰り返すだけになりそうだ。先の土砂崩れの場所では通行通の自家用車が巻き込まれて死亡した事故や復旧作業中の事故ですでに3名の人命が失われている。一昨年の台風23号で山一面の木がなぎ倒され無惨な姿をさらしている景色は、さすがに減りつつあるがその同じ場所に倒れた同じ種類の建材用の木々を植樹させる為にしか補助金を出さないという国の施策は、馬鹿としか言うほか無い。建設土木と農林の連携のなさも人災の一因となっている。山にブナや楓実のなる木があり小鳥が枝でさえずる様は、気持ちが休まる。ヒノキや杉が植えられている山を見るとムシャクシャしてくる。春先に杉が風に揺らぎ花粉が舞いる様を見ると雷でも落ちてあの杉林が燃上がって消えてしまう事を密かに願う。市政で森林関係の話が耳にはいると無策を罵り夜叉になる今日この頃の私です。


                 2006年 6月号

69.GW大型連休って、誰がなのさ?
 今回は、話のネタが思いつかず原稿の締め切りも大幅に遅れ焦りまくってゴールデンウィーク真っ最中に原稿書いてます。一言書いたら電話の対応で中断という状態が続いており文脈がズタズタで何度も書き直しています。その間もひっきりなしに問い合わせの電話が掛かってきます。今年のGWは、異常に電話での空室の問い合わせが多いです。その内容は、こんな感じ、お客様「GWに行きたいんですが空室ありますか?」、私「ございますよ。何日がご希望ですか?」、お客様「5月3日か4日なんですけど・・」、私「申し訳ございませんがご希望日は満室になっています。」、お客様少し憤慨したご様子で「GW空きが有ると仰ったじゃないですか」。私「GWも今年は期間も長いですからお申し出の日にち以外でしたらお部屋もご準備できるのですが・・」、お客様「そうですか、ガチャ」。このやりとりが延々繰り返される。テレビでは大型連休で長期の海外旅行に出発する家族連れが映し出されています。4月29日から5月7日までの9日間がGWなのだとムードを煽り立ててます。しかし実際にこの9日間連休になる人たちってどの様な方々なのでしょうか。工場の製造ラインに携わる人たちぐらいしか思いつかない。結局、ほとんどの人々はカレンダー通りの休日で後は通常通り働かれているように思えるのです。それ故に予約は、後半の5月の3日から5日に集中していると思うのです。ここ数年の温泉町の不況ネタがマスコミで流れ植え付けられていて「温泉宿は、いつもガラガラ、直前に電話で予約できる」と言うイメージも有る様な感じはするのです。その結果「インターネットなど面倒なモノを使う必要もない、古い旅行誌で探せば何とかなるサ」と言うことか?等とあれこれ電話の多い理由を推測してみました。数人のお客様からその理由を聞き出す事が出来ました。「GWは、ごろ寝を決め込んでたんだけど女房にせがまれて・・」とか「仕事の関係で休みの日程が直前まで決まらず・・」とかの理由が主なようです。また中には「どうしてもお宅の宿に泊まりたくてネットで何度も確認してみたけれど空室が出てないので電話してみた」と仰られる嬉しいお客様もおられたり理由は様々ですが、限られた休日の中で宿泊予約を試みあれこれ手を尽くされて最後の望みを直前のキャンセルでの空きに託されてお電話を下さっているのだろうと勝手な結論を出してみるのです。そうであるならば一つずつのお電話に誠意を持ってお答えしなければと思う訳です。余裕が有れば組合のホームページで他の宿の空き室も確認しお知らせしてみたり、立ち寄りの入浴プランをご案内してみたりと試みるのですが多くは「満室」の一言を発した途端にガシャッと電話を切られる場合が多くその思いは、なかなか伝わらないのが実情ですが。こういった状況の時に最後に思うのは、この電話の何分の一でも普段掛けてきて頂けたならばありがたいと言うお決まりの思いに落ち着く訳です。 以上、連休実況中継でした。  


                 2006年 5月号

68.HP閲覧のお客様が電話予約になる理由
 最近、お客様は、ホームページをご覧になりながら電話予約されてくる「ながら予約」が多い。予約は、まだ良いのだがこの状態でお問い合わせを受ける事になると長電話となり、担当者を煩わせている。お客様にホームページに通常必要な情報は、掲載している旨をご説明するのだがどうやら「見るより聞いた方が早い」と言うノリで電話されてこられる様だ。実は、お客様は、電話されるまでには色々なメディアや場合によっては口コミでそれなりに情報を得られている場合がほとんどで、さらにネットでの情報もいろいろご覧になってインターネットでの予約方法もよくご存じなのだ。それでも電話で予約や問い合わせを行うのは、あまりに多くの情報を得られた為に混乱されているようなのだ。中にはじゃらんや楽天などで宿を選んでいる時点で他の施設の情報と混同されておられる場合も見受けられる。お客様ご自身もある程度その事は認識されており、その結果として直接電話で確認しながら予約する、または問い合わせをしてくると言うパターンになっているのだと私は、推測している。ここに辿り着く過程も千差万別で「じゃらん、るるぶ、まっぷる」等の雑誌から選んでインターネットで検索しオリジナルホームページに飛んでくると言う比較的ストレートな場合もあれば、雑誌→予約サイトA→予約サイトB→予約サイトC→オリジナルホームページ、と言う経路もある様だ。この予約サイトABCでは、価格やプランの比較をされていると思われる。雑誌では古い情報を見ている場合もありえる。その場合は、新しい情報を得ようとネット検索する事になるだろう。また宿の選択以前に観光ルートや宿泊地そのものの魅力を比較してwebサーフィンしている場合もあるだろう。いずれにしてもお客様に立場になれば、それなりに長〜い経路を得て私たち宿のホームページをご覧下さっている訳だ。その宿屋のホームページは、お客様にとっては、実際の旅行と同じ感覚で終着点「ゴール」と言う訳なのだ。  ほっと一息ついて宿の案内ページをご覧になる。イザ実際に予約しようと言う段になった時、子供の料理やお部屋の備品など、ホームページ上で見ればどこかに書いてあるのだろうが聞いてみたい事がいくつかある(沢山ある場合は、たーいへん)メールで問い合わせるのも面倒だし「電話してみよう、ついでに予約も」という事になるのだろうと思っている。インターネット上で完結するのがダブルブッキングも防げるし、何より宿の立場では手間が要らないのでありがたいのだが、お客様側から見れば値段に差がなければ雑誌だろうがネットだろうがみな同じ感覚なのだろうと思う。インターネット予約を特別扱いする時は終わったと思っている。


                 2006年 4月号

67.温泉道場とロンドンタクシーのその後
・温泉道場
 2月の温泉指南役養成セミナーで10名の新たな指南役が誕生した。これで延べ70名の指南役が温泉街の各施設で活躍してくれることになる。この指南役達の新たな活躍の場として温泉道場を開設した。毎週日曜日に行い宿泊客ばかりでなく日帰り入浴のお客様をも対象にしたこの道場で指南役達に交代で実践して頂き腕に磨きを掛けて頂こうというもくろみだ。場所は、温泉街の外れにある入浴施設を併設した道の駅、ここでお客様を相手に60分、温泉の蘊蓄を語りお客様に温泉の知識を伝えると共に指南役自身の伝える話術を身に付けて頂こうというのがこの道場の目的だ。ろくな宣伝も行っていないので参加者は、まだまだ少ないのだが4月からは、この温泉道場を宿泊プランとして売り出す企画も予定されており、将来は、温泉街のコンテンツの一つに育て上げたいと考えている。少々地味な企画だが先が楽しみだ。

・ロンドンタクシーのその後
 BDF推進の立場としては、本当は言わない方が良いのかもというお話しなのだが。100%バイオディーゼル燃料(BDF:食用廃油精製燃料)で走行を始めて百五十q。トラブルが発生した。大きなトラブルでは無いがお客様の送迎中など重要な運用中に発生すると困るのでお知らせしておきたい。購入時十二万qを超えていたという中古車で利用したというのが一番の原因なのだが、BDFの洗浄力により今まで蓄積していた石油燃料の汚れが剥がれ落ち燃料フィルターが詰まったのだ。高速道路走行中に上り坂で突然パワーダウン。アクセルを踏み込むと濛々と白煙がマフラーから噴き出し後続車や対向車までも仰天する程の煙幕を作ってしまったのだ。最初はオーバーヒートと思いこみ路側帯に車を寄せて暫くエンジンを止めて再スタートを試みたのだが1キロも走行すると直ぐに同じ症状が出てしまい上り坂は断念。運良く対向車線の場所であったのでユーターンし近くのインターチェンジまで戻った。下り坂や平坦に道であれば問題なく走った。対処は、ガソリンスタンドで充分対応できる範疇でフィルターを清掃するだけの事であった。この事が判ってさえいればBDFに変更時、ある程度走行した時点で点検すればその後は、問題ないと思われる。くれぐれも申し上げておきたいが天ぷらのカスが詰まった訳では無い。フィルター清掃後、約千五百q走行したがその後、問題は起きていない。燃費は、14q/L。

トラベルニュース 2月

冬の集客の難しさ

この冬の雪によるキャンセルや予約の見合わせは、まったく持ってひどいモノであった。12月中頃から積雪がありクリスマスには完全なホワイトクリスマスとなった。イベントのキャンドルファンタジーは、雪の灯籠が造られ本当に美しく寒さを堪えながら参加いていても感激した程、素晴らしいモノであった。ところが肝心のお客様は、全国各地の大雪のニュースに恐れをなしキャンセルが続出してしまった。私たちの温泉街は、京阪神や山陽の雪の降らない地域のお客様が大半なのだ。しかも近年は若いお客様が多いので冬用タイヤなど持っている人は、ごく希だ。TVや新聞で東北や北陸の雪のニュースが流れる中で積雪の予想される観光地に予約を入れる訳がない。JRやバスなど公共交通機関が便利な所であれば雪景色も立派な観光資源となるのだが自家用車でお越しになるお客様が全体の90%という土地柄では大雪イコール、大量キャンセルとなってしまう。例年なら本格的な雪の季節は1月の後半から2月中なのでその期間のみ徹底したお客様への積雪情報のご案内や対策をとっておけば良かったのだが12月の大雪は、1月2月の冬全体の予約を凍結させてしまった。過去、空室など出たことがない年末年始すら空きが出た宿も多かった。 この事態に30件の宿が団結した。ホームページなどで「無雪インター」までの送迎を各旅館が連携して行うと言うモノだ。車でお越しになるお客様は、JRやバスと違いご到着時間がまちまちで一軒の宿で送迎を行っていたのでは大変頻雑な事態が起きてしまう。そこで各宿が時間帯を分けて送迎を行い他の宿のお客様も一緒に送迎する計画だ。インターの駐車場でお客様にお待ち頂く訳にはいかないので大きな駐車場を持つ喫茶店にお客様を誘導しそこでお待ち頂く事によって時間調整を図り複数のお客様をピックアップしていく作戦だ。しかしこの冬の早い時期の積雪は、温泉街の結束を強固なモノにしてくれた。みんなが危機感を持って団結してくれたのだ。雪を逆手にとったイベントの実施や今後の集客しベントなどアイデアが次々と提案されている。それも従来にない早さで実行されようとしている。急激な状況変化は敏速な行動を起こさせるという良い例となりそうだ。


                 2006年 3月号

66.ロンドンタクシー その2
湯町内の送迎用マイクロバスを天ぷら油を再生した燃料(エコディーゼル燃料:EDF)で走らせる。EDFのメリットは、●地球温暖化防止(CO2排出量ゼロアカウント)、●硫黄酸化物を90%以上カット、●黒煙を60%以上カット等があり、環境に優しい燃料です。湯町は、狭い地域内で各旅館の小型ディーゼル車が顧客や従業員の送迎で走り回っている。自然が豊かな場所だけに環境への配慮も重要と考える訳です。温泉街の場合、このエコディーゼル燃料の需要と燃料となる天ぷら油の廃油の供給バランスが他の地域に比べてとりやすいのです。しかし旅館の廃油だけでは足りません。旅館以外の湯町全体の皆さんや周辺地域にも協力頂いて重要と供給の問題は解決するわけです。ロンドンタクシーは、その啓発活動の走る広告塔として効果をあげつつあります。現在、地域の小中学校を訪問して子供たちを通じて家庭の廃油回収を進める運動を行っています。回収した廃油の代価を教育備品の購入費用に充てて頂こうという計画です。PTAからの協力も得られ事業は、順調に拡大しつつあります。さてその走る広告塔のロンドンタクシーですが100%EDFで走らせて発のトラブル発生です。町内での試験走行で特に問題もなかったので春からの観光キャンペーンの打ち合わせ会議にこの車で乗り付け利用方法を検討しようと勇んで無謀にも100qの遠出に挑んだのですが家から50q地点の高速道上り坂でパワーダウン、騙し騙し待機帯まで持ってきたがエンジンダウン。暫しエンジンを休ませて再スタート。しかし猛烈なまるで煙幕でも焚いた様な白煙をまき散らしながら少し走ってまたダウン。この坂は、もう登れないと諦めてUターン会議出席を諦めて修理工場に持ち込んだ。原因は、燃料タンクのフィルター詰まり、てっきりEDFが詰まったのかと思っていたがタンクの錆が原因とわかり一件落着。現在、整備工場でエンジン、燃料系をリストア中。春からの観光キャンペーン本番前に不具合発見でホントに良かったととりあえず安堵しました。しかし次は、どんな不都合が見つかるやら・・



                 2006年 2月号

65.産業観光とバイオディーゼル
   ロンドンタクシー買っちゃいました。BR 昨年の秋に湯原町旅館協同組合ではリサイクル事業の一環として各施設の天ぷら油の廃油を買い上げて精製しディーゼルエンジンの燃料に再生し温泉街内で送迎に利用する車に利用する事業を始めました。廃油の精製は、地元の環境事業に関わる事業所に委託しました。我々施設側は、廃油を1リットル:10円で買い上げてもらって精製されたバイオディーゼル燃料を1リットル85円で買い取り送迎車で利用します。冬季は、燃料がジェル状になる可能性が有ると言うことで送迎車での利用は、暖かくなる春からの予定でしたが年末の寒波でも実験用車両で問題なく利用できているので予定より早く希望する宿には燃料供給する事になりそうです。ところでこの事業は、各方面で注目されています。バイオディーゼルの精製や利用そのものは、観光地に限らず各地方自治体等でも取り組んでいる所が多いのですがイザ実際に行うとなると燃料としての需要に対して廃油の回収が思う様に行かない場合が多い様でテスト段階で挫折している場合が多いという話を良く聞いています。現在、当組合で月間400リットルが廃油として回収出来る見込です。さらに給食センターなどからの回収分が300リットル程度集まるので精製時の歩留まりがざっと9割として月間600リットルの送迎車の軽油代替え燃料が生産できる見込となりました。リッター当たりの走行距離は、軽油と変わらない様ですので六千q分と言うことになります。狭い湯街の中での送迎用には充分な量と言うことです。旅館からは、現在7台の町内での送迎車で利用してみたいという希望が出ています。また真庭市の公用車にも一部使って頂く事になっていますので需要と供給のバランスは問題ないようです。  さてこの事業の内容が知られるに連れマスコミや視察の問い合わせが増えています。特に私の町では木材チップを使ったエタノールの試験プラントや木質ペレットの製造工場もあり二酸化炭素削減や循環型社会へ取り組む先進地として注目されており、それらの事業の関連として当組合への問い合わせが増えています。今回のロンドンタクシーの購入も実は、その取材などへの対応の為です。バイオディーゼルを利用した送迎車を絵として露出させることも多くなるのですが普通のワゴン車を撮したのでは良い絵にならない。クラシックなロンドンタクシーなら絵柄も話題性も高いということです。これなら観光キャンペーンのコンテンツとしても利用できると考えた訳です。何分にも古い車ですので現在は車両整備中ですが2月には排ガスが天ぷらの匂いと言う楽しいクラシックカーが湯街を走り回ることになります。産業視察観光事業と言う新しい湯原温泉の取り組みの中で活躍してくれることでしょう。


                 2006年 1月月

64.只今、留守番中。人家住まいの煩わしさ。
 今日は、留守番を仰せつかっている。久方の休館に家族総出となり普段出張や会議で出かけることの多い私に家内から「たまにはお留守番もしてね!」の一言の申し渡しをされたのだ。ハイハイと二つ返事で引き受けたモノのあまりの煩わしさにうんざりしている。考えてみると一人で留守番をするのは、数年ぶりのことである。まず参ったのが電話である。掛かってくる本数は多くはないのだけれど何故か問い合わせや予約の電話は、同じ時間帯に集中する。一人しかいない時に複数の電話が鳴るとちょっとしたパニックになる。こう言っては何だが細かな質問に長々と受け答えをしなければならない状況や巧妙なセールスに切るタイミングを見計らっている時に別の電話が掛かってくる。セールスならバッサリ切れるのだが問い合わせだと切る訳にも行かず旨く保留にもちこんでその電話に出るのだが切れてしまう。予約の電話を逃がした様な気がしてならず落ち込む。さらに別の電話が鳴る今度は、組合関係の連絡だ。状況を簡単に説明し直ぐに切らしてもらったのだが最初に出ていたお客も度々の保留にご機嫌を損なう。正しく二兎追う者は、一兎をも獲ずと言う状況。さらに鬱陶しいのがアポ無しの訪問販売と宅急便。宅急便など一々判やサインをしなくても勝手に荷物を置いて帰ってくれれば良いのだが結構ウザイ。普段は何ともない事が一人でお留守番していると猛烈なストレスとなっている事に気付かされる。電話も来訪者も時折の事なのだがそれらへの対応が同時に発生する。昔、家内の母が私の宿を「人家:ひとや」だから性がないとぼやいていた。商売する場所が住まいとなっていれば常に人が訪れ電話が掛かってくる。さらに宿屋家業では自分の家であっても自分の空間なりプライベートが無い。義母は、それを称して「人家」と呼んでいたのだ。生まれた時からこれが当たり前だと思っていた。青年部などで他の地域と交流しだしてから宿屋でも別に自宅を持ち三〇分の通勤時間を作り出している人がある事を知った。私には信じられない事だった。確かに暇な時とは言え二四時間、人屋にいるのは疲れる。仕事中は集中し通勤時間で気分を変えてプライベートな時間に切り替える。そんな環境が理想なのだろうが我が家では難しい。さてお留守番もそろそろ終了。夜になり空虚な時間が訪れると今度は、寂しさが襲ってきた。食事の準備もお茶も誰もしてくれない。TV相手にインスタントのラーメンをすすりペットボトルのお茶を飲む。何とも侘びしい限りだ。帰ってきたら家族に恨み言の一言も言いたい気分なのだ。しかし休業日の留守番でさえこの状況だ。普段、営業している時に当たり前の様に家を空ける私に何も言う資格はありそうもない。帰ってきたら笑顔で「おかえり」と言う事にしよう。そして留守中は、何も変わった事は無かったと・・・。


                 2005年 12月号

63.宿六VSレジオネラ属菌
 ご同業の友人と「宿屋の主のイメージ」と言うテーマで雑談を交わしたのですが旅館のご主人には、どうもあまり良いイメージが無い。組合の会議と称する寄り合いで日々飛び回っていて「おまいら家の仕事は、やっとるんか?」とか言われても「はぁー」とかしか返事の返せない様なそんなお仲間が多いのも事実ですし私自身「頑張ってます」とか答えるモノの「お前が居なくてもとりあえず日々商売が続けられる」と切り替えされれば「確かにその通り」ですとすぐすごと他の話題にすり替えるほか無い様な感じなのです。あまり汗水垂らして頑張っているイメージは確かに無いのです。唯一誰もを納得させられる働く宿屋の親父のイメージとしては、デッキブラシやたわしを手にしてステテコ姿でお風呂掃除をしている姿という結論になったのです。  この夏、まさしくこのイメージが現実となり壮絶なお風呂と格闘する事になろうとは友人と会話した時には思いも寄らぬ事でした。  春に露天風呂を新しく作りました。和の雰囲気が欲しいと言う事でヒノキ造りにしたのですがこれが思わぬ苦労の種になりました。湯船の容量は約1トン程度で貸切で利用して頂く目的で源泉掛け流しで利用するものです。2つの給湯方法があり一つは、源泉を直引きの配管で給湯量は、毎分50リットル、もう一方は、その源泉を貯めたタンクからポンプアップする配管で給湯量は、毎分200リットル。この2つの給湯方法を用いてお客様のご希望を聞いてから僅か4分で空の状態から満杯にする事が出来る仕掛けになっています。使ってもすぐ抜くという利用方法であった為、清掃も簡単に行い3ヶ月程は、特に問題もなく使っていたのですが7月に入り利用者も多くお湯が溜まっている状態が長時間続く日が多くなると乾きにくい部分にアオコ(藻の一種)が出る様になってきたのです。これはマズイとたわしでこすりカビ取り剤などで処理するのだが直ぐまた出てくる様になった。露天の為、お日様の力で藻が元気良くてあちこちにアオコが発生する。これはマズイと湯船のお湯をレ菌(レジオネラ属菌)の検査に出してみると案の定、陽性になった。結構やばい数値だ。通常通りヒノキの湯船の木地を痛めない様にスポンジと中性洗剤で洗った程度では、表層に出来たレ菌のコロニーは、落ちないのです。源泉からのお湯は、OKだったが貯湯タンクからは、僅かだがレ菌が潜んでいる事も判った。リニューアルの為、休んでいる間にお湯が流れずレ菌のコロニーがどこかに出来てしまった様なのだ。こうしてこの夏のレ菌戦争は始まった。貯湯タンクには万一源泉事故の際、温泉は駄目でもお風呂としてのお湯が供給出来る様にボイラーが繋がっている。これら配管で繋がっている部分全ての清掃と消毒を徹底的に行う必要が出てきたのですからもう大変な事です。しかも温泉は、ph9.23という高アルカリ泉で少々の塩素では効かない。そこで3つの方法を行いました。タンクの中の清掃を行った後、ボイラー部分の配管には発泡する過酸化水素系の消毒剤を投入しました。今まで使った事のない部分であった為、ずいぶんの汚れが出てきました。そして温泉を抜いて水を溜め、塩素を投入しボイラーを初めて作動させ85℃まで加温して配管の中を強制循環させる事を試みたのです。この事は文章にすると簡単そうですが実際に行う作業と言えばまるで潜水艦の操縦みたいな複雑なバルブ操作を行う事となりマニュアル無くしては出来ない作業です。このマニュアルの作成が結構手間取るのです。全てのバルブに番号を付けたりすることも必要でした。ここで2回目の検査を行いました。ところが配管やタンクは綺麗になったのですがヒノキのお風呂だけは、僅かに検出されたのです。ヒノキの表層に食い込む様にレ菌のコロニーが出来てくるらしいのです。折角の源泉が売り物の温泉には塩素は入れたくない。しかしレ菌は殺したい。そこで最後の手段を執る事にしました。ヒノキのお風呂を使わない夜間や暇な時は、使用するギリギリまで塩素を加えた水を張っておき、入浴で利用する時は、水を抜き温泉を貯めるという方法です。  この方法に行き着くまで要した時間は、6週間。お陰様で現在は、レジオネラ属菌を完全に押さえ込む事に成功いたしました。レ菌との戦いに勝利したモノの少々疲れ気味の今日この頃でございます。


                 2005年 11月号

63.観光地の景観
    「らしい・らしさ」がキーワード
正直言って今まで町の景観について漠然とした思いはあったものの、景観作りについて何をどの様にすれば良いのかと言う具体的な事になるとまったく理解できていなかった。景観の素晴らしい町は、訪れた人に感動を与える。山や川など自然の景観については理解も得やすく話は進めやすいが、個々の施設など建造物については、統一感を強引に求める事は理解を得にくいし難しい。しかもそこに住む人には見慣れた普段の風景であり街並みを整備しての景観づくりは、ある意味で個が埋没してしまう事ともなる。だから余程そこに住む住民が地域に根ざし町を愛し景観についての意識が高くなければ全体の景観づくりは出来ない。すでに景観条例などが制定され街並みの一体感が出来ている町は、幸いだがこれからと言うところは、その方向性が見いだせず苦労している。地域としての統一感が重要視されがちなのだが単に屋根や建物のデザインや色の事ばかりが景観作りとは思えない。確かに地中海の都市に見られる様な真っ白な街並みは美しいと思うしアルプスの谷間の街並みの赤い屋根も街も素晴らしい。京都の町屋の風景は、外国から訪れた人々には日本のイメージそのものの景観だと思う。温泉を持つ観光地などこの様な景観作りが出来ているところは、羨ましい限りである。過去の観光ブームの中で利便性や収益性、さらに個の露出を考えて作られてしまった街並みに統一感や一体感を今すぐ求める事は無理かも知れない。しかし都市やテーマパークは別として歴史の中で形成された観光地には最初からその街が生まれた主たる環境や景観などの理由がある。温泉地にあっては「温泉」でありその起源である「川」だと思う。高原や海辺にあっては山々の景色や海岸の美しさではないだろうか。歴史的建造物や宗教から生まれた観光地もあるだろう。それら本来の町が形成された理由(わけ)を考える事によって町の建造物による景観づくりの糸口が見えてくる。高原ならば高原らしい建物、城下町なら城下町らしい建物が作られれば景観は、自ずから整ってくるのではないだろうか。またその区域もそれらが眺められるビューポイント(視点)を考えれば定めやすい。景観づくりは、「その町らしさ」や「その町らしい」をキーワードに理解を深めていく事が肝心と最近考えるようにしている。私の町は、この春の町村合併で真庭市という新しく生まれた市に組み込まれた。人口は、五万四千人と僅かだが岡山県全体面積の12%を占める広大な地域で蒜山高原、湯原温泉郷、勝山の城下町と中国地方一番の滝と呼ばれる滝や鍾乳洞など観光交流人数は四百万人を超える大きな観光市だ。地域が広いだけにそれぞれの地区には顔がある。画一的な町づくりは出来ない。高原には高原らしい建物が建って欲しいし温泉街には温泉地らしい、そして城下町には城下町らしい街並みがふさわしい。建築物や道路建設そして河川の整備など法や条例もさることながらその土地「らしさ」を求めた景観づくりを考えれば良い。 広大な土地のある高原に山々の眺めを遮る高層のホテルは如何なモノかと思う。逆に谷間の狭い土地にある温泉街では密集した街並みも造り方によっては面白みのある景観が作れる。山形県の銀山温泉など風情ある木造四階建ての旅館が隙間無く並ぶが谷川を挟んで長い歴史の中で作られた街並みは、非常に魅力的だ。地域によっては建築基準法による建坪率や容積率なども温泉地など建物が密集した地域では安全を確保した上で緩和されても良いと思う。ドイツの温泉街の様に隣との境界すら隙間無く建っている方が防犯防災の面で良いと言う考え方も正しいと思えるだ。また景観づくりの面からも都合がよいのではないだろうか。ただし主役は、あくまでも山や川である事を忘れてはならない。

トラベルニュース 9月

観光と環境問題

 外国の方に人気がある観光地は、日本らしい景観が残る場所という。当たり前 と思えることだが結果的に現代の日本人にとってもその景観は、魅力的な物となっ ておりその多くは人気の観光スポットとなっている。「日本らしい」と感じさせ る物は、棚田に代表される田園風景であり統一感のある山村の集落であり、川辺 にある温泉街などではないだろうか。いずれにしても今ある風景では無く時代を 感じさせるものなのだと思う。そこには自然と調和した風景があった。今、多く の観光地は地域振興の名の下に整備され続けている。しかし本来その地が多くの 人を引きつけた景観や環境は破壊されている場合が多い。過去の大型観光の幻影 を追い求めた結果として失われているのが実情だ。観光振興は、地域振興のコン テンツとして政治的に利用される場合も多い。地域としてともすると政治家の甘 い言葉に乗ってしまいその結果、全国どこを見ても同じような観光地に没落して しまっているのでは、ないだろうか。  一時の観光ブームは去り立派に整備された道を通る車は少なくそびえたホテル の部屋の灯りもまばらと言う地が多くなっている。山に目をやると植林された弱 々しい木々があるばかりで四季に目を楽しませることもない。昨年の台風で多くの植林され た山がなぎ倒された。戦後に植えられた木々は手入れがされておらず、ほったら かしの状態で根が張っていない。間伐を行う人手もなくその土の治水力も無くなっ ている。その結果、無惨に地面を露出させている。森林関係者に聞いたところ倒 れた木の後にはやはり同じ針葉樹が植えられるそうである。理由は、広葉樹では 後々お金にならないから補助金が出てもやはり山の持ち主は、針葉樹を植えるの だという。なんとも学習能力の無い話である。しかしこの林業の話を笑う事は出 来ない。我々観光従事者も同じ事を繰り返しているのだ。  昨年に続き今年も大型台風が訪れた。例外的な異常と思える気象現象が恒常的 になってきた。パニック映画の様な光景が現実の事としてテレビで放送されてい る。地球温暖化への歯止め話題は、ニュースで報道されているが実は、すでに手 遅れなのではないだろうか。これだけ大きな自然からの警告を受けながら温暖化 の抑制の話程度の話題しか発表されない。本当は、すでに人類滅亡の坂道を転が り始めてしまっているのだがパニックを恐れて発表させられない。マスコミへの 情報抑制が始まっているのでは無いだろうか?などと思ってみたりもする。  ドイツでは今の日本人には信じられないぐらいの環境に配慮した人々の生活が すでに始まっている。日本ならどこでも見かける飲料水やビールの自動販売機が 表通りから姿を消している。まれに置かれている場所は、販売機の灯りが見えな いビルの奥の部分とかだけで缶ジュースもペットボトルもリサイクル税の導入で 日本の3倍以上の値段になっている。スーパーでも飲み物は容器を持参して量り 売りというのが普通となっている。買い物時の梱包や袋も一切がない。街の静か な環境を守る為にはパークアンドライトも普通に行われていうる。  日本でも近いうちにその様な生活に変わってくる事だろう。人々が安らぎを求 めにお越し下さる温泉町などそんな社会を目指していち早く動く必要がある。自 然と景観を活かした町づくりを今こそ行わなければならない。地方行政では過去 に策定された振興計画が生きている場合がある。10年以上 前の大型観光時代に必要と思われた道路の拡張工事が観光バスも少なくなりつつ ある今になって作られる話が持ち上がっている。景観や風情が問われる時代にそ れを壊す施策がまかり通る。観光地を取り巻く環境は、大きく様変わりしている。 これからの時代にあえて自然や景観を犠牲にして道路を拡張する必要があるのだ ろうか?


                 2005年 10月号

62.観光と環境問題
    時代は、観光から旅行へ
 かつて観光ブームだった頃、全国各地で観光開発が競って行われた。山を削り海を埋め温泉を掘った。そこに大型のホテルが建ち多くの観光客が訪れるようになった。観光バスを入れる為、道路も拡張された。時代が移り観光は衰退していった。観光地にはむき出しのコンクリートが残った。  と極端な敗退の話は別として最近感じることは、言葉遊びかも知れないが人の流れは、「観光から旅行」に移行した様に感じると言うこと。値段やムードだけで釣られて連れられてくるのが観光客、自分の意志でお越し下さる方は旅行者と言うのだそうだ。今や観光バスを連ねてお越し下さった観光客は、(湯原温泉には)もういない。それに変わったのはカップルや家族連れのお客様。これは自分で楽しむ場所を決め宿泊地や施設も自分で決めるから旅行者という見方をするのだそうだ。観光客は、過密な観光のスケジュールが決められているので宿から出て路地裏は歩かない。観光客では宿以外に直接は潤わない。旅行者は、時間に余裕があるから路地裏を好んで歩く。従って町全体が潤うのは旅行者が多い町の方だそうだ。観光客の為には大型バスをスムーズに通す為の大きな道が必要だった。山を削り川に蓋をして道路は造られた。利便の為に自然を破壊し景観を犠牲にしなければ成らなかった。しかし今は、旅行者が旅の主役になってきた。旅行者は、自然や景観など環境の良い場所を好む。今や環境を犠牲にして観光振興に走るのは時代錯誤としか思えない。  今年は、多くの地域で町村合併が進められた。その中で多くの温泉地がこの合併で困った事態に陥っている。今まで小さな町や村の中でそれなりにコンセンサスを得ていたこの「観光から旅行」への流れが合併による行政の新たな括りの中で理解されず地域再開発のムードの中で亡霊のごとく観光開発という言葉が浮上しつつある事だ。観光は、地域振興の掛け声として唱えやすい。合併により地域の声が届きにくくなった時、過去の経緯を知らぬ首長や主権争いする議員に道具として使われやすいのだ。合併以後、私の所にも多くの新しい市会議員がお越し下さった。そのほとんどの議員さんが観光振興とか「観光バスでワンサカお客さんを寄せられる」施設のご提案をお話された。その多くは、市の財産となった広大な土地に大きなレジャー設備を作り観光の目玉にしようというアイデアだった。私は、この「観光客から旅行者」への流れのお話をその全員の方に伝えさせて頂いた。確かにお客様には、まだまだお越し頂きたいのが本音だがここ数年微増とはいえ善戦しているのは、ある意味観光から視点を変え町本来の魅力を出していこうという試みだ。安易な観光開発には反対したいのだ。鼻息の荒かった先生方も拍子抜けでお帰りに成られた。  合併問題とは関係ないが私が今、注目している地域がある。震災から不死鳥のように甦った有馬温泉だ。私は、有馬温泉の町並みづくりを我が地の手本と考えていた。その有馬の温泉情緒あふれる中心部の川沿いに大きな道路を通すという。「まさか」としか思えない話だった。理由は、観光バスをスムーズに宿に運ぶ為と聞いた。2車線の立派な道路だ。浴衣掛けで散策をしているお客さんの側を猛スピードの大型車が走りさる温泉街には、のんびりした風情はない。時代は、環境問題を優先しなければ考えられないところに来ている。温泉街の風情を捨てて利便を優先させる施策は、有馬温泉をどの様に変貌させるだろうか。


                 2005年 9月号

62.楽天問題
インターネットの創世記にその普及促進を行おうと志を同じくした友人達と情報の集中化について議論した事がある。インターネットでの情報配信を急ぐ必要から中央での情報収集と配信を唱える私にある友人は「情報の一極集中は、ネット社会において好ましく無い」と反論した。その理由は、万一の事故や災害の際に一極集中ではその瞬間に全ての情報が遮断されるという事、そして中央での一極支配に繋がりかねないとの考えからだった。結局その時の結論としては同時進行で個と地域そして中央での情報発信を行うという事になった。今回の楽天問題を顧みた時、あの時の議論が思い起こされる。インターネットでの予約比率が高まる中で安易な楽天などの予約サイトに頼りすぎそれぞれの持ち味をそれぞれの感性で表現できるオリジナルのホームページの運営がお座なりになったり、また地域の情報をタイムリーに発信しなければならない地域の組合や観光協会、あるいは行政のホームページがパンフレット化してしまっている。ホームページには完成やゴールはない。新聞や雑誌あるいはテレビやラジオのように常に新鮮な情報発信を続けなければならない。各自のホームページは、それなりに予約実績が上がるから情報の更新もなされているだろうが地域情報のホームページが死んでる場合をよく見かける。作りっぱなしで更新されたない補助金で作って管理人不在の地域ページだ。私の場合、お節介にも地元の湯原温泉と岡山県、そして全国のホームページのお世話をさせて頂いているが、アクセスが多いのは俄然、湯原温泉のホームページだ。検索で「旅館」や「温泉」など漠然としたキーワードが打ち込まれる事はまずない。都道府県名でも大まかすぎる。かといって宿名での検索は、余程の有名旅館でない限り望むすべもない。地域の温泉名などが検索のキーワードとしては一番多いのだ。湯原温泉のホームページの更新は、月2度程度で取り立て手の込んだページ造りをしているわけでもない、しかし地名での検索では常にトップに出てくる。ただしスポンサー広告には太刀打ちできない。悔しい事に有名予約サイトが上に出てくる。消費者には今だに検索サイトを灯台や日の光のごとく公正な物と勘違いしている人がまだ多い。実際、創世記にはホームページそのものが少なく比較的容易に検索サイトで表示された。しかし現在では上位掲載させるのは容易な事ではない。うかうかしていると施設名どころか地域名ですら予約サイトに乗っ取られかねない状況なのだ。予算が潤沢な地域であればお金の力でトップ表示を買い戻す?ことも可能だかその手法は決して長続きはしない。情報の質と見せ方を工夫し恒久的に情報発信していく地道な活動こそが大切なのだ。各施設のオリジナルホームページにも同じ事が言える。消費者も今のようなお金に物を言わせたスポンサー広告の情報にはキット満足できない。施設の情報は、予約サイトが情報を発信しているわけではないのだ。情報の大元は我々が持っている。客室を持ちサービスを提供する我々自身が情報を発信する事が今後激化するネット予約の対応策であり、これこそが王道だ。


                 2005年 8月号

61.紙を減らして電子パンフをタイムリーに印刷
先日、ある組織で「旅行で行きたい都道府県」というアンケートを行った。アンケートの景品は、投票された都道府県へ抽選でご招待するという物だった。アンケート集計の数字は覚えていないのだが抽選を行う段になって愕然とした。我が県「岡山」に寄せられたハガキが極端に少ないのだ。北海道の担当者の前にはそのハガキが20センチも積まれている。他の都道府県もそれなりに高さがある。ところが私の前にある岡山県への投票ハガキは、1センチの厚さすらない。なんとも情けない気持ちに陥った。後日、県の観光連盟の会議でその件を話題に出した。「我々は、今まで何をやってきたのでしょうね?」県のイメージを聞けば「マスカット、白桃、瀬戸大橋、倉敷」と言う答えが返ってくる。フルーツは、取り寄せればどこでも食べれるし、瀬戸大橋は、四国への交通手段だし、倉敷は、見学だけで通過されるし・・。今まで観光PRとして行ってきた県のイメージづくりそのものに問題があったのではないだろうかと。行政の考え方を質すと「広範に継続的な宣伝活動を行ってきた」というお答え。その結果が僅か1センチにも満たないアンケートハガキの厚さだ。何か足らない。知恵と工夫とビジョンが足りない。十年一日のごとく同じ事を繰り返す「広範に継続的」とは、その意味だ。結果が見えない方が後々良いから目立った事は行わない。一度良い結果が出ると次が困る。その結果、毎年中身が同じでデザインだけが変わる観光パンフレットが県や観光連盟、そして地域ごとに二重三重に膨大な量のパンフレットが作られ続ける。作るだけ作っても配り所がないので半分は捨てられる。本来、外の人に読んで貰いたい印刷物が私たちの所に大量に配布されてくる。一部を残して大半は、ゴミ箱に直行させる事になる。昔の戦争みたいな数打てば当たる的な宣伝(その大半はゴミ箱が目標)は、必要ない。情報を求めている人に届く方法が何故出来ないのだろうか?一方、直接おもてなしする私たちも情報は、持つ必要がある。個人旅行が主体となった今、お客様の目的は多様であり宿泊客の多くは、チェックイン時に翌日の予定が決まっていない。その日の天候や宿からの情報を拠り所にしているのだ。しかし宿泊施設には、大量の紙モノは、置く場所もなければ保存場所もない。解決方法は、電子パンフレットだ。必要な情報を必要とする時にプリントアウトして渡せれば無駄がない。電子パンフレット自体は、既存の情報を利用する処から始めれば初期の予算は、ほとんど必要ない。パソコンが使える旅行者であれば旅行の計画段階で利用して頂ける。着地型とか誘導型とかいう垣根のない実用性の高い観光情報発信になる。インフラの整備は、ある程度必要になる。今やパソコンやネット環境がない所は、無いと思うが官公庁などの観光案内窓口や案内サービスを行うホテルや旅館のフロントにパソコンを置いて頂く必要がある。パンフレットの印刷代が削減できた部分でプリンター用紙とインクを支給できれば、それぞれの窓口も嫌がらないだろう。 課題としては、膨大な情報からタイムリーな情報を旅行者の趣向にあった形で検索できるシステムの構築だ。地図やイラストマップからの検索、利用交通機関や季節やイベント情報、天候や移動時間、温泉やレジャー施設での検索などそのシステム造りについてはかなり予算も必要となりそうだ。


                 2005年 7月号

61.露天風呂の日:考察     観光客と旅行客?
湯原温泉一番のイベント「露天風呂の日」が今年も無事に終わった。共有の露天風呂に象徴される温泉とそれを守り伝えた先人に感謝する目的で19年前に始めたイベントだ。当初は、温泉町周辺の地元の方に旅館のお風呂を無料で使って頂く程度だったがマスコミに取り上げられ多くのお客様にお越し頂けるイベントとなった。今年は、日曜日の開催となり例年の倍近くの賑わいとなった。完全に温泉街のキャパを超える人数となった。案内係などパニックになるだろうと思われた。その賑わいの一因に観光バスによるツアー客がある。本来このイベントは、お越し頂くお客様への感謝の意味合いもあるので参加費は無料である。無料だからお越し下さる通常のお客様には「お風呂を使わせて頂いて、ありがとう」と言う気持ちも表れ我々もてなす側も「喜んで頂けて、ありがとう」と言う気持ちがある。双方が、感謝の気持ちで対する非常に和やかな気分のイベントだった。ところがこのバスツアーでお越しになるお客様は、ツアー参加費をお支払いになっているのだ。勿論、イベントの意味もご存じない。弁当すらツアー会社が用意した物で地元に落とすのは、弁当の空とゴミだけと言う有り様だ。ツアー料金もバス代+弁当代程度でべらぼうに高いとは思わないが参加したお客様にその意識は無い。イベントの全てがツアーのサービスと思われてしまうのだ。ここにギクシャクとした感情が生まれる。ある程度、イベントの意味を理解してご自分の意志でお越し下さるお客様とツアー会社の広告に釣られてバスで連れられてくるお客様。よく旅行者と観光客の違いについて論議するがこのイベントに参加して頂いたお客様にもその違いが出ている様に思えた。  幸いな事に例年、お風呂に入れなかったと言う苦情が殺到していたアンケートだが今年は、その苦情の言葉がない。今年は、物理的に半数が入浴できないじょうきょうであった筈だが各施設で順番待ちの行列を作って頂き待ち時間にイベントの趣旨を説明できた事でクレームが回避できた様だ。たとえツアーバスで連れられてきたお客様でも意を尽くせば我々の思いが通じる。始まって20年にもなるイベントだがまだまだ迎入れる我々に知恵が必要なようだ。


                 2005年 6月

60.トラベルXMLって何?
ネット次世代の予約システム
 10年以上も前から研究されてきたインターネットを活用した新予約システムがここに来てやっと現実味を帯びてきました。この新時代の予約システムでは、従来のネット予約の様に販売サイト上のホームページでの管理や電子メールを使ったやりとりが不要となります。要するに自社のサーバー(パソコン)内の空室情報や宿泊プランが自動的に複数の販売網に配信され、さらに発生した予約は、フロント管理システムや予約管理のシステムに自動的に取り込まれます。しかもこのシステムは、国際的に統一された仕様となっており国内の販売サイトのみならず世界中の販売網に配信されるのです。  これは「旅行EDI:旅行電子商取引」と言う研究会をえて、さらに標準化と具体化を目指した「トラベルXML」に進み今やっと、現実味が出てきたのです。今年中にも各社からこの技術を利用したシステムの販売や予約サイトが雨後の竹の子のごとく出てくるかも? ただし同じ宿泊施設とは言え日本の「旅館」は、商品網が複雑で今ひとつ国際標準化に至らない点もあるようです。  このXML、利用する立場では特に意識する必用はありません。「ああ、便利になったなぁ」と言う感覚で良いわけです。身近なところで使われているXMLの技術というと年賀状で利用している宛名書きソフトがある。この場合は、情報の標準化という次元だけだがあるソフトから別のソフトに乗り換えた場合でも情報は、そのまま利用できる様になっている。あれと同じと思えば良いわけです。  自社のサーバーで行っている空室管理や商品プラン情報の複数サイトへ配信するイメージは、著作権で問題になっているP2PのWINMXなどで利用しているファイル共有システムがよく似ていると思います。予約サイトは、顧客の人数や条件に合う客室や商品をネット上のホテルのサーバーを覗きに行って探しに来る。そんな感じだろうか。  ただ気になる動きもある。せっかく標準化を目指した「トラベルXML」だがここに来て独自の規格を先行させた予約サイトがある。楽天トラベルではこのトラベルXMLに乗らないXMLを開発しているようです。もともと旅館よりホテル販売が得意な「旅の窓口=楽天トラベル」なのでトラベルXMLの完成を待たずに先行したと思われます。容易に修正できる技術なのであまり深く考える意味は無いと思うが手数料のアップなど強気で業界をリードするサイトだけに少々気になると言えば嘘になるかな?  そんな訳でインターネット開幕以来の我々業界の技術革新が目前に迫っているという気配です。技術部分は専門家に任せておけばいい話で深入りする必用はないのですがXMLのニュースには少しアンテナを張って於いた方が今後の為によいと思いますよ。

トラベルニュース:原稿:古林伸美
                 2005年 5月

インターネットを始めて10年を迎えました。思えば長い道のりでした。7年前に「旅館」と言うキーワードで検索したら約千件のホームページが見つかったと記憶しています。今日、同じように検索すると337万件のホームページが見つかりました。「ホテル」をキーワードにすると1240万件も見つかります。もちろんそれぞれの施設のページもあれば組合のページやネットエージェントの情報もひっくるめての数字ですが凄い情報量になったものです。  ところで近年、友人から相談を受ける事が多いのです。その内容は、「ホームページからの予約が減ってきている。何とかならないか?」と言うものです。さらに「逆にネットエージェントからの予約は、増えておりその手数料が馬鹿にならなくなってきた。」という状況です。以前は、インターネットの先駆者は、それなりに予約が集中し地域で抜きに出た状況にする事が出来ました。ところが近年では余程、頑張らないと抜きに出る事は難しいのが現状です。基本は、今も昔も変わらない、要するに頻繁な情報更新を行う事に他なりません。その為にはそれなりに情報更新に費やす時間も必要なのですがネットエージェントの管理に追われて本来の自分のホームページの更新に費やす時間を奪われている状況が多いように感じられます。ネットエージェント間の競争も激化しておりそれぞれのサイトがあの手この手で客室提供を求めてきます。また実際にそれなりに売れるものだからその管理に追われてしまう。次第に自分自身のホームページの更新が疎かになりネット予約の比重がネットエージェントに偏り始める。どうもそういう状況が起きているようです。友人には、「何とか頑張って自社ホームページの充実を計り続けるしか方法はない」とアドバイスしたのですが技術的な問題もあり、言うは易く行うのは困難な状況と思われます。あるネットエージェントでは「カンファレンス」を開いて宿のネット管理者に売れる商品作りやプランの組み方まで教える有料の会を開いており、それには毎回何百人もの参加者があるようです。自社ホームページでは、かなりのマンパワーが必要です。それに比べればネットエージェントを利用した集客は、一定の技術で行う事が出来るので担当の社員をカンファレンスに行かせてコツを習得させれば良いわけで会社としても容易に行えるわけです。   さてこの状況は、私的には少々面白くない。他の業界の様子を聞くと同じような傾向がもっと極端に発生しています。地域で立ち上げた特産品販売のショッピングモールでは物が売れないので大手のサイトに出店をやむなくされていると言うのです。地域ブランドもあり以前は、頑張っていた地域の状況だけに残念でならない。一方、消費者の立場でみれば有名サイトでの購入は、安心感がある。最近、通販で「餃子」を売っていたところが紛い物を大量に販売したと問題になったがあれなどもネット販売のマイナス要因になると嘆いていた。  規模にもよるが我々温泉地の小宿は、大いに情緒的な商品であり画一化しにくいという性質の商品だと思っています。(それでは駄目と言うご意見もよく聞くが)地域の情報を絡めて上手にやれば、まだまだネットエージェントに対抗できると信じています。安易に社員を旅行サイトの勉強会に社員を送り小手先の販売技術だけで集客を増やす手法は、長い目で見て良くないと私には思えてならないのです。「宿は地域の文化なり。」日々錬磨し地域情報の発信の道こそ最後に生き残れる道と信じています。  ただ私も全面的にネットエージェントを否定しているわけではないのです。直前の予約をやむなくされたお客様にとって予約サイトは、便利な存在である事は確かだ。我々にとっても急な空き室対策には非常に有効な販売ツールだとは思っています。しかしその様なサイトでご予約下さったお客様は、限られた情報しか持っていない。せめて予約後にサイト任せの確認メールだけでなく宿からの地域情報を含んだメールや電話での情報提供を可能な限り行う努力は必要だと思う。※これがクレームになる場合も(訳ありのカップルなど)大いにある事も事実です。この見極めには熟練した目が必要ですね・・(^^;


                 2005年 4月号

59.一念奮起のお風呂の改装
私事で恐縮ですがお風呂のプチリニューアルを行いました。目標は、温泉らしいお風呂を作る事。今。私ども湯原温泉では、地域として温泉町の原点に立ち返った町づくりを行おうと模索しています。温泉指南役養成事業や医療との連携を計り人間ドック付き宿泊プランを立ち上げたり、さらにそれらから滞在型の集客を増やす試みへと進めています。いずれも温泉が核になる訳ですが今まで我がホテルのお風呂と言えば風情は無いけど「温泉を利用したお風呂です」と言う感じで決してお風呂そのものが売り物になるような物ではなく町づくりで行っている温泉関連の事業との間にギャップを感じていました。自らがリーダー役も担っていましたのでその思いは日々募っていました。昨年の度重なる台風による被害も受けていたので一念奮起して行う事にしました。まず従来ジャグジーを設置していた部分を2つに仕切って木製のデッキを組みジャグジー部分と新たにヒノキと陶器製のお風呂を作りました。両方とも貸切で利用して貰うわけです。なかなか良い感じのお風呂にはなってきたのですが今ひとつ面白くない。何かもう一工夫加えようと頭を絞ること3日、「そうだ千と千尋だ。」と漸くしてアイデアが湧いてきました。仕掛けは、企業秘密ですが4−5名は、入れる湯船のお湯を一瞬に抜き捨てて新しいお湯をこれも一瞬に張る。効率の良い「新湯都度張替」のお風呂というアイデア。イメージとしては、アニメ映画の「千と千尋の神隠し」の名シーン、汚れ神(実は川の神様)が薬湯で清められ竜になって天に昇っていくシーン。あれです。千尋が湯札を送ると釜爺がありったけの湯を汚れ神の頭の上から注ぐ。「やったー!大成功です。」思惑通り、お客様も「新湯都度張替」に大喜び評判も上々です。その上、温泉の消費量が半分近くまで減少しました。これは、掛け流しでダラダラ流し捨てていた温泉を必要なときに集中して使う方が結果的に無駄がないと言う事が判りました。お客様には「新湯都度張替」を実行している事の証明にお客様ご自身にお湯を抜いて頂きます。さらに贅沢に温泉を使っている事の演出として利用途中に頭の上から大量の足し湯をドドッドと注ぎ込む。事前に「千と千尋の様なお風呂」と説明をしてあるので効果は抜群です。ジャグジーの方もひと工夫しました。こちらも「新湯都度張替」なのですが横に少々悪戯を用意しました。バケツをぶら下げたのです。湯上がりにこのバケツの紐を引っ張るとひっくり返って水が(実は温泉)がザブッと落ちてくるカラクリです。息子がドイツで見てきた仕掛けです。  現在、私自身は、釜爺と化しております。(ボイラーは、使用していませんが・・ガハ)事務所に座りセンサーを監視しタイミングを計りストップウォッチを片手にスイッチを押す。なかなか楽しい日々です。お近くにお越しの時は、是非ご入浴にお立ち寄り下さい。

    
この画像には「カラクリ」は映っていません。


                 2005年 3月号

58.NHK-TV「難問解決!ご近所の底力」出演レポート
息子のドイツレポートから私なりの温泉についての考えを書くつもりでしたがその後、前号で書いた3日目以降の続き話を聞く暇がない事態となりました。昨年11月にNHKからお声が掛かったお話しが現実になりスタートしてしまったのです。番組名は皆さんご存じの「ご近所の底力」。番組の内容については放送されるまで口止めされておりました。疲弊した温泉地の復興の妙案として湯原温泉の活動事例が取り上げられると言う湯原にとっては非常にありがたいお話しなのですが「何で?」と言う感じでした。私的には、努力も実績も人様に自慢できる様な段階に来ているとは思えないのです。しかし一緒に頑張ってくれている青年部や町の人たちの励みになるのならと番組への出演を承諾しました。現実に一月に取材にお越しになり4日間に渡って調査的な事も踏まえたロケが始まりました。おそらく放送時には5分程度に圧縮されるのでしょうに流石はNHK。しかもその上に渋谷のスタジオまで赴く羽目になるとは思いもよらぬ展開となりました。3名に限られた出演者の絞り込みも頭の痛い作業でした。思い返せば事の発端は、本誌2003年の3月号に書いたコラム「湯原温泉が日本一?:数字遊び」にありました。あれからイメージが膨らみ「とざい、とうざい・・」の温泉指南役の養成や東京でのPR作戦、医療との連携を模索しホットドックに繋がった結果だと思うのです。あんな事を書いたばかりに地域のみんなを巻き込んだ田舎としては大事業を幾つも幾つもこの二年間ぶっ通しでやってきたわけです。手足になってホントに頑張ってくれた人たちを表に出してやりたかったのですがスタジオへは私と町の病院の院長先生、そして仲間のマッサージ師が行く事になりました。2月半ば、いよいよ上京の日を迎え渋谷のNHKに乗り込みました。長いながーい通路を通って「湯原温泉の皆さん」と書かれた控え室に案内されスタジオの下見をしました。NHKでも一番大きなスタジオだ聞かされましたがとてつもなく広い空間の一部に番組のセットが組まれていました。また温泉指南で使用する大道具さんが作ったお風呂までありました。さてそれからが大変でした。それまで台本は細切れで渡されていたのですがここで初めて全体の様子が判る厚い台本が手渡されました。台本の表紙には「温泉地に春は訪れるのか?」と書いてありました。「あちゃぁー何というタイトル!」、冷や汗が噴き出しました。  地方局のテレビ等は、年に2−3回は、経験していましたので割と気楽にいたのですがこの厚い台本と長時間にわたるリハーサルを重ねるうちに緊張感が高まりました。心臓がバッコンバッコンという感じです。「こりゃぁえらい事になった」と誰かの口から漏れました。スタジオ入りしてからすでに4時間。控え室で出された弁当を味も解らず食べ終えた頃、本番が始まりました。この段階で初めて相談主の温泉地の皆さんがスタジオに入ってこられました。本番が始まると我々妙案の側は、セットに入られた皆さんからは視界に入りにくい部分に設えられた空間にパイプ椅子に座りでモニターテレビを見ながら出番を待ちます。タレントさん達も出そろいタイトルが流れ収録が始まりました。寂れた温泉地の町並みが映され苦境を訴える町の住民の声が流れます。我々妙案で登場する側は、ある意味気楽なものですが難問をかかえる温泉地として登場された皆さん、特にこの話をNHKに持ちかけ町の人たちを納得させてこの番組に皆さんを引っ張り出した方は、大変なご苦労だったと思います。決して嬉しい話ではなかった筈です。「この番組の影響力を利用して町を一つに纏めたい」私にはリーダーのそんな心の中の思いが聞こえて来ました。番組の放送は、3月3日。これを書いている時点ではどんな番組に仕上がっているのか私も知りません。妙案として紹介された町の一員として今後も恥ずかしくないよう頑張るしなないようです。老神の皆さん、そして全国の温泉地の皆さん共に頑張りましょう。まもなく「温泉地にも春が訪れる!」。午後3時にスタジオに入り番組の収録が終わったのは時計の針が11時をまわった頃でした。


                 2005年 3月号

57.古林ジュニア、ドイツに行く!・・・その1
 先日、息子を温泉と医療の連携の先進地であるドイツ行かせました。本当は、 私自身が行ってみたかった地ではありますが2月のドイツの寒さと積雪による足 下の悪さが視察団に迷惑をお掛けする事を考え断念しました。僅か10日間の日 程ながらよく学び?、太って帰ってきました。なんと顔が一回り大きくなり、華 奢だった肩の当たりもなにやら逞しいほどにシャツも窮屈そう、さらにお腹もぽっ ちゃりと。研修の報告より先に「お前、何を食ってきたんだ?」と思わず聞くと 息子は、「郷にいれば郷に従えを実践してきた。」と答えたのです。この厳しい 季節、ドイツでは野菜が少なくまた、寒さに耐える為、脂っこい料理ばかりが出 たらしいのです。そして出された物は残さず食べたと言うのです。豚肉とラード で揚げたジャガイモ、黒パンもバターではなく香辛料と塩を混ぜたラードを塗っ て食したとか。そしてお決まりの油っぽいソーセージとポーク料理。とにかく何 もかもが塩がタップリと入っていたそうです。そしてボリュームのあるメチャあ まいデザート。結果、体重増加7キロ。あまりに壮絶な食事の話に渡航を断念し て良かったと思った次第です。息子にはパソコン以下、情報収集の電子機器をしっ かりと持たせて行かせました。あちらでのインタネット環境は、想像していたよ りも悪かったようで行程中に交わしたメールは、10通程度、ネットカフェのホッ トスポットを利用した通信だけだったのですが、セキュリティがあまかったのか、 その僅かな接続でウイルスを頂いた模様。帰宅後、一番の仕事は、ウイルス駆除 の作業となりました。パソコンには、あちらで写した映像が沢山貯められていま した。夕食後、家族そろって映写会です。10日間に撮り貯めた映像は、300 枚あまり。研修風景に入浴施設、町並みに道路の様子、マンホールの蓋に商店の 看板、果てはゴミ箱の中や塵芥収集車の作業風景、お風呂の掃除道具を収めた物 置まで、見る物全てが新鮮であったのだろう。映像を見ながらの家族での報告会 も深夜となり今日は、これで辞めようと言う事に。3時間掛けてまだ、日程2日 分だけ。若いというのは素晴らしいです。何にでも興味を持ち細かな事も聞いて いたようです。報告会は、後5日は、続く事になりそうです。  ここまで半分おふざけで書きましたが実際、息子:裕久は、若者の視点でドイ ツの温泉事情をよく見てきています。(親の贔屓目があるとは思いますが)今、 レポートを書かせています。次号では、そのレポートも入れながら私なりに何か 書いてみたいと思います。


                 2005年 2月号

56.ネアンデルタール人絶滅の原因
私は、話をする時に一つの拘りがある。話の内容を正確に伝える事を一番に考えている。逆に相手の話もよく聞き理解する様に努力している。会議での発言、友人との会話、家族との団らん、電話での商談。全て話す事、聞く事でコミュニケーションが諮れるというモノだ。一番苦手なのが声の小さい人との会話。大学の教授とかに結構多いのだが、小さな声でボソボソと喋る人。教壇に立ち、人にモノを教えるには、大きくて明瞭な声が必然だと思うのだがどうやら人に聞かせるつもりがない模様。各種コンサルの先生方にもこのタイプ多いですね。私、こういう人と一緒になるとムシャクシャして切れる事がある。「人前で話す職業である以上、二三十人程度の集まりならマイクなんぞ使わなくても大声張り上げてメリハリ良く喋らんカイ!」、「あんたらの商売、話してナンボの噺家とおんなじです。眠気覚ましの面白い話芸も必要じゃないの」等と言ってやりたい。いくら良い話をされても小声では聞こえないし、下手なら居眠りしてしまう。内容が伝わらなくては、結果として独り言と同じだ。人に伝わらない喋り方しか出来ないなら筆談にした方がありがたい。会話は、コミュニケーションの基本。普段から意識的に人に聞いてもらえる話し方と発声練習して於いた方がいいですね。自分は、どうかよく考えてみよう。  今から3万年前まで我らがホモサピエンスと共存し、何故か絶滅してしまったネアンデルタール人。その絶滅の原因は、発声器官が現代人に大きく劣っていた事だそうだ。脳の容量も身体的特徴もさほど違わなかったネアンデルタール人。様々な石器を使いこなし、火も使っていた。埋葬も行われたいた事から宗教的なものも持っていたと考えられている。しかしホモサピエンスとの絶対的な違いは、発声器官である喉仏の部分が極端に短く上顎に近く簡単な言葉しか喋れなかった様だ。コミュニケーションが図れなかったのだ。知恵の伝承、知識の共有、情報の共有が出来なかった。これがネアンデルタール人の絶滅の原因と考えられている。  現代、ホモサピエンスは、あらゆるコミュニケーション手段を手に入れた。そしてその情報を共有する技術すらも手に入れた。一方、高度化する社会生活は、環境破壊を起こし温暖化など異常気象を引き起こしている。個のエゴ、地域のエゴ、国家のエゴ、それらが引き起こす様々な紛争。人は、低くから高くを求める。より豊かにと。あらゆる争いの種は、そこにある。人には理性という欲求を抑える能力がある。理性とコミュニケーションこそがそれらを解決する糸口だと思う。ホモサピエンスのコミュニケーションは、未熟なのかも知れない。このままでは、我々もネアンデルタール人と同じ道をたどるかも知れない。人は、それぞれにエゴや感情など欠陥の多い動物です。完全で公正な未来社会では、SF小説で描かれるコンピューターに支配された世界もあながちあり得ない事ではないように思えてくる。


                 2005年 1月号

55.台風厄
今年は、台風の上陸ラッシュに大きな地震と異変の続く異変のあった年であった。 地元のお年寄りに聞いても「こんな年は初めてだ」と言う。目の前の山の木がな ぎ倒され、町中の看板が落ちて、家の前にあったカーブミラーも道に転がってい る。ダムの放流で温泉も3日間止まってしまった。町内の真賀温泉、足温泉など 3日間の停電と土砂崩れで孤立状態となりひと月近く時間制限の通行となった。 片側通行となった現在、いろいろなプランをだして今までの遅れを取り戻そうと 必死だ。 名物の露天風呂もすっぽり浸かり水が引いたら他のことは後回しにしてみんな総出 でスコップやらクワを持って露天風呂を掘り起こし、中で泳いでいるにじ鱒から めだかまで隈無く取る。(綺麗に取らないと臭くて入れたものではないからだ) それからやっと家の片づけに取りかかるのだがどこから手を付けて良いのやらわ からない状態だった。他の旅館も16号の時に屋根がめくれ宴会場が水浸しとな りやっと修理が終わった頃23号である。またしても館内は水浸しとなり道具を かわすのがやっとであったらしい。今度は修理しようにも材料が不足してブルー シートは無い、瓦は無い、波板も無いと泣くに泣けない状態となっている。昭和 56年の集中豪雨の時も家が流され道が寸断され当分の間にぎりめしと梅干しで しのいだものだ。その時もダムの放流が止まると一斉にスコップを持って駆けつ けた。湯原ではほとんどの人が外湯なので入浴から洗濯まで元湯や川湯など何カ 所かの場所で利用している。足踏み洗濯、別名洗濯ダンスなどというがここでは 日常のことなのだ。まずは温泉、一に温泉の町なのである。 自然の前では、為す術もないが人と人とが助け合い、知恵を出し合い、協力しな がら再生に向けていくことは、少しづつでも良い方向に流れていくのではないか と希望がもてる。 また、新年度には子供たちに地元の良さを知って貰おうと温泉指南役の子供バー ジョンとして授業を行う。子供が対象なのであまり高度な専門知識とはいかない が晴れて試験に合格した者は「温泉博士」の称号が与えられる。毎年、小学校3 年生が我が町を知ろうと言うことで湯原の隅々まで歩いて回る。商店に入ってど んな物が売れるのか、旅館組合に行って年間何人お客さんが入るのか、結構突っ 込んだ質問をしている。最後はうちに来て私の話を聞いて貰う。あとで感想文が 届けられるが「おじさんはどうしてそんなにものしりなのですか?」とか「温泉 が宝だと初めて知りました。」とか書かれていると気恥ずかしくもあり嬉しく思 う。高校にも頼まれてITとかマーケティングなどの講演もしているが今年は県 内の児童生徒が作成したHPの出来栄えを競う県スクールインターネット博に参 加し224点の応募の中から見事最優秀賞に選ばれた。少しでもこれからの若い 人たちの役に立てるよう、お手伝いが出来たらおじさん冥利につきるというもの である。


                 2004年 12月号

54.災害と入湯税・災害時に宿が出来る事
 今年の夏秋連続の台風及び新潟中越地震で被災された各地の皆様、災害お見舞い申し上げます。一日も早い復旧、復興をお祈りいたします。  この度の一連の災害は、全国いたる場所で発生しており国政レベルでの対応や危機管理が見直される事となるだろう。我々宿泊業者がこの様な場合に地域に貢献する方法は無いのだろうか。今、テレビでは、新潟中越地震の被害の様子が放送されている。10万人を超える被災された人々が体育館などに身を寄せておられる。非常に狭苦しく感じられる。プライバシーなど考える余裕のない緊急事態である事には違いないがこの状態が長期間にわたるとなれば人として耐えられない状態であることは容易に想像出来る。この後、仮設住宅が建設されるまでには、かなりの日数を要する事になるのではなかろうか。この様な時に地域や周辺の宿泊施設が中間的にお役に立てるのではないかと思う。その間の費用負担を国政レベルで行う事は可能な筈だ。お世話しやすい様に高齢者をかかえる家族、逆に元気な方や単身の人など生活状況別に宿泊施設を分けて利用して頂けたら緊急避難にしても少しは苦痛を和らげれると思うのだが。すでに行われているのかも知れないが報道されている画面では伝えられてこない。最近に建てられた物であれば一般の住まいに比べると旅館ホテルの施設は、堅牢な筈だし防災設備も整っている。非常時に役に立つ施設であれば社会的な地位も向上すると思うのだが如何なモノだろうか?  台風に伴う水害も相当な被害があった。風光明媚な観光地や温泉地は、正に自然と隣り合わせにあり普段は、都会と変わらぬ利便性が保たれているが一端、自然の猛威にさらされるとライフラインは脆く、単一である事が多く、その復旧には、時間を要している。山間の温泉地など元々は、道路も細く消防設備や防災も満足に考えられていない。その様な場所にある日、大きな旅館が建ち大勢のお客様が押し寄せてくる。万一の災害時には手の施しようも無い状態が考えられた。その防災への対応を行う為に入湯税が目的税として作られた。自然の猛威に対して万全と言う事は有り得ないと思うが果たしてその税が本来の目的に沿うかたちに費やされているかどうか見直す必要がある。地域の合併に伴う財源として安易に語られ、またその税の意味も判らずに徴収された行政もある税だけに気になるところだ。  合併問題では過去の矛盾が露見してくる。今、是正しなければ次のチャンスは、生きてる間には来ないかも知れない。

※締め切り直前、次のニュースが入りました。新潟県旅館組合と全旅連との共同 作業で新潟県内の旅館ホテルの避難用の客室が17,769室、人数にして66,492名分 の確保が出来たそうです。新潟市内、赤倉温泉、湯沢温泉、月岡温泉など28地 区のご協力とお聞きしています。

                 2004年 11月号
54.やっと実感、足湯の良さ
足湯は、良いモンですね。私の街では湯場があちこちにあるので最近ブームの足湯とい う物がピンときませんでした。無料で入れる露天風呂や安価な旅館などの立ち寄 り入浴も行われているので正直言って「足湯なんかいるのかなぁ?」という感じ だったのです。秋のキャンペーンで「何かやってみよう」という事でおっ取り刀 で足湯を作りました。湯街の中央にある空き地に温泉を引き込み手作りの檜の足 湯を4つ並べて設置。商店街のお兄ちゃんや旅館の若旦那など素人が作ったにし てはなかなかの良い出来具合です。湯原らしさを出そうという事で掛け流しでは なく利用者ごとにお湯を入れ替える「新湯都度張替」方式。この方法、最初は、 お客様に理解頂けるか心配だったのですが近所の土産物屋や飲食店のおばちゃん 方が説明して下さったり変わり種という事でマスコミでも度々紹介されたお陰で 定着してきました。タオルを忘れた方には近所の方が使い古しのものをお出し下 さったり、温泉指南もしてくださり時折笑い湧き上がり良い雰囲気です。お客様 も思わぬ地元の人達との交流に喜ばれます。場所が旅館組合直営の「射的屋さん」 の前という事もあり、相乗効果で平日も賑わってます。どうやら足湯と言うのは、 入浴とは別物の「癒しの集いの場所」という感じなのです。今回の足湯は、あく までもキャンペーン用の仮設なのですがここも期間の延長が決まりさらに常設の 足湯の建設も行われる事になりました。湯街に6ヶ所の足湯が出来る事になりま した。吃驚したのは地元の人がよく利用している事です。同じ人が日に何度も訪 れて「これ始めてから身体の調子が良くなったんです。」と言われているのです。 各旅館の皆さんも軒先に足湯を作る動きが出てきました。このまま行くと湯原温 泉は、足湯だらけになりそうです。 写真の説明:湯原温泉の湯街に作られた仮設の足湯。同様な物が2ヶ所ある。利 用方法はユニークで利用ごとに温泉を入れ替える「新湯都度張替」

トラベルニュース:原稿:古林伸美
                 2004年 10月号

ここのところ行政主導型の観光イベントのお手伝いで疲れ果ててしまった。県全体で行う秋の観光キャンペーンとか振興局連合による○○温泉郷の単発イベントとか、お上主導の成果の見えない(出したくない?)レールの牽かれたイベントは、もう、うんざりだ。数千万円単位の予算に目が眩んで身を乗り出したのが間違いだった。その予算でも自由になるのは、木の枝の先っちょの木の葉一枚程度だ。宣伝の媒体とか企画全体が大元で投げ出しになっているのでいくら頑張っても小手先の技しか使えない。通常、自前の企画ならばその核になるイベント内容に工夫をするのも当たり前だがそれ以上にその告知方法とか結果が現れる方法を配慮している。ところがお上主導だと結果を出したくないようだ。当たればいいが外れた時の責任回避を計画段階から策略している。それが見え見えなのだ。横並べで行うだけに温泉など「持つ者と持たざる者」の差や優越など特色を出すイベントは全て却下された。観光イベントの当たりはずれは、致し方ないがこの手のイベントは、広域が対象になるだけに「出過ぎた釘は打たれる」事になる。せめて効果の程が数字的に現れるならば、励みようもあるのだが行政主導では、糠に釘、豆腐にかすがい、暖簾に腕押し。それでも大きな予算がつぎ込まれるのだから、きっと成果は出るだろうという望みが捨てきれず身銭を切り、仲間を励まし共に汗を流す。こんなイベントも年に一回程度ならば、「ああ、またか」と諦めもつくのだが、県全体、振興局連合と立て続けにやられたのでは、身も持たないし上に精神的にも限界がくる。お金の流れや仕組みも知らぬ若いうちは、「そんな物なのか?」で片が付いていたが、私もそろそろ古狸の仲間に入れてもらえる歳。そろそろ素直に騙されるのも嫌になってきた。分福茶釜に「にが湯」を沸かせてお上に献上してみようと言う気持ちが押さえきれない。  あのギャングであった「アールカポネ」の無法な行いに警察はお手上げだったが、国税局がギャフンと言わせた。いろいろな組織活動もお金の流れを辿って行くと見えてくる事がある。地域によって異なるとは思うが、個々で負担している観光協会費や旅館組合費が上の組織や横にどの様に流れていくのかを探りそれぞれでどの様に使われその中に個々の利益や意見が反映されているのか?それを紐解いていくと幾つもの矛盾を見つける事が出来る。昨今の温泉問題も実は、入湯税と言う甘い収益を見込んだ行政の責任と思えるものも多くある。実益を出すのは市町村の行政なのに認可を出すのは、その上の都道府県という仕組みもおかしな物だ。。


                 2004年 10月号

52.温泉の地域ブランド!
 今の技術を持ってすれば浴槽の洗い場から出た石鹸水や髪の毛等が混ざった本来そのまま下水に行く筈の汚水を高度浄化して再び浴槽やシャワーにすら再利用することすら可能なのだ。まるで宇宙船のお風呂なのかと思える話だが現実に行われている。これを利用した施設は浴槽の循環濾過水と洗い場の排水を分類する必要が無いから湯船から溢れたお湯は、豪勢に洗い場の足下まで洗い流しその様は掛け流しも真っ青と言った感じである。循環濾過装置の究極の姿だ。何も聞かない利用者は、豊富な湯量を誇る温泉と見間違うだろう。温泉評論家が図解で説明する湯船の中の循環の為の吸水口すら無いのだから無理もない。見破られるとすれば必然的に投入される塩素の臭いだと思うがそれすら二酸化塩素など他の物を利用すればなくなる。改めて温泉とは何だろうと考えてみる。ジャブジャブと贅沢にお湯を使い、大きな湯船でゆったりと湯浴みする。その湯が清潔で適温で見た目も綺麗なら温泉とどの様に違うのだろうか。温泉による成分ではなく根拠不明の二十五℃以上を温泉とする温泉法の規定だけで温泉の看板を掲げているところも多いが、専門家によるとその様な単純泉の場合、仮に蛇口での温泉分析を行うとして温度が二十五℃以下となっていたら温泉とは言えず只の水として評価する事になるのだそうだ。源泉部分で評価しその後は問わない現在の基準は変なパラドックスを起こさない現実的な基準と思える。これならパイプ配管で長い距離を配湯しても良いしタンクローリーで運んだお湯も元は温泉だったで問題ないわけだ。そして上記の永久循環方式で利用する。なんだか恐ろしい話だと思うのだが「温泉は、限られた資源であり有効に利用しなければならない」と言う論は、この方法さえ容認してしまう。さらに「源泉100%」も「天然温泉」も「本物温泉」も全て嘘ではない。昔、成分の分析や効能の実証がされない時代には冬でも暖かく浴す事ができる温かい泉は、只それだけで人々にとってありがたく貴重な物だったと理解出来る。「温かい泉」そのままの意味だ。その為にはせめて体温程度の温度は欲しいと思う。それが今はいくらでも作り出せるのだ。要するに昭和二十三年に作られた温泉法など理論的に覆す技術が現代ではいくらでもあると言う事だ。しかしこの論は当分通じそうもない。それは我々が思うほど人々が科学を信用していない為だと思う。自然に驚異する信仰にも似た温泉に対するイメージを人々が持ち続ける限り我々温泉施設の側はその期待に応えなければならない。ではそのイメージはどこから生まれたのか古くからの温泉地(温泉郷)により長い年月の中で築かれた思う。何処の温泉地も元は、宿泊施設のほとんどは、内湯を持たず外湯であった。配湯技術の発達と消費者のニーズに応えた結果、内湯が作られ規模が拡大し結果湯量が不足する。あるいは、温泉郷の地内であればお風呂を持たずに外湯に徹している小規模な湯治街もある。大きな温泉街でも便宜的に内湯はあるが泉質の良い外湯を勧める施設もある。これらは非常に真面目な取り組みだと思う。個々の施設情報で比べれば他の温泉地の施設と比して温泉の有無など大きく見劣りする事になるが地域全体で見れば住民みんなが潤い街は魅力あふれる温泉街の形態を維持出来るだろう。現在の温泉問題は、実は、施設経営者の経営姿勢に起因しているのではないだろうか。施設内で利用者の消費を完結させる経営姿勢が結果として利用者の持つ温泉のイメージと全く異なる物に変化させてしまったのかも知れない。  ある山陰の温泉地がこの問題の解決法を打ち出した。温泉法云々で評価するのではなく地域の基準でそれぞれの施設の温泉利用方法を判断し温泉郷の名が人々に与えてきたイメージを守っていくという地域ブランドを一番に考えた手法だ。法的には問題なくとも地域としての温泉に対する概念と違う温泉の利用方法をとっている施設は組合など地域として自ら是正していくと言う姿勢だ。


                 2004年 9月号

52.プラズマディスプレイ        VS 家族旅行
5月の連休以降どうもお客様が少ない。夏の予約状況も伸び悩んでいる。投票日までは、参議院選挙の影響と思っていたがどうやらそれも認識が甘かった様だ。あれこれと思い悩みネットでのプランや料金を弄ってみたが反応がない。町の仲間やメーリングリストで全国の仲間に恐る恐る様子を伺ってみた。どうやら全国的な傾向の様だ。そこである仮説が思い浮かんだ。プラズマディスプレイVSレジャー費の争奪戦だ。今年は、耐久消費財であるテレビの買い換え時期に当たると言われる。また地上波デジタル放送の開始も予想外に早い時期に開始される模様だ。この夏の娯楽は消えて無くなる旅行はあきらめて、家でのんびりホームシアターの前でのんびり過ごそう?そんな家族での話し合いの声が聞こえてくる。本来なら夏の旅行に費やした予算が家で楽しむ為の大画面ホームシアターに化けたのだ。今の三種の神器は「デジタルカメラ、DVDレコーダー、プラズマディスプレー」と言われるがルカメラを除けばいずれも家に隠ってしまう道具だ。世紀の祭典オリンピックを前にしては、町のイベント程度では太刀打ち出来そうもない。かといって思い切った価格での勝負は、業界全体から見ればマイナスでしかないと思いとどまる。この夏は、荒稼ぎは諦めて、それでも偶には、出かけてくれるであろうプチ旅行への対応で日銭を稼ぐ作戦で対抗するしか思い付かない。暫くは、無駄な手は打たずテレビの前でおとなしくしている事に決め込もう。「夏草や強者たちが夢のあと」。さてさて如何なることであろう。 ・白骨温泉問題について 温泉旅館は、すでに「温泉に頼らぬ温泉を越えた存在」という論がある。温泉地にあっても温泉を売り物する宿もあればそうでない宿もあり個々の施設の姿勢の問題だとする意見だ。地域での宣伝では、全体イメージを打ち出すしかないが泉源が異なり各様の経営形態である以上、そのイメージにそぐわない施設も出てくる。白骨温泉の統一イメージで白濁した温泉の写真が使われる事は無くなるだろう。混入の理由はお客様への期待に応えたと聞いた。温泉問題に踏み込んで考えるならばお客様の要望に応える為の手段や方法が問題視されると言うことであるならば温泉旅館の多くは、すでに同じ問題を抱えている。お客様の要望に応え浴槽を拡大し露天風呂を作りさらに露天風呂付きのお部屋を作りさらに拡大すれば必ず湯量は不足する。霊験あらたかであった温泉も怪しくなって当然だ。添え物として温泉を位置づけている施設は別として温泉そのものを売り物とする施設(地域)であれば資源に応じた適正な規模は必ずある。湯治宿としてその節度を守る宿もあれば、温泉以外の付加価値に比重を置いた観光旅館も有る。要は、各宿が所有する浴槽毎に温泉の利用法など細かく表示するしか方法は無い様に思われる。そうすれば入浴剤の投入も許されるわけだ。正直が一番と言うことですな。


                 2004年 8月号


51.湯原温泉発:元祖「露天風呂の日」
今年、18回目の露天風呂の日を行った。初めての雨天開催となった。今まで多少パラつく程度の天気は、あったが早朝の式典から土砂降りというのは初めてだ。逆に考えるといろんな面で何という「運」の良さであったことだろうか。無料でお風呂の開放を行っている宿(全ての宿泊施設)は、パニックに陥る人混みが予想されていた。例年、平日であっても相当な混雑が起こっており土日の開催は、どの施設も戦々恐々と言った心持ちだった。そこにこの早朝からの雨。天気予報も終日、雨となっていた。メインとなっていた旅館青年部の面々による「温泉指南役・口上」のデモンストレーションも中止と報道され、最小限のイベント内容に縮小されて行うことと発表された。これが良かった。実際には、早朝(6:26)からの式典が終わる頃には小雨となり午後には薄日が差し込む程度まで天気は回復しほぼ当初の予定通りのイベントが実施出来たのだがパニックになる程の人混みでは無かったのだ。毎年この「露天風呂の日」には、参加費無料と言うことで相乗りしてくるバスツアーに悩まされている。当初、百台以上と予想されていた入り込みのバスが50台に満たない嬉しい?結果となった。この某エージェントが企画するバスツアーは、露天風呂の日のイベント主旨の理解が無く地元主催者の都合を無視したお勝手ツアー。参加されるお客様にしてみればバス代等お支払いになられお越し下さる訳で決して旅館などの入浴料が元々、無料だという概念をお持ちでない。勢いその受け容れる側、お越し下さる側に意識の差が生まれトラブルの原因となっていた。この早朝の雨と天気予報のお陰で無用なトラブルも回避されバランスの良い結果となった。「ふーやれやれ」と胸をなで下ろした。 この露天風呂の日は、昭和62年に湯原温泉で始まったイベントだ。6月にイベントが無く何か作れないかと町内の若者達が知恵を出し合い、6月26日を略して書く「6・26」から語呂合わせで名付けた。「神の恵みである温泉に感謝し、先人が守り伝える露天風呂に感謝しよう。そして観光を支える住民に感謝しよう」という全て感謝のイベントとして観光に携わる旅館、飲食店、土産物屋さん、そして役場の有志や団体職員など広く呼びかけ「予算=0」全て各自の持ちだしでスタートした。スタッフのティーシャツも手作りなら「のぼり」も看板も全て手作り。相応の負担はあったが、この頃が受け容れる側として一番面白かった。宣伝なども一切行わ無いのにイベントは賑わった。このイベントには、それまでお越し下さることが少なかった近隣の農家の方に「温泉」や地元観光の素晴らしさをアピールすることも大きな目的だった。地元の方に気軽にお越し頂ける様に巡回バスも宿のマイクロバスを持ち出しで走らせた。受け容れる側もお越し下さる側にも「感謝」の気持ちが共有し、全て気持ちよく行えた。数年経ちこのイベントは、町(行政)により予算化された。この時点で観光イベント的性格を帯びてしまった。負担は軽くなったモノの途端に面白みは、気分的に半減してしまった。近年のお勝手バスツアーは、イベントの賑わいには貢献があっても双方感謝の共有が掛けている。このイベントもまもなく20周年を迎えるが、本物を求める時代だけにそろそろ原点に立ち返る必要を感じている。お金だけが全てではないと・・・。

バリアフリーの心!! 「優しい目」

今回も業界タブーなお話しにふれてみようかな・・・。 最近、身障者団体への宿泊拒否がマスコミに取り沙汰されたが詳しい状況を聞くにつけおかしな結末で終わってしまったと思う。どうにも合点が出来ないのだ。熊本の一軒は別にして250名からの団体予約なら数社のエージェントに見積もりをとるだろうし依頼されたエージェントは、その団体であるお客様の条件にあった宿を手配する筈だ。何故にこれほどに話が拗れたのか不思議でならない。宿泊施設が障害者に対する構造物や設備の不備を理由に断ったのは、見積もりなり問い合わせを行ったエージェントに対してであり直接のお客様では無かった筈だ。そして宿泊施設側が辞退したのは、お客様に配慮してのことであったと思う。これはお客様である障害者団体への宿泊拒否ではなく、あくまでも中に入ったエージェントに対しての送客辞退であったはずだ。なにより大きなビジネスチャンスを捨ててまでこの判断を下した事は、宿のある意味、理性だと思う。エージェントには、他の宿泊施設を選択出来たはずだし、それができる時間的余裕も充分にあった。事実、問題となってからかなりの日時が経ってから他の施設に振り替えたのだ。それが何故、あのような事態になるまで当初の施設に固着したのか不思議だ。余程その施設でなければならない理由がエージェント側にあったとしか思えない。この辺りになにやら怪しげな臭いを感じてしまう。挙げ句の果てに問題視されマスコミから叩かれ、行政にも頭を下げたのは、宿泊施設だったのだが、この件についてエージェントの対応が問題視されることは一切無かった。当該団体に対して万一の際の責任回避の一筆を求めさせる状況までその宿泊施設に陥らせ拘ったのは、ほかならぬエージェントであり社会的批判を受けるべきは、そのエージェントであるべきだ。この事件は、古い体質を我々業界が今だに持ち続けていると言う悲しい事実を見せつけられる結果となった。エージェントの手法も許せないが対等な付き合いの出来ない宿泊施設の考えも反省するべきだと思う。また県のお役人も何故にその点を追求しないのか疑問だ。行政の行う大きな観光キャンペーン等を知恵もださず汗もかかずエージェントに丸投げし団体集客のシステムを理解し利用している行政機関がその点を目を背け一方的に宿泊施設側に責任を押しつけた格好だ。行政の態度は、弱い者虐め以外の何物でもない。またマスコミもスポンサーであるエージェントに圧力を掛けられたのか、はたまた無知なのか、その問題点に言及した者は、一社も無かった。日本のマスコミなんて偉そうな事言ってるが社会正義等というモノは微塵もない二流三流国家と同じレベルなのが実態の様だ。この事件の中で唯一「優しさ」を感じたのは、勇気を持って「お断り」をエージェントに返した該当宿泊施設だと思う。まだまだ社会そのものが熟成してないのが日本の実状の様な気がする
 最近、バリアフリーを物心両面で研究されている方とお近づきになった。町をご案内して歩くうちにいろいろなご指摘を頂戴した。道路の側溝の鉄製の蓋の格子の幅とか、曲がり角の不自然な傾斜とか、何気なく見過ごしていた事が障害者には大きな危険を及ぼす事がある事を初めて知った。公共施設に作られた障害者専用のトイレなども確かに規定通りには作られてはいるが実際に使用された場合は、不都合があり使いづらいものである事なども気付かされた。確かに規定通り作られてはいるが気持ちが入っていないのだ。「優しさ」という気持ちが入っていない。宿泊施設の公共性は高いと言う認識はあるが如何せん設備投資の難しい現状ではバリアフリーは、今すぐには出来ない。しかしこの「優しさ」があれば設備のいたならさを充分に補える事も知った。優しさを持った目で町を見る必要性を知り得た人生の良い巡り会いだった。  


                 2004年 7月号


51.雨粒の音と音声ツール
傘を差そうか差すまいか、シトシトと静かに降る霧のような雨、窓際の木の葉も時折お辞儀している。お日様の苦手な私には、ある意味ロマンティックな思いすら浮かぶ好きな季節だ。遅い朝、カーテンを開けても強烈な日の光は、差し込まないしお客様もセールスも少ない。この原稿と会合さえ無ければお気に入りの季節だ。売上げが少ないのが難点だがどうせ夏になれば、こんな間抜けな感情など忘れさせてくれるぐらいの賑わいがやってくると諦めにも似たタガを括る。カーテン越しにボケーと川の流れに目をやりながら時を過ごす。河鹿蛙の鳴き声に日の暮れの近いことに気付き時計を見る。子供時代の授業中に空虚に先生の声を聴きながら窓の風景に思いを巡らせた時の様な感じ。責任も無ければ義務感も無い気楽な時の思いと言う感じ、良いモンです。こんな楽しい空虚な時を容赦なく遮断するのがお決まりの電話の音だ。以前に私は、変な電話恐怖症ともいえる症状が出たことがある。不思議な症状だった。電話の受話器を持つと動悸し呼吸が苦しくなる。通話を止めると平常に戻る。耳鳴りもしてたな。医者に掛かり24時間監視する心電計を付けても異常は見つからなかった。心因的ななにかの理由だろうが自分自身思い当たることがない。原因不明だ。新し物好きだし話し好きな私にして現代のコミュニケーションは、度が過ぎているのかも知れない。五十を過ぎて情報最前線に立つのは少々シンドイと言うのが本音だ。  さて昨年の初頭までは、実験程度に過ぎなかったWeb-TV会議も相手は限られるモノのすでに日常的なツールとなった。音声だけのコミュニケーションツールも技術革新が進んでいる。音質が非常に良くなり電話など比較にならない臨場感を持ったモノが登場してきた。これなど従来のPC通信では、ある意味必需品であった鬱陶しいヘッドフォンも必要なし、スピーカーとマイクでハウリングも起こさずに通話出来る。文字では伝えにくいのだが非常に自然な会話が出来ると言う感じ。会話は、これを使いながらメールやチャットで資料の交換を行い映像は、別のソフトで補完する。こんな合わせ技も自然に出来る。この音声ツールは、以下のサイトで入手出来る。 http://www.skype.com/home.ja.html このツール、我が家ではちょっと変わった使い方をしている。息子が帰ってきた為、事務所が手狭となり一番働きの悪い私がはじき出された。10メートル程度離れた別部屋に一人で仕事をするという状態。元々家族経営なのに一人だけ別というのは寂しすぎる。そこでこの通話ツールを伝声管(インターフォン?)代わりに利用してコミュニケーションを計るという方法だ。ただしこれ家族にはいたって評判が悪い。これでは内緒話がまったく出来ないと言うのだ。使用するマイクの質にもよるが、周囲の音も良く拾う、まぁそれ位、臨場感のある音声ツールという事ですな。ちなみに私の方のマイクは、カットすることも出来るので不都合な音は、家族へは聴かれない様にしている。?誰です、社員の監視用に使ってみようと考えた人・・つかえます。6名までなら同時通話の会議にもつかえます。これなら変な病気も出ないかも知れない。

                 2004年 6月号

50.二次元バーコード
久方にインターネットネタを。今やネット予約は、当たり前になってま すよね。でも発生件数的にはパソコンよりも携帯サイトの予約の方が多 い場合もあるんです。さらにここに来てその携帯サイトがさらに有利に なるかも知れないというお話しです。  最近、名刺とかに四角いモザイク模様の様 な物を印刷されているのをご覧になったことはありませんか?あれが二 次元バーコードとかQRコードと呼ばれている物なんです。従来のバー コードが横方向しか情報を持っていないのに対して二次元バーコードで は縦横の二方向に情報が入る為、飛躍的に情報量が増えています。あら ゆる品に打ち込まれている従来のバーコードは、せいぜい20桁程度の情 報量でしたがQRコードは、バーコードの数十倍から数百倍の情報量を扱 う事ができるそうです。この技術は、当然、流通や物販など多方面で利用 されるようになりますが生活に密着した道具である携帯電話のカメラが その情報の読み取り装置として利用出来る事が私達にとっても身近な物 としてくれます。また携帯電話の画面に二次元バーコードを表示させる 事で事前決済したチケットやクーポン券の変わりになるそうです。名刺 やパンフレット、雑誌広告に宿の情報を入れたQRコードを印刷して携 帯電話のサイト情報に誘導したり、空室情報からボタン一つで電話を掛 けていただけたりメールでの予約が出来たりとなかなか凄いことが出来 る優れものです。まだまだいろんな利用方法があるようですが取りあえ ず携帯サイトの充実が私達の急務のようです。新しもの好きな我が湯原 温泉では、さっそく飛びつきました。旅館や飲食店、土産物屋に入浴施設 など画像を使った情報を充実させ取りあえず全機種の携帯に対応可能な トランスネット社の「ROOMBANK」に連結させて予約可能な携帯ホームペ ージに一新しました。さらにQRコードそのものが目新しくイベント等 気が引けるようですから宝探し的な街角の観光スポットの案内ツールと して充実させる予定です。


                 2004年 5月号


49.健康型温泉地づくりへの歩み
    外客誘致は穏やかに・・

自分達の町を見つめ直す事からスタートし視点を変えてトライをする。ある時は、露天風呂であったり、その町並みであったり、イベントであったりと先人もきっと同じ思いで「あれこれヤッタに違いない」等と温泉街の歴史に思いを馳せながら私自身も繰り返えしている。良くもまぁ飽きもせず取り組める物だと思う。かっこいい事は、言えるが結局のところ欲とエゴとの二人連れ、食っていけなきゃ話にならんし、他の温泉地との差別化は、地域エゴとも言える。迷いも悩みも一杯抱えながら次の世代までの中継ぎと割り切って突っ走る。  昨年始めた温泉指南役の養成事業は、我々が目指す観光面でのイメージアップによるPR事業に端を発し結果的に行政の福祉や医療事業にも連携する事になった。昨年度、町内の高齢者対象に行った旅館の浴場と広間で行う健康講座の開講「いきいき21事業」は、旅館が送迎し施設を使い温泉指南役も行うというものだ。三軒の宿の協力で延べ9回行った。商売として成り立つ物とは思えないが行政への協力姿勢は次のステップのきっかけとなった。雰囲気として行政も町村合併を踏まえ町のアイデンティティーをしっかりとアピールしておく必要があり、すんなりと連携出来たように思える。湯原には、振り返れば温泉以外誇れる物が無いというのが実感して頂けたのだろう。温泉ネタは、マスコミにもウケが良く関連イベントの多い湯原は、県内での露出度でも群を抜いている。新聞のデーターベースで各町村名や観光地で記事検索すれば行政も理解出来るだろう。それらの事が追い風になり、さらに踏み込んだ事業という事となった。それが医療との連携だ。名付けて「HotDockプラン事業」。町立の温泉病院が破格の値段で人間ドックを行ってくれるというのだ。これを各宿の宿泊プランとして売り出そうと言う試み。連泊を狙った湯治型や一人旅への対応も工夫しようと言う企てだ。しかし現実には、一部の宿を除き湯治への対応は、ある意味で未知への挑戦。古くは、当然であった事が忘れられている。恐る恐るのスロースタートというのが現実だ。先進地に学びながら現代の湯治宿のあり方を勉強していきたい。  行政には、少々不安な動きもある。それは小泉首相の「観光立国」に呼応した急激な外客誘致の姿勢だ。こちらも田舎の温泉地だけに不慣れな上、心構えが出来ていない。特に湯原の場合、空路のある韓国での誘客に主眼を置いているが単価的な問題や環境整備など準備態勢はまったく行われてない中で行政主導の積極姿勢も度が過ぎると考え物と思われる。緩やかな変化が望ましいと思うのだが戸惑いを感じているのは、私だけだろうか。


                 2004年 4月号


48.大成功!!
    温泉指南役・全国フォーラム!!

一昨年から準備に掛かり、昨年5月と9月の温泉指南役養成セミナーで計42名の指南役を創出しました。知識はあってもお客様に巧く伝えられないという最大の難問もその部分を芝居仕立ての口上に仕立てて何とかクリアー。いよいよ全国デビューを果たそうと言うことで2月17日、先駆的な肘折温泉、いわき湯本温泉、赤倉温泉のご協力を得て東京千代田区平河町にある都道府県会館で「温泉指南役・全国フォーラム」を開催いたしました。いわき湯本、赤倉、肘折の事例発表の後、いよいよ我が湯原温泉の順番が回ってきました。まず旅館青年部が演じます「露天風呂湯浴み指南の口上」で幕開けです。拍子木の合図が入ると舞台後方から綺麗どころ4名が持つ指南役の幟を押し立てて、スススとすり足で青年部7名が登壇。背広姿に上下という出で立ちも板に付き、再びの拍子木の合図で口上が始まった。 「とぉざい、とぉうざい〜〜〜。本日は、砂噴き湯へのご来湯ありがとうございまつる。我らは、湯原温泉の温泉指南役にござ〜〜いまつる。この砂噴き湯は、古代の湯治の姿をとどめる場所にて我らが守り続ける秘湯にございまつれば〜昨今の観光用の露天風呂とは訳が違いまする〜故に〜後来湯の皆々様には、我らが掟、法度に従い 湯浴みいただきまつる〜。」座長のこの発声に「スワ何事かはじまらん」と場内静まりかえり、その後の6つの法度の部分ではあまりの強烈さにマスコミ関係者も唖然の様子。最後に再び座長の口上「ここにご参集の皆々様は・・略・・ただ〜し湯当たりなされぬよう〜、ほどほどと思し召せ。初日、二日においては、日に一度、三日辺りになれば湯が身体になじみますれば〜朝夕の二度に。三度以上は、お命をお縮め参らせ候。ゆめゆめ、湯巡りなどと浅はかは、成されぬように。・・略・・」隅から隅まで、ずずずい〜っと、御願い上げたて〜まつりまする〜。」この後、私の事例発表となったのだが、この強烈な口上の後では影が薄く与えられた20分もさらさらと流れ消え入ってしまった。湯原温泉としては大成功のアトラクションとなった。その後、コーディネーターのトラベルニュース社長奧坊氏の進行の元に全旅連石川満専務、野口冬人先生、松田十泊先生、郡司勇先生、西本梛枝からご意見を頂戴し、熱気さめやらぬ間に交流会場の赤坂プリンスホテル最上階に移動、各温泉地も積極的に情報交換を行い大盛会にて終了いたしました。この会にお招きした先生方は、皆さん自らが筆を持たれる方ばかり今後、取材で次々とお越し下さる旨のお言葉も頂戴し、今は、とにかくお越し頂いた湯原の町が期待を裏切らない町であるように地元を固める事に力を注いでいます。尚、今回の企みは準備段階から地元NHKや民放のTV局が密着取材、現在各社が町づくりのドキュメント番組として放送下さっており、地元での反応が非常に良くなりました。今後、温泉をアイデンティティーとする私達の活動は活気が出てきそうです。

トラベルニュース:原稿:古林伸美
                 2004年 2月

寒波到来、被害甚大!!

外湯からタオルを振りながらカラコロと帰ってくると宿に到着する頃にはカチンカチンに凍っている。タオルが立てるのだ。今年は、格段と寒い。この冬の最低気温はマイナス13度、1979年以来の寒波の到来だそうだ。スキー場も近くには沢山あるのだが寒すぎるのかこの時期はお客さんも少ない。旅館もガラガラだ。この冬の一番の寒波は、そのガラガラの温泉街を凍りつかせた。暖房を切った客室の水回りが凍結で破損し被害甚大。水道管の破損程度なら理解頂けるだろうが、そんなモンじゃない。トイレの便器が凍って割れるのだ。配管のパイプが凍ってのびて洗面台全体が壁から落ちたところもあると聞く。さらに凍結防止の為にチョロチョロと洗面の蛇口をあけて水を流していたら排水のパイプの方が凍ってしまい洗面からあふれた水でトイレが水浸しになったところも・・。本当に寒いところなら最初から電熱配管や中空パイプを施すなど凍結防止の処置が為されているが中途半端な地域なモノでそこまでの事はどこの旅館もやっていない。勢い今年の寒波にやられてしまった。災難は忘れた頃にやってくる。正にそれである。春になるまで修理不能なところもでている模様だが本当の被害は、氷が解けてみないと判らないかも。人が住んでいないと家は、痛むと言うが旅館も同じだ。お客さんが少ないとボロボロになってしまう。建物も冷え切ってしまうし従業員のやる気も冷える。ただ今の気温は、マイナス3度。深夜からさらに冷え込む予報がでてるから朝方にはマイナス10度近くには成るかも知れない。館内を見回りながら誰も居ない客室の暖房を入れる空しさ。宿屋という商売は好きなのだけれど、それもお客さんあっての話。修理費で懐も寒いしこれほど何もかも凍てついてしまうと心の中まで氷が出来てしまう。雪に埋もれながらも春を待つ蕗の薹の様に頑張らなくては。さて早く温泉に入って心の氷を溶かす事にしよう。 お知らせ:「温泉指南役・全国フォーラム」を2月17日午後1時より東京の都道府県会館で行います。ご興味のある方は、下記にお問い合わせ下さい。(湯原の里振興プロジェクト:0867-62-3024)


                 2004年 3月号


47.見かけ倒しにならない為に
    宿六、本領発揮の時来る!!

ロクデーナシ、ロクデーナシー、ロクデーナシー・パパパ・ヤー、何故なんだろうか?私の身の回りには選挙好きな先輩旅館経営者が多い。温泉地の旅館の親爺さんなんて景気の良かった時代は、文字通り女将から数えて番頭さんに板前さん、中居さん、中番さん、下足番・・・と来て七番目の「宿の六でもなし」の「宿六」。要するに仕事的には居ても居なくてもどうでも良い所在ない悲しい存在と言う意味だとか。いつの時代でもそうだがそう云う余剰人材が遊びに中で文化を育てる。要するに目先の欲求に惑わされない高尚な人種?その人種が作ったのが日本の文化と言うわけだ。とは言うもののその時その場で役に立たない余剰戦力。現場サイドでは「役立たず」以外の何物でもない存在だったかも。実際にはアヒルのごとく見えないところで一生懸命水かきを動かしているし今時そんな羨ましい宿六さんも居ないのだけれど。しかし宿屋という商売、衣食住全てに関わり人的にも広くお付き合いが有る。政治的な活動にも当然引き出され頼み頼まれ(チヤホヤ)選挙好きに成ってしまう。そんな事を勝手に考えて納得。しかし不思議なのは、この選挙好きの宿六も業界という大きな視野で立つとさっぱり駄目だった。今まで全国に繋がる組織○○連を三つも持ちながら業界を代表するという立場で国政に打ち出た人はいないし押し出した事もない。そんなに力のない業界なのだろうか。しかし今、業界も変わろうとしている。この夏の参議院選挙に文字通り我々業界の代表が立候補する。今こそ宿六の力の見せ所。この選挙で万一の事が有れば今後、国も地方も選挙では力にならない業界と見くびられ政治家に何も聞いてはもらえない事になるだろうし、それどころか「ノー」の言えない業界とみられてしまう。皆さんにはこの夏には熱く盛り上がって頂くしかないのです。  ところで皆さんは旅館業法をご存じですか?「第1条 この法律は、旅館業に対して、公衆衛生の見地から必要な取締を行うとともに、あわせて旅館業によつて善良の風俗が害されることがないようにこれに必要な規制を加え・・云々」これが改正前の法律でした。凄いでしょう頭に来ませんか?でもご心配なくこの法律は改正されました。特消税撤廃運動の時、この法律の改正運動も同時に行い現行の旅館業法は「第1条 この法律は、旅館業の業務の適正な運営を確保・・旅館業の健全な発達を図る・・国民生活の向上に寄与することを目的とする」これなら如何ですか。この改正の立役者こそ今の我らが業界の今の代表者、立役者です。(ろくでなし=陸でなしと書きます。陸地=地平線 が平らなことから、まっすぐで正しいこと、という意味をもっています。その「陸(ろく)」を打ち消した表現が「ろくでなし」で、「まともではない」という人を悪く言う言葉として使われているそうです。あて字で「禄でなし」と書いて収入のない人のことを指すこともあり。宿六は、意味違いかな?)


                 2004年 2月号


46.温泉街の行く末
    去りゆく者の怨念

午前零時を過ぎて猛然と雪が降り出した。ありがたくない天気予報が的中した。 気温は、マイナス3度。街路灯に照らされる 世界は、真っ白に変貌していく。朝8時の積雪で40センチ、さらに雪は降り続 きチェックアウト出来ないお客様も出てきた。11時、やや小降りには、なった が60センチは越えただろうか。予約客への連絡の結果、キャンセルが数組発生 した。代わりに帰れないお客様の宿泊延長もあるが土曜日のこの天気は痛い。さ らにこの後、辛い作業が待っている。数年ぶりの大雪にスタッフ全員で除雪作業 に当たる。スキー場など雪国なら平常のことなのだろうがそれほどの豪雪地帯で はない私の町では、年に何度しか無いことで体勢がとれてない。町の除雪車は、 温泉街には、いつも一番最後にやってくる。待ちきれず行う慣れない作業にクタ クタだ。近年、過疎化と高齢化が進んでいるが、この除雪作業ほど身にしみて温 泉街の現実を認識されられることは無い。融雪装置は、道路には付いてない。降 り積もった朝、店先や駐車場の除雪をスコップ等手作業に頼り行うのだが雪が残 される場所が年々増えている。10年前は、町(行政)の除雪を待つまでもなく 密集した温泉街の道路の除雪は住民が自主的に終えていた。今は、とてもその余 力がない。空き店舗、高齢者の家の前は、最後まで雪が残っている。観光客の為 の歩道の確保もおぼつかない。こんな時は、つくづく温泉街の行く末が心配にな る。後継者がいるのは旅館だけだ。数年後には、温泉街は、旅館経営者だけで作っ ていくことも本気で考えなければならないようだ。行政も新たな雇用の創出には 熱心だが元々の温泉街には無関心だ。近年少し改善されたと思う面もあるが観光 とそして特に旅館経営者には、甚だ非協力的だ。何事に当たるにも充分な理論武 装と周到な準備をしておかないと議会で反発を受けることになる。この理由は、 もともと温泉街が町の部分的な土地に集中して発展してきた「持つ者と持 たざる者」の経緯、そして我々の配慮に欠けた、ある意味奢った態度に有るのか も知れない。また後継者は、旅館以外には居ないという退廃的な様相その物にあ るのかも。去りゆく者の怨念を残る者が背負う・・そんな妄想にも似た考えがふ と心を過ぎる。町村合併が迫る中で何とか町として以上に温泉街としてのアイデ ンティティーを築いておきたいと思う。シンシンと雪の積もる中でその思いが強 くなる。明日の除雪車は、どうなるのだろうか?とりあえず今は、それが心配だ。


                 2004年 1月号


45.危うしインターネットの自由な世界
   情報の暗号化と認定システム(SSL)

息子に怪しげな「最終通知書」が「債権回収センター」の名前で郵送されてきた。2週間の間に7通届けられた。内容は、アダルトサイトの閲覧料の未収と言う物だ。請求金額は、5万円から30万円。振り込みがなければ取りに行くというドスの利いた文章だ。何故この様な郵便物がいろんなところから届くようになったのか聞いてみたところ、どうやらコンビニにバイトに行っていたときに加入させられた会員情報が怪しいと言う事になった。当時のバイト仲間全員に同じ様な物が郵送されていたという。例のファミリー○○○とか言う大手コンビニの会員名簿漏洩による被害のようだ。メールで届くものは、私にも送られてきた事があるが郵便物は初めて見た。異なるところから送られてくると言う事は、裏社会で名簿情報が売買されていると思われる。この様な事件があると誰もが個人情報について神経質になってくる。ましてインターネットとなると素人目には中身が見えないだけに特別だ。クレジットカードの情報がインターネットの通信時に漏洩する可能性が有る事は、広く知られている。しかし名前や住所、電話番号ぐらいの情報ならと多くの人は安易に考えていた。実際、インターネット上の有名サイトでもアンケート情報程度なら暗号化されずにやり取りされてきた。しかしこの程度の情報でも使いようによっては充分な意味を持つ。先のコンビニ会員情報の漏洩など悪しきその例だ。デジタル化された情報は、加工が容易である。またインターネットの通信の特異性から情報経路が特定されない為、秘守性に問題がある。悪しき目的で蜘蛛の糸を張り個人情報を集めている者もいる。これまでのインターネット上の通信は、あまりにも無防備過ぎたのも事実である。東京都の調査によると有名ネット販売サイトですらその9割に欠陥があるという。我々宿泊業界における状況は、さらに悪い。決済のない予約情報の交換だけにその取り扱いに安易すぎたのかも知れない。予約サイトでは最近その対応がとられてきた。しかし宿泊施設の多くで独自に導入されているシステムでは、そのほとんどが情報保護の対策が執られていない。早い時期にその対応が求められる事になるだろう。さてこの個人情報保護の仕組みに最近興味を持っている。通常、暗号化と第3者認定システムで行われていがこれにけっこうな費用が必要になってくる。しかも恒久的に。こればかりは自前で作るわけにはいかない。世界的に数多くの認証システムがあるのだがブラウザ上でその認定システムそのものを許可するかどうかを利用者に問いかけてくる仕組みになっており事実上この部分でもマイクロソフト社の利権となっている。この問いかけを出さないようにする為にはマイクロソフトに認知された認定業者を使う事になる。この部分に不条理を感じるのは私だけだろうか。この解決を政府レベルで行わないと面白くない事になりそうだ。最終的にはパソコンのOS部分に関わる大問題。ネット上の取引は、今まで素人にでも直ぐ始められる安易な物だったが今後は手枷足枷、それなりにお金と知識が必要となり、さらに法規制が網の目に張りめぐされた複雑な世界に変貌していくかも知れない。


                 2003年12月号


44.それでもかめ虫はやってくる。

治療を持ち越して2ヶ月目の本誌締め切りが情け容赦なくやってきた。体調不良は、気分も落ち込ませる。身の回りに山積みになった未整理の仕事になんとか気分を奮い立たせようとするのだが、いつもの様にケツに火がつかない。町の振興プロジェクトとか組合事業も何もかも調子の良いときに自分自身で火を放っておいてほったらかし。何という無責任なヤツなんだろう。時間だけがホントに虚しく過ぎていく。この原稿も締め切りを3日過ぎた今、重い指先を休め休め打っている。あぁ駄目だ。もう何もかも投げ出してしまおうと思ってしまう。言い訳ならいくつでも思いつく。身体の性にしてしまおうかそれとも仕事のミスで責任をとるか、いっそ家族にも知らせずに蒸発してしまおうか。何とかこの原稿にも手が出せた理由は、「こんな気分になった事は、今回が初めての事じゃない。」という自分自身の思いだけ。そう言えばあの時もそうだった。いくつかの記憶の山を辿りながら、「いつも何とかなったな」と、何とも悲観的状況の中で呑気な思いが過ぎってくる。「しめた!」この呑気さこそが私の信条、この「何とかなるさ」が頭を持ち上げさえすれば乗り切れる。なんともいい加減、なんとも無責任つーのかな、やっぱし。  さて50回目の故郷の雪景色がまもなくやってくる。事業は、年度で締めるとは言うものの年末に近づけばそれなりに今年を振り返る。家業の業績の事、家族の事、町の事、それらの中での自分のやって来た事に自己採点してみる。仕事などは、そこそことしても家族に対しては、良い点数がもらえそうもないな。やれ組合だぁ、観光協会だぁと家を空けたり、家にいてもパソコンでそれらのHPをつついたり、企画書書いたり、最近じゃビデオチャットの「やどちゃ」もやってるし、部屋に閉じこもってるか、組合の会議室にいて、役に立たないお父さん。ある程度理解はしてくれてるとは思うが身勝手な父親と思っているに違いない。実際その通りなのだから、言い訳もできやしない。甘く見てえも10点か20点がいいところだろう。今日は、幸い暇だし、罪滅ぼしに焼き肉屋にでも連れてってやろう。何とも安い罪滅ぼしだな。出かけたついでに買い物もしなきゃ。そうだガムテープをしっかり買い込んでおかなきゃな。先週当たりから客室の電話から「ブーンて大きな虫が飛び回ってるんです。」と言う苦情が入り出した。今年もかめ虫の季節がやって来た。業者に駆逐を頼むほどの事もないのだが夕食時とか深夜のやっと一休みしようかとしているときの様な忙しいときに限って突発的に発生する。ご到着のご案内で「辺りが山ですからこの時期お姫さん(岡山県北でのかめ虫を指す方言)がお邪魔する事もあります。お知らせ下されば直ぐに参りますから捕まえようなどと手を出さない様にお願いしますね。」このお姫さんには、殺虫剤も駄目、殺す事は出来ても強烈な臭いをまき散らす。そっとガムテープで捕獲して野外に連れ出すのがやはり一番有効な様だ。しばらくはガムテープ片手に客室を走り回ることになるでしょう。


                 2003年11月号


43.不安と自己嫌悪の中での徒然

突然の秋の訪れと同時に病院から電話が掛かってきた。6月に治療に使った薬がB型肝炎ウイルスに汚染されていた可能性があると言う。至急病院に来て検査を受けてくれと言う。もし感染していれば発病は、いつ頃か?と聞くと「そろそろだ」との答え。途端に息苦しくなってきた。気分的な問題とは思うが不安で頭がクラクラしてきた。早々に病院に行き検査を受けた。数ヶ月間は、定期的に検査を続ける必要があるとの事。その間の検査や治療代は、製薬会社で持つとの事だが、当然だろうと思うと同時に不信感と???で頭がに一杯になった。  CIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)という病気の治療の為、月に5日間、血液製剤を使った治療を続けなければいけないのだが、暫くは、治療そのものも止めた方がよいとの事。治療を辞めると唯でさえ動かない手足がさらに重くなる。現在は、家に閉じこもりの状態。汚染された可能性のある5000本の献血の約半分しか回収されておらず厚生労働省も回収を命じていない。回収されたモノ中からは38本の汚染が確認されたという。治療に使うのは血液製剤だから感染の可能性は低いという説明だったが治療の再開の時期は掛かり付けの医者も?。思わず断っていたお酒に手を出してしまい、さらに落ち込む事態。まさしく四面楚歌の最悪の状態。お酒は、3日程で止められたが気分の落ち込みはさらに進行。自己嫌悪と不安感に押しつぶされそうな日々を送っている。しかしそんな私の状況なんか関係なく世の中は、動き続けている。相変わらず口だけは達者なだけに動けもしないくせに余分な仕事を増やしている。誰かのように「鬱だ」と一言言い放ってどこかに逃げ出せたらさぞや楽だろうと思う今日この頃。さて漸くこれで原稿も半分埋まった。このまま身体の事をかき続けたら呪いの言葉を書きつづりそうなのでそろそろ方向変換。  我が町の合併話も具体的な内容が出だした。9か町村が合併して人口3万人の特例処置の小さな市になる方向だ。湯原町は、人口3500人。人口比率で考えれば新しい行政枠では軽んじられる可能性もある。そこで今は、温泉街としてのアイデンティティーを精一杯出す事に重点を置いている。観光が地域経済にいかに貢献するかを説き、さらにその基盤になっているのが温泉にあると言う事を関わる全ての人が再認識しておく必要がある。温泉指南役養成の隠れた目的は、実はそこにある。幸い現首長や議員もその点は理解頂けている。合併後も旅館や観光関連業者が不利にならないような雰囲気が出来てきた。マスコミでも温泉と健康づくりに関する内容が多いのも追い風になっている。さらに宣伝活動の核にしてきた「観光地の温泉ではない、湯治場の温泉」と言う切り口も次第に効果が出てきた。雑誌、TVの取材も殺到している。この上昇気流にうまく翼を操り乗せていきたいモノだ。今日も記者を前に満足に動く唯一の道具「口」を動かし続けている。


                 2003年9月号


42.公正取引委員会の全国温泉調査

今更という気がしないでもないが公取委が温泉の表示について悪質な場合、排除命令を出す決定を出した。源泉100%や天然温泉掛け流しと言った表示に注意が必要だ。もちろんそうでない場合はと言う事だ。しかし調査によるとお客様の8割以上が本物の温泉を利用したいと望む現状から「持つ者」と「持たざる者」に大きく隔たりのある受け止め方がもたらされている。同じ温泉地内にあっても所有権の有無や引湯方法、また源泉からの距離によっても使われ方には差が出てくる。自然噴出の湯量が多い恵まれたところでさえ使用量に応じてコストに差がある以上、全ての宿が同じ条件と言うわけには行かない。個々の宿の宣伝に限らず組合や観光協会での共同宣伝も難しくなってくる訳だ。各組織加盟の全施設が「源泉100%」と言い切れないのが実情ではないだろうか。 組合や観光協会の宣伝担当者は、頭を悩ましている。しかし今回の調査により全国で7割以上の施設が循環装置を使用せざるえない現状をお客様にご理解頂けたと言う事は、良い面もある。偽物温泉は、論外としてきちんと管理されたお風呂であるならば、受け入れて頂くほか無い。と言う、開き直りかも知れないがその現実を突きつけたわけだ。その上で源泉100%を望むなら可能な方法を考えればいい。湯量に応じた規模で衛生面に考慮した掛け流しの源泉100%の湯船を作り、そこから溢れ出た湯を循環風呂に導く方法などもある。源泉部分は「上湯=神湯」、循環部分は、「下湯」として入浴のルールの中で必ず「下から上へ」と定めるなど歴史ある温泉地なら必ずと言っていい掟があったはず。自館内で不可能なら外湯に頼るのも潔い。これらは一例に過ぎない。たとえ僅かでも源泉があるならば方法はある。湯量がないのに「露天風呂付きの部屋」等、拡大し続ける浴場の全てを源泉100%言うのは、どだい無理な話だ。うちは大丈夫と言われる宿もあるだろうが、ほったらかしの源泉100%よりきちんと管理された循環風呂の方が衛生面など良いかも知れない。ともかく一番心配なのは、温泉宿の信用を無くす事だ。間違いなく日本人の癒しの原点は、温泉にあると私は信じている。そのお客様を欺くと事で温泉離れを起こすような事があってはならないと思うのです。さてこれからの湯原温泉の広告宣伝、何を訴えていこうかな。やはり「本物温泉掛け流し、塩素無しですから下から上にご利用下さい、掛け湯しないは猿にも劣る」・・ちょっとエグいなぁ、しかも字余り。


                 2003年9月号


41.フリースポットとロボット番犬

最近の業界のメーリングリストを賑やかした話題にフリースポット(FreeSpot)がある。ネットワークのセキュリティーに配慮したweb専用の無線LANステーションを普及させようと言う株式会社メルコ主催フリースポット協議会のキャンペーンがそれだ。この手の情報に目敏い鳥羽市の旅館あらしま(籾山征也氏)の投稿がきっかけで大爆発。この無線LAN機器が無料でモニターしようと出来るというモノで宿泊客へのWebサービスを模索していた我がお仲間がこぞって応募したという次第だ。最初は、戸惑っていたメンバーも春先からこれまたブームの「ボイス&ビデオチャット=通称:やどちゃ」での情報交換でその有効性が知れ渡り、またタイミング良くメルコ社が当選発表を行うモノだから火に油を注いでしまった。あまりの宿泊施設関係者からの応募の多さに仰天した同協議会から聞き取り調査を頂く事となった。特に伏せる必要はないので宿仲間メーリングリスト「やどちゃ」の存在をお話しし、我々宿泊業者が顧客サービスとしてweb環境を整えつつある現状をお話ししたところ、同協議会の壷にはまってしまった。当初100セットとの事だったが一気に拡大され大盤振る舞いの様相。今回のキャンペーンは、まるで旅館ホテル、ペンションなど宿泊業の為のモノとなったと先ほど担当者から連絡が入りました。ともかくこの一件で業界内のwebサービスが一気に加速された事は間違いない。宿のホームページ上でフリースポットの文字を数多く見る事になるでしょう。前号で書いたユビキタスにもまた一歩近づいたわけだ。この状態に協議会側からさらなる提案がなされる模様。一例としてソニーが販売しているロボット犬「AIBO」の利用がすでに上がっている。AIBOに搭載されたカメラを無線で繋ぎライブカメラとして利用するというモノで表向きにはペンションなどの「楽しい宿の状況」をWeb上で公開すると言うモノだが利用法を少し変えるだけで自動でフロアーを巡回する目と耳と口を持った可愛い警備員になる。不振な物音に反応し自分でその場所に移動し人の顔すら認識する。どこまで教育(プログラミング)出来るかは未知数だが結構使えそう。これを読まれている頃には数軒の宿へ実験導入されているかも知れない。バリヤフリーになった施設は、機械との共存も有利。話は、違うが「ロボットとの相性は、高齢者の方が良いかも知れない」と、ふと頭をよぎった。


                 2003年8月号


40.ユビキタスな時代

ITで言うユビキタスは、個人が複数のネットワーク機器をいつでもどこでも利用できる環境を示している。ユビキタス・コンピューティングとか、ユビキタス・ネットワークとか言われている。この環境を実現する為の接続ラインは、電話線、CA-TV、電力線、無線、衛星放送、要するに通信の為の全てのラインが利用されて実現される。ユビキタスの目指すモノは、人と人、又は、コンピューターだけでなく物との通信であり、さらに情報の共有を目指している。いつでも、どこでも何にでも情報が繋がりコミュニケーションや複合的な操作ができる環境と言える。最近、発売されたインターネット電気ポット等その一例だ。このポット一人住まいの老人に親孝行な子供が持たせている。お年寄りがこのポットを使うたびに携帯にこんなメールが入ってくる。「お父様が今、お湯を注がれました」と。これを見て安心できるという訳だ。エアコン等説明しやすい、後30分で家に着くと携帯電話をリモコンにしてエアコンを作動させたりできる。我々旅館ホテルでの利用は、限りなく考えられる。ユビキタス化が推進するとあらゆる電気器具にチップが埋め込まれ電力線や無線でコントロール出来るようになる。それも特別な工事など必要とせずパソコンや携帯電話で操作ができる。また電話など既存の交換機は、配線共々、不要となる。テレビも同様にアンテナもビデオも不要になる。こんな時代が後、数年でやってくる。IT業界では着々とその準備が進行中だ。しかし心配なのは、これらがほとんど全て商業ベースで進んでいる点だ。例えば基盤となる通信ラインもその一つ。全ては高速大容量の通信環境が非常に低コストで確保出来ることが前提だ。商業ベースに乗りづらい過疎地域など相手にされない可能性がある。さらにこのユビキタス化の流れの速さに人がついていけてない。特に気がかりは、行政に関わる地域のトップの方々とこれから社会に出ていく子供たち。年輩の方々には理解しづらい事と思われるのと教育の部分でそのカリキュラムが組まれていない事。技術面のことは、必要ないがその概念だけは、理解しておく必要がある。目前に迫ったこのユビキタスの世界に無防備では、地域行政や組織、そして企業とも失策を犯しかねない。時代は、21世紀、SFの様な世界は間違いなくやってくる。

トラベルニュース:原稿:古林伸美
                 2003年7月


三助の嘆き

この季節になると全国各地からホタル情報が流れてくる。特に温泉地にあっては露天風呂で湯浴みしながらホタルが眺められればお客様も喜ばれるだろう。河鹿蛙の涼しげな声とホタル、温泉の風情としては、最高でげすな。さて近年は、ホタルが増えてきたと思いませんか?特に養殖をしているわけでも無し、環境が良くなったとも思われない。それなのにホタルが増えている。物知りのお客さんから聞いた話だが農業が駄目になってきたのが一つの要因だとか。上流の農地が後継者難や高齢化で荒れている。農作物を守る為の農薬が使われなくなったので川が綺麗になる。ホタルの餌になるカワニナが増えてホタルも増えたという。日本人の食生活もドンドン変わってきて今は、お米もあまり食べなくなっているそうだ。作っても余ってしまうから休耕したり転作する。しかしお米以外のモノも海外から安く輸入されるので採算が合わず、結局は荒れ果てていく。その結果、ホタルが増えているという。考えさせられる話だ。温泉街の話題でゴミ問題もよく取りだたされている。5分別だとか8分別とか。宿屋のゴミは、メチャクチャ多い。ゴミの分別も大変と女将さんがぼやいていた。昔なら庭の落ち葉と一緒に燃やす事も出来たのに今は、ダイオキシンやら何やらで野焼きも禁止、楽しみだった落ち葉を集めた焼き芋も出来ない。落ち葉でも燃やして煙が立ち上ればゴミも一緒にと勘ぐられる。「李下に冠を正さず」ホントに住みにくい世の中になりましたなぁ。かと思えば、先日、町の建設業者が廃材を大量に燃やし温泉街に灰やら煤などが降り注ぐ事件がありました。露天風呂まで汚れて後始末が大変でした。その業者の社長さんは、町の議員さん。人口が少なくなると人材まで不足してくるのか?そんなモラルの低い人を議員に出さなければならないようなら町も終わりじゃなかろうか。現在、合併問題の話が進んでいるが広く優れた人材を集めて普く善政が行われるならそれも受け入れられる。カタストロフィー的に過疎化は進むそうだが我が山間地の温泉街もそれを突き進んでいるように思えて成らない。今のところお客様の数は変わらないが、宿屋だけが頑張っても周りが駄目になれば町は衰退する。何とかならんモンじゃろうかなぁ。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2003年7月号

39.温泉指南役養成セミナー
5月7日〜9日開講

昨年から準備を進めていた温泉指南役養成セミナーを漸く行う事が出来ました。
 歴史ある温泉街なのにあまりにも温泉を語れる人が少なすぎる。私の街、湯原温泉は、そういう状態でした。いくら自慢できる温泉であっても来訪者にその事をきちんと伝える事が出来なければ分かってもらえません。今ここで宿屋を続けさせて頂いているのも基をたどれば温泉があるからです。当たり前であったこの事に気づきました。

 さてここは、湯原温泉の名所「砂湯:共同露天風呂」、川のせせらぎと河鹿蛙の鳴き声の中、突然起こる太鼓の音「ドドドドドン、カツ、ドン、カツ、ドドン」。暗闇の中、突然下り来る幟を手にした法被姿の一団。二手に分かれると露天風呂を囲んだ。とそこに現れたのは白装束の若者一人、中央に進み出ると懐より取り出した書状をはらりと広げた。辺りを制するように視線を送るとおもむろに口上が始まる。

 とぉざい、とぉざい〜〜〜。一座高こぉはござりまするが、御免お許しなこぉむり、不弁舌なる口上な以って申し上〜〜げたてまつりまする。本日は、当「砂噴き湯」に遠路よりお越しくださり、有難く御礼を申し上げまする。我らは、温泉薬師より遣わされた温泉指南役にござ〜〜いまつる。

 さて〜これより僭越ながら露天風呂湯浴み指南申し上げたてまつる〜。このお湯は、神世の時代より湧き続けるお湯でありますれば〜昨今の紛い物とは、訳がちがいまする〜。天然そのものでありますれば自ずから掟がありまする〜。まず〜十分に湯掛け頂き下の前後ろをお清めくだされませ。入湯は、湯尻から〜〜身を清めながら、じわり、じわり、じわりと上にお上がり下さいませ〜。仕上げは、こちら長寿の湯にてなさりませ〜。しゃぼんを用いたり酒は、御法度にて候。ここにご参集の皆様は、まさに裸のお付き合いなれば、和気藹々にてお過ごし下されませ〜。ただ〜し湯持ちのいいお湯故、湯当たりなされぬよう〜、ほどほどと思し召せ。初日、二日においては、日に一度、三日辺りになれば湯が身体になじみますれば〜朝夕の二度に。三度以上は、お命をお縮め参らせ候。ゆめゆめ、湯巡りなどと浅はかは、成されぬように。

 湯浴み中の皆々様には、お邪魔つかまつりました。この後は、ごつるりとつかっていただき、ご湯治成されますように、隅から隅まで、ずずずい〜っと、御願い上げたてまつりまする〜

今、この温泉指南の演技、演出を思案中、先般の温泉指南役養成セミナー第一期生や青年部のみんなと面白く意表をつき、来湯者にご理解頂ける温泉指南の実技を作っていきます。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2003年6月号

38.ボイスチャットの世界
多次元同時コミュニケーション

久しぶりにネットの話題です。最近、チャットに嵌っています。良くある出会い系とか言うのではなく同業間のパソコン利用の非常設のチャットルームです。チャットと言えば一対一又は、不特定多数とネット上でパチパチとキーボードを打っている、如何にも「オタク」ぽいイメージですが、これが同じ仲間同士でしかもWebカメラを通してお互いを見ながら声で通信するとチョット違った事になります。もちろん従来の文字通信も同時に行えますので何とも不可思議なコミュニケーションツールとなります。同業者にはお馴染みのメーリングリスト「宿仲間ml」で呼びかけ現在40名程度の方と時間軸を共有して情報交換しています。当初は、Web-TV電話の多数参加型と考えていました。しかしこのコミュニケーションは、まったく異次元のモノでした。音声は、声の出せる人が順次回して使い、文字は、仕事中で声の出せない人が音声での問いかけに文字で答えたり、文字同士で情報交換する。さらに映像では、お互い顔色も伺いながら・・。その間には文書ファイルの交換も互いにしたりと。何とも凄しくマルチメディア、情報過多の通信となる。この状態に3日も身を埋めると私など死んだ様に疲れてしまう。 今は、実験と言う事である程度気心の知れたメンバーだけ。始めて3日目、夜も更け少し気の抜けた時間に新たなメンバーが加わって来られた。初の女性参加です。自己紹介を聞くと京都祇園の旅館畑中の女将さんだそうだ「魅力的なお声と京言葉」、途端に今までの男同士の通信に変化が起こった。一通り文字と音声での歓迎の挨拶が終わると今までバラバラに情報交換していたのが一斉に女将さん中心の話題にベクトルが向いたのです。京言葉で「おいでやすー」とか「おつかれどなぁ」等と話し掛けられると男性陣は、メロメロです。Web-TV会議開設の為の実験チャットと言う高尚な目的は一瞬にして飛び散り本物の出会いチャットになってしまったのです。中にはご主人がお側にご一緒されている事を忘れて「ナンパ」を仕掛ける不埒な輩も出てくる始末。「あちゃー」と一瞬思ったのですが考えてみれば無理からぬ事、なにせ文字だけでないこの美人女将のお顔も素敵なお声まで聞こえてくるので男どもが垂れ下がるのも無理のない話です。かく申す私もその女将さんのお声にメロメロ・・。仕切役を良い事に「畑中女将さんお勝手ファンクラブ」と名乗る様になってしまいました。一仕事済んだ夜の10時、このチャットルームは開店致します。さて今夜もそろそろ手仕舞いです。グラス片手に「宿仲間チャットルーム」繰り出す事に致します。ではでは・・

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2003年5月号

37.カップルの街
ぽかぽかと暖かい柔らかな日差しを浴びながら眠っているわけではないのだか、思考の留まる心地よい時間を久しぶりに味わった。風に舞う花びらと道行く人をぼんやりと眺めている。若い男女の行き交う姿が目の前を通り過ぎていく。橋の上に立ち止まり道行く人にカメラのシャッターを押してもらっているカップルもいる。石に腰掛けて話し込んでいるカップルもいる。色鮮やかな浴衣の彼女にデジタルカメラのシャッターを押し続ける彼氏。遠くには土産物屋さんの店先で大きなぬいぐるみ相手にはしゃぐ二人。今しがた駐車場から上がってきたカップルは、少し落ち着いた感じの出で立ち、でも二人とも二十四五かな。待てよ・・。先ほどから見てきた観光客は、すべてカップル。二十代前半か下手をすれば十代の子供ばかり。ここは山の中の温泉街、今日は、出張先の東京じゃ無かったはず、目の前の風景は、我が町のモノじゃないか。とたんに頭脳が覚醒してきた。ここは、渋谷か原宿か・・数年前は、腰の曲がったお年寄りが主流のお客様だったところ、今目にしているのは若者のカップルばかり。いったい何が起こったのだろうか?若者の温泉ブームの一言でかたづける話じゃない様な気がする。テロに起因する海外旅行からの回避、若者の本物志向、等々思いつく、「千と千尋の・・」影響も・・。確かに近年地域の宣伝方法も変えてきた、いわばターゲットを絞ったと言えるが釣れた魚は、違っていた。世の景気対策の主眼は、貯蓄もたんまりある年金生活者だった筈。温泉旅行に魅力を感じるのは、高齢者の筈だった。こんな筈じゃなかったけれど「まあ良いか」。冬季のスキー場など年々集客が難しくなっているという。私の持論は、携帯電話等、ネットの「出会い系サイト」との競合にあると推察するモノ。・・では「温泉街と若者カップル」の関係は、いったい何なのだろう。将来への不安からの刹那感からだろうか、実は、若者こそ癒しを求めて漂っているような気がする。低迷する日本経済、雇用への不安、のしかかる高齢化社会。若者達にこれほど夢の無い時代が過去にあっただろうか。若者達に目標を見つけさせる事が困難な時代があっただろうか。彼らは青春のまっただ中にあって精一杯の思い出作りをしているような感じがする。窓の外では、また数組のカップルが通り過ぎていった。先ほどまで華やいで見えたカップル達の後ろ姿に何故か濃い影を感じてしまった。若者達よ、せめて今宵は愛する人と楽しい夢を見てほしい。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2003年4月号

36.ブロードバンド時代のインターネット
ADSLや光接続環境が急激に進んでいる。私の町の様な人口3600の街にもADSLがやって来た。全てが快適になった。ただメールのやりとり等で気を付けないと送受信が早くなっただけにワープロや表計算など思わぬ大容量のファイルをつい送ってしまって顰蹙をかってしまった。10MBぐらいのファイルを続けて送られたら通常のプロバイダーのメールサーバーなら満杯にしてしまう。これは送られた方は、超迷惑な話だ。ましてダイヤルアップだったりしたら目も当てられない。我が家でこの高速環境を一番喜んでいるのは20歳の娘だタレントの動画コンテンツや音楽配信を楽しんでいる。HPのビデオコンテンツも本格的なものをそろそろ作成を考えても良いようだ。今までの様な小さな画面で画質もモザイクが掛かったような物じゃなくて高画質物も大丈夫のようだ。ただしHPでのビデオ配信は、サーバーの負荷が高い一般のプロバイダーのHP格納では難しいと思われます。BBに対応した専用サーバーを用意する必要が有りそうです。  私の一番の関心事はTV会議システム。各社大型のTVを利用したタイプや一般的なパソコンを利用した物、サーバーも専用サーバーを用意しなければならないタイプやレンタルでOKという物まで。いろいろな方式が出てきている。議長機能や文書の表示、一度に50名が参加出来るものあたりが一般的なようだ。これを普及させれば上京しての会議が多いだけに随分と楽になるのだが、何より交通費や宿泊費のコストが大幅に削減出来る。全旅連など役員の皆さんが全国から集まるだけにその効果は高い。ただ全国一斉でやるとなるとパソコンへのソフトインストールやセッティング、一番心配なのは、ヘッドセットをかぶりパソコンに取り付けられたカメラの前で座る会議に耐えられるかどうか。会議の前後の懇談も有るだろうし、最初は、一部の委員会ぐらいで始めてみると良いですね。今、実験と言う事でフレッシュボイスという会社のソフト試しいます。マンツーマンのチャットですので会議にこのまま使う事は、出来ませんが音声、画質とも概ね良好です。可愛い女の子と深夜の会話を楽しんでいます・・(^^;

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2003年3月号

35.湯原温泉が日本一?
     「数字遊び」

新聞を読んでいたら「温泉ソムリエ」と言う言葉が目にとまった。新潟県「赤倉温泉」の取り組みが紹介されていた。旅館の若手経営者らが自分たちの町の歴史や温泉健康法を学び地域の魅力を語る事の知識に磨きを掛けるという試みの様だ。実に素晴らしい試みだと思う。昨年十一月に福島県で行われた「健康と温泉フォーラム」にも参加したが事例でお聞きした「いわき湯本温泉」の「バルネオセラピスト(温泉療法士)」と通じる事業の様だ。いわき湯本に習い湯原でも「温泉セラピスト」の養成を始める予定だがカリキュラムの中にどうしても地域の温泉史を入れたいと思っていた。古くからの温泉ならその過程に湯治場としての歴史もあり、そこには独特の入浴法も伝えられている。先人の知恵から学ぶ事も多いはず。赤倉の取り組みも是非、参考にさせて頂きたい。ところでこの赤倉温泉の紹介の中で「セ氏五十一度、噴出量三千リットル/毎分、宿泊施設数百四軒、年間宿泊者数百二十一万人」とあり、「随分と立派な温泉地なのだなぁー」と我が温泉町と比べてみた。そこでフト横にあった計算機で遊んでしまった。「年間百二十一万人なら一日当たり約三千三百人だ・・フムフム。これが湯原なら毎日、超満状態、さぞ賑やかな温泉街だろう」と想像する。「赤倉温泉の魅力は、歴史と自然と湯量の豊富さ」との事。これは湯原にも当てはまると計算機で湯量を打ってみた。「毎分三トンだから、一年の総噴出量は、百五十七万六千八百トン。」これを宿泊者数で割ると一人当たり、1.3トンが一人当たりの湯量となる。試しに日本一の湯量を誇る草津温泉の場合を計算してみた。「三十二トン/毎分で年間なら千六百八十一万九千二百トン」、年間宿泊者数百八十一万人だから一人当たり約9.2トンだ。やはり草津は凄い。「我が町は、どれくらいになるのだろう?」と町の資料から計算してみた。総湯量は、四.三トン/毎分。同じように「湯量÷宿泊者数」を計算して驚いた。「なんと・・・約10トン強だ。草津より多い。」日本一の草津温泉より一人当たりの湯量は、湯原温泉の方が多い。「日本一より多いのだから湯原こそ日本一だ。」と計算機片手にはしゃぎ回り、だれかれ構わずに声を掛けては、計算機を打ってみせる。「どうだ、湯原の方が多いだろう。湯原温泉が日本一だ。」でもみんな成る程とは頷くものの腑に落ちない様子。腕組みをして首を傾げ怪訝そうにつぶやく「じゃどうして湯原は、二十二万人しか来ないんだい。」湯量は、豊富だし温度も摂氏五十三度と適温、泉質も無色透明無味無臭、低張性アルカリ高温泉(ph9.23)。江戸の時代の温泉番付にも西の関脇になっている。と言う事は、温泉以外に問題がありそうだ。「空がない」と言われる程に狭い谷間の地である事や交通の便の悪さもあるだろう。でも一番の問題は、この天の恵みを生かし切っていない我々の問題のようだ。「赤倉温泉やいわき湯本そして温泉文化を活かそうとしている各地を見習わなければね。」井の中の蛙、大海を知らず、頑張ろう湯原人、頑張ろう日本の温泉。癒しの原点は、温泉とそこに住む人と文化にある。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2003年2月号

34.情報の中央発信
「古代癒しの湯を守る温泉街からの提案」:東京講演会
  千年湯の里「湯原温泉」発!

私ども湯原町の各種団体で造る「湯原の里振興プロジェクト」では中央へ の情報発信の第一弾として「古代癒しの湯を守る温泉街からの提案」と題した講 演会を開催いたします。湯原温泉郷は、古代からの湯治場として栄えてきた温泉 町です。その中心は、いつの時代も古代の湯場の姿のまま住民により守り継がれ てきた湯治場である砂噴き湯(通称:砂湯)でした。混迷する現在の日本にあっ て人々は、癒しを必要としています。我々は、その原点は、やはり温泉にあると 考えるのです。近年、ボーリング技術の向上で各地に近代的な温泉観光地が開発 されていますが一部には温泉とは名ばかりの施設も多数見受けられます。その状 況にあって忘れられつつある本来の癒しの場である湯治場の姿を中国地方の山深 い温泉町である湯原温泉を例にご紹介し現在の温泉利用のあり方についての一石 を投じたいと思うのです。また併せて自然溢れる真庭の観光PRを行います。
日時:2003年2月12日 午後1時受付 午後1時30分開演
場所:全国都道府県会館:東京都千代田区平河町
主催:湯原の里振興プロジェクト委員会
後援:岡山県・岡山県観光連盟・真庭ふるさと振興協会
旅行記者クラブ、旅行作家の会、山陽新聞社、産経新聞岡山総局、読売新聞岡山支局

講演会 概要
第一部 講演会
1.松田忠徳氏:札幌国際大学教授
  内容:温泉ゼミナール「日本人と温泉」
2.事例発表:湯原温泉「古代癒しの湯を守る温泉街の取り組み」
3.岡山県観光PR:宮本武蔵

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2003年1月号
33.温泉の「味」と「衛生」について

長野県の田中知事がレジオネラ属菌の問題で入浴施設などに菌の検査や基準を超過した 場合の公表を義務付ける条例改正案を持ち出した。結局十二月県会への提出を見送ると決めたものの全国の関係者は、それぞれへの波及の懸念もあり騒然となっている。特に温泉利用施設に於いては、現在の基準値では実質「0=ゼロ」で無い限り駄目な訳でこれを実現させる為には浴場のお湯それ自体に殺菌効果を持たせる必要がある。喩え掛け流しで温泉を利用できる恵まれた施設でも余程、酸性の強い泉質でもない限り塩素等の消毒剤を常時投入しない限り実現できない基準値だ。消毒剤としては通常の塩素以外にもオゾンや比較的泉質に影響を与えにくいと言われる二酸化塩素等もあるが設備費や薬剤のコストに問題がある。まして従来、利用者から喜ばれてきた「掛け流し」の温泉施設の場合、そのコントロールが難しい上に泉質の劣化も考えられ行き過ぎた規制は、日本の温泉文化を揺るがす事とも成りかねない。日本人に「食中毒なるから刺身や鮨は、食べるな」、または、食事を提供するものに「生ものはいっさい出しては駄目、全て加熱した物を出しなさい」と言うのと同じ様に無茶な事を言っている思えるのです。
 このレジオネラ属菌に端を発した浴場水の衛生問題は、食品衛生と同程度の啓蒙指導を関係機関である都道府県保健所で行う事で解決すると私は思っています。食品衛生と同様に施設側が正しい知識を持てば、「真夏に数時間も常温に放置した刺身を出す愚行」を行う者はいないのと同様に各施設毎に正しい浴場水の管理は、行われると関係機関には信じて頂きたい。またその様にしなければ解決しないと思うのです。現状に於いてはレジオネラ属菌に対する知識が我々もそして関係機関側も不足していると思われます。少し過敏になり過ぎている。通常の調理で無菌の刺身が出せるでしょうか?理想は理想として現実的な対応が有ると思います。レジオネラ属菌は、宇宙から来たエイリアンでも無ければ、殺人目的に製造された生物兵器でもありません。恐らく人類が生まれる前からいつも側にいたありふれた細菌です。ただ現状に於いて無知と非常識(宮崎県の三セク温泉の様な)が怖いのです。この混乱に乗じた詐欺紛いの業者もあるようです。とにかく今は、現状で把握されている藻の発生や「ぬめり」を除去し常識的な清掃やお湯の循環経路に気を配りながら消毒の為の薬剤や濾過器の管理方法など正しい知識を得る事が肝心と思います。その為には行政に任せっきりの姿勢ではなく旅館組合など業界として積極的に啓蒙を計る取り組が大切と考えます。今、必要な情報は、レジオネラ属菌の生態、検査機関、効果的な薬剤とその使用方法、循環経路の検査マニュアル、関係省庁の取り組み等々・・。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2003年1月号
33.青年部全国大会に参加して

長野で全旅連青年部の全国大会があり家族で参加しました。私は、来賓で招かれました。家内は、今年OBになったので部員としては最後のお勤め。そして娘は、今年入部し初めての参加です。お陰様で良い家族旅行と相成りました。行きは地元の青年部員にご一緒させて頂き岡山から羽田に飛び東京から新幹線で長野に入りました。車窓は山頂に雪を抱いたアルプスが近づきます。青年部員たちもビール片手に皆ウキウキしています。私達家族も普段とは違う面持ち。駅からは差し回しのシャトルで会場へ、地元部員たちの歓迎の挨拶が嬉しい。最初に展示会場と後に懇親会場となる施設に案内される。次々と顔なじみに会えるのも嬉しい。みんな元気そうだ。久方に合う友人たちと歓談の後、本会場に移動、旅館総研の研修会場に入ってみた。小規模施設の経営建て直しのビデオが流れていた。判りやすい内容だ。青年部員が演じる宿の使用人や銀行員に笑いも出る。経営再建がなされ一息付いたところで大どんでん返し1年前の懇親会でお世話になったコンパニオンさんが乳母車で子供連れて登場、「この人があなたがパパよ」で大爆笑。ウケにうけた真面目な研修会でした。大会の式典も寸劇を間に挟んだ楽しい演出で参加者を釘付けにしていた。懇親会は、スケールの大きな諏訪大社の祭り「御柱」の木遣りに始まりました。会場には神聖な雰囲気が漂います。巨大なスクリーンに映し出される祭りの進行に合わせて消防団の行軍ラッパが流れます。勇壮でした。長野県部長の中村君が足の悪い私用に椅子を用意してくれていたのには吃驚。気遣い痛み入りました。そして乾杯。郷土料理に舌鼓を打ちながら杯を交わし全国の友人と言葉を交わします。あまりに楽しすぎて、あっという間に閉会になった感じです。お土産に青年部のマークの入った林檎を頂き、ロートルは、ホテルに引き上げました。後輩達は2次会場に移動、恐らく朝まで楽しんだ事でしょう。しかしホテルにもお客さんが訪れ大会の興奮も冷めやらずそれなりに楽しい会話も交わしました。翌日は、東京お台場に移動、授業の関係で長野まで行けなかった大学生の長男ともここで合流、ショッピングや食事の2日間を楽しみました。 さあ帰ってからが大変、今回は、モバイル機も持って来なかったので3日間のメールが全てノーチェック。300通以上のメールにご返事を書いています。出張は楽しい。日々の仕事から唯一離れられる時間がとれる。このメールさへ無ければ楽で良いのだけど、今や貴重な飯の種です。最近は、メールの返信の溜まるのが嫌で出張が億劫になっています。 長野の青年部の皆さんご苦労様でした。 素晴らしい大会をありがとうございました。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2002年12月号
32.本物の露天風呂と観光用露天風呂

私の町には共同で使う無料の露天風呂があります。たたら製鉄の時代からと言いますから太古の昔からみんなで守って来た自然の露天風呂です。川底の砂を噴き上げながら湧き出しているので砂噴き湯とか砂湯と呼んでいます。最近まで私たちはお客様に「どうぞご自由に・・」としか案内していませんでした。そこでは地元のおじちゃんやおばちゃんが「温泉指南役」を自然にしてくれていました。その為、宿屋の人間は特に何の案内をする必要も無かったのです。始めていったお客さんは、そこで入浴のマナーを嫌でも教えられます。「コラコラ、そこのお兄ちゃん、上手(上流)から入るのは駄目だよ、湯が汚れるじゃないか、湯尻から入ってきなさい。」こんな具合です。湯尻とは湯を捨てている部分の事です。まずこの部分に入り身体の汚れを流してから順次、上流に上がっていくわけです。これなら多少混雑してもお湯は清潔に保たれます。温泉は川底の砂の間からドンドン噴きだし下流へ流れています。これを守れば一度に大勢が入っても湯は清潔さを保てます。ところが最近は、温泉を自由にポンプを使って送れるようになったものだから町のあちこちに洗濯場と称して観光客にはご遠慮頂く「川湯」を造ってしまったのです。元より湯は、いくらでもあります。当然家から近いものだから指南役をしてくれていたおじさん達もそっちにいってしまい、本家の露天風呂に行かなくなってしまった。さてこれが困った事になりました。ルールを知らないお客さんが、勝手気ままに利用されたのでは荒れてしまいます。生活や湯治の為のお風呂がカップルの混浴風呂になってきたのです。若い人は、水着で入ろうとするし「湯尻」なんて言葉も知らない。いきなり上流からドボンと入ってきたりして銭湯でも当たり前の掛け湯さえ知らない様子。塩素の錠剤でも投げ込んでやりたい気持ちですね。「こりゃ困ったモンだ」と言ったところです。ここは昔の頑固親父に頑張ってもらって温泉指南役の養成を考えなけきゃいけない。とりあえず管理された観光用露天風呂と湯治(本物)の露天風呂の違いから利用者に教えることになりそうです。  今、各旅館や飲食店で配る「露天風呂入浴指南」の作成に取り掛かっています。温泉の歴史や効能を知りその使い方も理解する、この事を手がかりに普通でない事の有り難さを説いていきたいと思っています。最近考えている事は、「温泉街は、その湯量によって適正な規模が自ずからありそうだ。」と言う事です。決して無理をしてはならないし守りの体制もとる必要があると考えています。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2002年11月号
31.水と温泉について

20年ほど昔、都会に住んでいる小学2年生の甥っ子を夏休みの間、 預かっていました。その子が都会に帰る時、「お土産は、何を持って帰る?」と 聞くと「水」と答えたのです。その時の私にはその言葉が理解できませんでした。 水は、蛇口をひねると出てくる物でした。お金を出して飲む水は、スナックでウ イスキーの水割りに使うガラスの瓶に入ったミネラルウォーターだけ、重い思い をして担いで帰る様な物ではありません。甥っ子には宅急便でガラス瓶に入った ミネラル水を洒落のつもりで後で送ってやり笑い話にしていました。しかし今や 飲み水はペットボトルが常識となりました。山間の地故、我が家では今も井戸水 を飲用にしていますがご宿泊のお客様の多くはペットボトルを持参し無くなると 販売機を探します。お部屋の水道水が「美味しい」と説明するのに苦労します。 リピーターのお客様の中にはポリタンク持参で来られ、帰る前に駐車場の蛇口か ら10個余りも汲み帰る方もあります。「水と空気、そして温泉と安全は、タダ。」 と思っていましたが今やその感覚は違うようです。我々が普通に思っている事が 都会からお越しになる方には異文化と感じられる事もあるのですね。最近、私の 努めている事は、この地の水と温泉についてご説明する事です。これだけで多く のお客様は感激されます。皆さんの土地でも地元の人が普通と思っていた事に来 訪者が吃驚される事はありませんか。もしあればそれは重要な事かも知れません よ。今まであまりにも普通と思っていた事が実は、もの凄く有り難い事かも知れ ません。それは資源であり後世に伝えられるべき財産となる可能性があります。  最近、地元の人をつかまえては「ここのお湯はどんな温泉か知ってるかい?」 と尋ねています。満足に答えられる人は希です。水は蛇口や小川から汲み飲むの が当たり前、温泉は、自然に湧いているのが当たり前、至る所にあってどこでも 直ぐに利用できる。この有り難さに早く気づくべきだった。そしてその環境をア ピールして後生に残さなければならない。意識する事によって守らなければなら ない事も沢山ありそうです。地元民が普通でない事を意識しなければいずれ埋も れてしまいます。宿屋は大きくする事を常に考えています。その為には多量の温 泉が必要です。行政も町興しで温泉の利用を考える。温泉は、石油などと同じ限 りある資源です。たとえ持たざる者から不公平と言われようとも守る為には閉鎖 的、排他的である必要もあると考えます。一番に自分自身の「欲」をどこまで押 さえられるか、それがそれが問題ですが・・

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2002年10月号
30.レジオネラ属菌

 8月27日に湯原町旅館協同組合では全体会議を行い「レジオネラ菌感染予防」の講習会を行いました。理由は、料理に喩えるなら「味の良し悪し」の問題以前に「食中毒に気を付けましょうね」と言う意味程度の考えでした。組合内の施設は、4つの異なる泉源を利用していますが幸いいづれも湯量は豊富でいずれの施設も基本的には「掛け流し」または、それに近い状態で利用されています。組合内部でも「レ菌予防の講習会など当組合では必要ないし藪蛇にも成りかねない」と言う意見もありました。しかし湯温や液面管理で循環式を行う施設もあります。また如何に湯量豊富といえども基本的な衛生意識が欠如していては万一の事態が発生しないとも限らないと言う視点からあえて行いました。結果的にはこの事により当たり前と思っていた温泉の存在が如何にありがたいものであるかという温泉街の基幹に関わる問題をあらためて認識する事ができ良かったと思っています。ともすれば温泉は客寄せの単なるコンテンツの一つとしか考えていなかった我々旅館関係者にその歴史的にみた存在価値や今後の方向性など考えさせられる非常に重要な問題提起となったのです。今までお客様に「ここの温泉て何に効くの?」とか「泉質は?」の質問に対して「神経痛やリュウマチ・・・?」など曖昧な答えしか出来なかったのが「泉質は低張性アルカリ高温泉、phは9.23、毎分1700リットル、53度のお湯が自噴していて魚骨方式で配湯されており当館では掛け流し方式で加温加水なく利用しています。無色透明無味無臭ながらphからお判りのように成分は濃厚で・・・・」等と旅館従事者のみならず温泉街の誰もがスラスラと答えられ、さらに健康面での積極的利用法についてアドバイスが出来たなら現在マスコミなどで問題視されている温泉の真贋や評価問題など意識する必要がないと思うのです。温泉療養医や温泉利用指導者の指導を受けて旅館関係者のみならず土産物店のおばちゃんや飲食店の親父さんまでが「温泉指南役」、チョットかっこ良く言うならば「温泉セラピスト」。こんな人たちがワンサカいる温泉街に出来たなら他に何がなくてもそれはそれで素晴らしい町づくりに成ると思うのだが・・。

 ここで私の「温泉=お風呂」に対する衛生面、またはある意味で非常に歪んだ概念を白状します。中学生の時代に保健体育の先生から聞いた言葉が「トラウマ」に成っています。

その言葉とは「お風呂は、お口とお尻の間接キス」。これ以来、湯船の中で顔を洗う事が出来なくなりました。ただし例外もありますがこれは非常に希な状況のみです。(この例外について言及されますと私の人格が著しく損なわれます。ご勘弁下さい。)アニメ映画の「千と千尋の神隠し」が大好きです。温泉の持つイメージが濃縮されていると思っています。特に「汚れ神=実が川の神様」の入浴シーン。主人公の「千尋」が湯札を「釜爺」に送り「汚れ神」を清めるシーンです。これって「新湯・都度・張替」の超贅沢な温泉入浴方法じゃないですか。レジオネラ菌に象徴される温泉の衛生問題や温泉の持つ「癒し」のイメージが象徴されておりヒントになっていると私には思えてならないのです。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2002年9月号
29.直前予約が増えてませんか?

私の宿では最近、予約の発生が遅くますます直近へと移行しています。理由はやはりインターネットにあると思っています。ネット予約が一般的になるほど、この傾向は高まる。理由は、お客様にとって目的地や宿の情報が豊富になり選択の絶対的対象が増えているからです。これは主にインターネットによる情報が充実してきたことと他には宿泊施設の直販広告として宿泊情報誌の利用が増えた事が起因していると推測しています。また家族旅行など移動コストの安い自家用車を利用する傾向が高い事も原因の一つ。移動に車を利用した場合、鉄道と比べて自由度も高く宿の選択以前にエリアそのものも高速道の整備と相まって広範囲になります。宿泊地を限定するなら当然、宿も限られますがその宿泊地の選択そのものが広範囲から可能となれば「宿などどうにでもなる」とお客様は考えるでしょうね。しかもそれら観光地や宿の情報がインターネットで容易に得られ予約も出来るとなれば、予定も立たない数ヶ月前からの予約の必要も無いと言うわけです。勿論、前提として宿泊地や宿に「拘らなければ・・」と言う事ですが、明日の見えない不確実の時代だからその傾向が強くなっていると思うのです。ではこの様な時代に宿屋は、どう対処すべきかというと古今東西同じで「拘りを持ったお客様を多く持つ」と言う事ですよね・・と、ここまで書いて「うちの宿って要するに拘りのないお客様だから直前予約なんだ。」と自らの宿の魅力無さを棚に上げてインターネットに責任転嫁させている事に気づいた「馬鹿な宿屋のおやじ」なのですが皆さんのお宿は如何でしょうか?

さて岡山の山奥、空のない街、湯原温泉の「町づくり情報」です。

旅館組合の青年部の皆さんが頑張ってます。夏のイベントとして新たに「ファミリーフィッシング大会」を5日間のロングランで行ったり、空き店舗対策でギャラリーを開いたりと大活躍です。また有志で行っている湯原温泉の歴史を大看板に描く「まちかど物語委員会」も第三作目に取り組んでいます。(写真)お客様の記念写真の場所として人気あります。(写真は物語委員会メンバー)

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2002年8月号
28.本物温泉、まがい物温泉・・?

最近この事がマスコミで良く取り上げられています。私が目にしただけでも日経新聞の日曜版にほぼ一面で大きく、通販生活と言う主婦向けの雑誌に8ページ、いずれも循環式の見分け方を図解入りで詳しく説明、また地元新聞でも温泉協会発の情報(おそらく共同通信発)として★印による評価を利用施設毎に行うという記事が載っていました。これらをほぼ同時期に目にしました。今日は、全国放送の人気TV番組でもその話題を取り上げていました。その内容は、一様に完全否定では無いけれど本音として見え隠れするのが「循環濾過湯」は、悪。放流湯(掛け流し)式が良いと受け取れるモノでした。勿論、循環濾過の必要性も説いてはいたのですが私の素直な感想は、消費者は、掘り下げて考えてはくれず単純に「善」「悪」に判断してしまう様に思えました。しかもこのマスコミでの露出度は、まるで以前のO-157か狂牛病、はたまた食品の産地偽称の問題を思わせます。特に日本温泉協会の取り組みがあまりにタイミングが良すぎて?(敏速な対応と言うべきでしょうが)

 本来、消費者が温泉に求めるのは、「情緒」と「癒し」。古来からの「湯治」と「観光」という2つの目的です。私達、温泉宿は、それぞれの温泉地の中で訪れる方のニーズに応えてきました。「うちの宿は湯治場です」と言い切れる人は少数でしょう。観光を主にやってきた温泉宿の方で「うちは湯治には向きません」と仰る方はいない。またお客様も比重は別にして両方を兼ねてと言う場合が多い筈です。どちらにしても温泉宿に訪れる目的は、お客様が決める事でありその意味では私達は受け入れるだけです。お客様が大きなお風呂が良いと仰れば大浴場を作り、露天が良いと仰れば露天風呂を造る。少し儲かってお客様も増えたので増築して大勢のお客様がお越しになっても対応できる様にした。露天風呂付きのお部屋も造ってカップルのお客様の喜んでもらえる様にもした。でも大元の温泉は、昔から量が同じで元々は、掛け流しで使っていたけれどそれでは量が足らなくなり循環濾過にし衛生問題もクリアーして喜んで頂いていた。それが突然、本物だとか偽物だとか「えっ今更・・なんだよ」て感じですよね。確かにまったくの偽温泉とかタンク車でお湯を運んで「温泉です」と言う様な例外(こりゃ確かに詐欺だ)の部分をクローズアップして温泉を大切にしつつお客様のニーズに応えてきた温泉宿を同列に扱う様な今の風潮は、「如何なモノかと・・」。今回、日本温泉協会さんがこの問題に取り組み5つ★で評価を行うという試みのようですが会員数1850名、うち宿泊業界の会員が1500名という協会メンバー内だけで取り組まれたのでは、加入してない温泉宿が絶対的に多い我々業界において少し面白くない状況に成るのではと懸念しています。全旅連に加入する組合員26000名の中で温泉宿は、半数以上有ると思われます真に利用客の事を事を考えるので有れば全旅連こそこの問題に取り組む事が必要なのではないかと考えます。この問題は、全旅連の従来からあるピラミッド形式の細やかな組織が有効に活用できる格好の材料では無いでしょうか?全旅連の活動目的に照らしても最も取り組むべき問題です。温泉利用施設問題部会の設立を提案出来ればと思います。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2002年7月号案
27.ネット会議システム

 今が一年中で一番憂鬱な季節です。各種団体での総会など会議に追われ思考が中断されるからです。私の場合、パソコン&インターネットという思考と知識の補助が身の回りに無いと駄目なんです。しかも使い慣れた物でないと駄目。思考の切り替えも遅く、一つの事を考えてる時に他の行動を起こす必要が生じると元の思考に戻すのにまた最初からやり直す事が常です。その為、いろんな会議が続くこの時期は、全てが中途半端になってしまいます。せめて移動時間さえ無くす事が出来れば助かると思ってます。2年ほど前にテレビ電話を使ったNTTのシステムを試用できる機会があり全国の友人に配って使ってみたのですが、実用には少し問題がありました。テレビ電話では表現力に限界がありました。まだ当分掛かるなと思っていた矢先に新しいパソコンを使ったインターネット電話を友人から紹介され現在、試しているのですがこれが優れものでテレビ電話の機能にプラスして簡単な操作で相手にこちらがパソコン上に用意した資料を画面に映し出す機能を持つ等、非常に多機能なのです。

 この機能が1対1でなく1対100の単位で利用できればインターネットテレビ会議が実用となりそうです。イメージとしては、雇用能力開発センターで行っている講習会を思い浮かべてください。あの講習会では専門の操作者が東京のセンターと都道府県のセンターに必要ですがもっと簡単です。そして何より特別な装置が不要です。例えば全旅連なら昨年、都道府県に配備したノートパソコンを利用して直ぐにでも行えそうです。参加者は、都道府県組合事務所のパソコンの前に座るだけで良いのです。もちろん環境さえ整えば自宅でも参加できますが音声などそれなりに調整や慣れが必要ですから当初は、事務局の方に馴れて頂きアドバイスを受けながらと言うのが現実的です。

 如何ですか、こんな夢物語・・。システムの開発会社に問い合わせたところ、8月にはシステムが出来るそうです。現在、急速に進みつつあるADSLに代表されるブロードンドの技術をもってすれば技術面及び運営コストは、簡単に実用レベルに達する事と思います。実務者レベルの会議なら1年待たずに可能になると思うのですが全ての会議をこれで済まそうというのは絶対に無理ですね。問題は、別のところに在るような気配です。極めてメンタルな部分でこういった会議は、どんなに簡単で便利になっても偉い方が集まる必要がある会議では認めてもらえない様な気がするのです。ホントはそんな偉い人にこそこのシステムを利用してもらって楽になってもらいたいと思うのですが・・。暫くは、お遊びで友人達と遊んでみます。何か使えそうと思われたらご連絡下さい。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2002年6月号
26.インターネットは「ドック・イヤー」
・・決してこれから始める事が「手遅れ」ではない・と言う意味

インターネットの世界での時の流れは、「ドック・イヤー」と言われます。犬は、人よりも7倍早い「時」の流れの中で生きていてインターネットに代表されるデジタルの技術革新は、丁度、犬の時間と同じスピードで行われていると言う事だそうです。ITへの取り組みが1年遅れるとデジタル世界では7年遅れたと同じなのだそうです。でもこの話には、「オチ」があり「ドック・イヤー」と言うのは、あくまでも技術の進歩の話であって例えば、1年型式の古いのパソコンを買うのは、昔で言えば7年前のパソコンを買ったのと同じという程度の話でそのパソコンを扱う人間は、結局その時の流れについていけない。使い慣れた古い知識に固着するとその概念に囚われ、時代に取り残されてしまう。常に新しいモノにチャレンジしない限り「時」に取り残されるという意味が真意です。パソコンを「今」から勉強される人の方が結局は、古い人間を追い越していくのです。私のように古くからパソコンを使っていた人は、大様にして「今」便利良く使っている技術に囚われ、余程の好奇心に強い人でない限り新しい技術に取り残されてしまいます。例えば、かつてパソコンのオペレーションシステムと言えば「MS-DOS」が主流になっていた時代(1995年まで)があります。私もその技術にどっぷりと浸かっていた人間なのですが、突然、現れた「Windows」に過去の知識は、根こそぎ遺物となる経験をしました。それまでの十何年間に覚えた過去の知識は、リセットされ(全て「無」)となり、僅かに考古学的な意味しか成さないような気分を味わいました。その時は、インターネットという新技術が付加されていたので何とか移行する意欲が湧きましたが現在のような緩やかな変化には、「ゆで蛙」状態です。劇的な変化で無い限り人を動かさない(その気にさせない)のかも・・。そんな事を考えている「今日、この頃」。

 パソコンをこれから始めようと思っておられる方にアドバイスです。決してこれから始める事が遅いと思う事はしないで下さい。貴方は、今、パソコンを使いこなしている人よりも新しい知識を必ず得る事になります。大切なのは今という「時」を無駄にしない事です。これから得られる知識は、貴方の生きるこれからの時(大げさに言えば人生)を何倍にも感じさせる劇的な変化を経験させます。これから生きる10年が70年分に・・たとえ5年でも35年にインターネットを知らずに終える人生の7倍生きる事と考えてみて下さい。犬の時間感覚で人間の時を生きる、これが「ドック・イヤー」です。

PS:先月号の原稿で全旅連のHP「宿ネット」が「リニューアル行った」と書きましたところ、作業が遅れてしまう事態となりました。投稿と発行の時間差と私の軽率な判断でした。謹んでお詫び致します。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2002年5月号
25.全旅連「宿ネット」のリニューアル:全旅連インターネット委員会モード

全国旅館生活衛生同業組合連合会(全旅連)のホームページが大幅にリニューアルされました。全都道府県支部に加入する全施設(約26000軒)の情報が携帯電話のコンテンツも含めて全てのネットで(i-modeとj-phoneは、近々オープン)閲覧できるようになりました。「宿ネット」での情報掲載は、3つの階層で行われます。第一の階層は、全施設の基本情報で宿名、住所、電話番号等です。この段階の情報は、都道府県名簿から掲載され管理は、都道府県の組合事務局がオンラインで行います。第2階層は、従来からの施設の詳細情報でここでは今までにお寄せ頂いた1万2千軒の情報が掲載されています。こちらも引き続き無料で掲載していきますので読者の方で「うちはまだ」と思われる方は、ネットでご確認頂き都道府県の旅館組合にお申し出下さい。第3階層は、ROOMBANKに加入している施設での予約を受け付けるものです。

 今回のリニューアルの主点は、加入全施設の掲載と予約システムをROOMBANKに変更した点です。基本の施設情報部分(施設名・住所・電話FAX番号)は、各都道府県事務局において管理され加入脱会の情報がリアルタイムで反映されます。予約システムで利用するROOMBANKは、(株)トランスネット社の行う共同客室販売管理のサービスで全旅連の認定したシステムです。その特徴は、各施設のオリジナルホームページで利用できる点とROOMBANKに加入する販売サイトと空室情報や宿泊プランなどの情報が共有される事です。このシステムを導入理由は、客室の空室管理が軽減されさらに販売チャンスが増えるという点にあります。

 このリニューアルには大きな効果が期待できます。まず全施設の掲載が行われた事で今まで任意掲載であった為に出来なかった「公」に対する情報利用の働きかけが積極的に行えるようになった事です。すでに厚生労働省からのリンクも行って頂ける旨の内諾も頂いており今後は、各都道府県の観光連盟や市町村の観光情報における施設情報部分での利用を都道府県の組合と計りながら積極的に働きかけを行います。これによるアクセスアップは、画期的なものが期待でき、この二重三重の「公」によるリンクは、加入の施設においてもネットにおける集客に今までにない貢献が行える事となると考えられます。

 インターネットがスタートしてすでに8年になります。ADSLなど常時接続のインフラも整いあらゆる分野で本格的な利用が行われています。待望のJR乗車券の販売も行われており消費者の利用もパソコンマニアによる「お遊び」からほとんどの人が利用する「実用的な道具」になりました。各自が行うオリジナルホームページでの情報発信は、個性をアピールする重要なツールです。しかし消費者には多様な場面におけるニーズがあり集約した情報も重要です。この部分の情報管理も重要でありベンチャーな企業に任せる事は問題があります。私のお預かりする全旅連のインターネット委員会では、この集約部分での役割を担っていきたいと考えています。ご意見をお寄せ頂けたら幸いに存じます。 E-mail:nobu@net626.co.jp

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2002年4月号
24.カランコロン大通り

湯原温泉のホームページは、旅館協同組合、観光協会、商工会、役場の4団体でインターネット委員会を作り運営しています。そのホームページの名前は、「カランコロン大通り」。由来は、お客様がいっぱいお見えになり下駄履きで温泉街をカランコロンと賑やかして頂きたいという願いから付けられました。ここ十数年間、湯原温泉の入客数は、大きな変化はありません。しかしお客様の消費性向、客層の変化で旅館以外の飲食店や土産物屋さんが寂れ空き店舗がポツポツと出てきました。Y字形に川沿いに並ぶ温泉街の端にある混浴の共同露天風呂が名所なのでほとんどのお客様は、昔と変わらず旅館に宿泊されても温泉街をそれなりに歩かれるのですが道中の空き店舗が風情を壊してしまいます。かつて商工会で私が委員長になり空き店舗の問題に取り組んだのですが何分にも相手もある事で何も出来ずじまいに終わってしまいました。この事が気がかりで今でも空き店舗の所有者とコンタクトをとり続けてきたのですが前に本誌でもご紹介した「旅館組合直営射的店」が効を成し所有者に我々の本気の姿勢が伝わり前向きに考えて頂ける様になってきました。

 近く2号店の「つけもの本舗:仮称」が開店出来そうです。先の射的店は、旅館組合で取り組みましたが今度は、商工会、旅館組合の両青年部で行います。農家のおばちゃん達が作った自家製の漬け物や特産品、町のクラフトグループの作品の販売やイベントの際の出店などアンテナショップ的性格のお店になります。温泉街の中央にあるお店なのでいろいろと使えそうです。私の町の様な小さな温泉街は、ある意味でみんな運命共同体です。商店は、旅館がお客様を引っ張ってこないと成り立ちませんし旅館は、お客様に本来の宿屋としての商品とは別に温泉街の風情を味わって頂けなければ宿独自での集客力にも限界があり衰退していきます。私が嬉しいのは、旅館の仲間や町の人たちの多くがその事を理解されている事です。朝市や射的店の運営、イベントなど本来、旅館とは何の関わりもない事です。個々の経営的に見れば損になりこそ末、得は一つもありません。しかし旅館は、その温泉街の風情も商品にしています。時代の変化で旅館以外の商店が成り立たなくなって来ている以上、温泉街の風情の部分を維持していく事を旅館側で取り組まなければならない事態が今後もっと増えてくる事となりそうです。

 今、湯原温泉は、ジブリの宮崎駿さんのアニメ映画「千と千尋の神隠し」のメッカになっています。たまたま映画に登場する「油屋」と言う老舗旅館がありその「食湯館」と言う湯屋がどことなく映画に登場する「銭婆婆」の「湯屋」とイメージが似ているのです。(実際に映画スタッフがスケッチしてモデルにしたと言う事です)ジブリの映画は、大人も楽しめますが特に「トトロ」や「風の谷のナウシカ」に代表される様に子供を持つ親にとって絶対的に指示されています。上の二つの映画などもう十何年前の作品にも関わらず現在の小さな子供達にも人気です。この子達は、温泉のイメージとしてきっとあの「千と千尋・・」を大人になっても持ち続けるでしょう。嬉しい事です。日本の温泉地の存在的価値は、これでしばらくは安泰です。我が町、湯原温泉は、「千と千尋・・」に出てくるあの温泉街の風情にしていくぞ!私は、「顔ナシ」、カミさんは「湯婆婆」でいくか?

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2002年3月号
23.長期にお勤めの団体役員各位様へ

つくづく「そろそろ歳だなあ」と感じる時があります。尊敬する先輩達のご活躍を見るとまだまだ「はな垂れ小僧」だと思うのですがどうにも心が摺れてしまって何事に寄らず惰性でやってしまっている様な感じがしてしまいます。商工会の青年部、旅館組合の青年部と長をあずかり夢中模索で取り組んだ「町づくり」。町の先輩達に挑戦し反発して「ようし見ていろ」とがむしゃらに頑張って振り返れば誰一人ついてこなかった。それでも前しか見ないで突っ走った。気がつけば自らが当時、反発していた先輩達と同じになっていた。無意識に楽な方に流されていく。町の大事な事業をあずかっても大事なみんなのお金をドブに捨ててゆく。そんな気がしてならない。数年前なら十数万円の宣伝費でも任されると緊張していた。小さな新聞広告に知恵を絞り旅館は元より飲食店など町中を巻き込んで企画を組んだ。時にはヒットして電話が鳴り続いたが大半は期待はずれに終わった。そんな事を繰り返すうちに次第に気持ちが麻痺してきている様な・・そんな気がしてなりません。 私の住む湯原温泉は、中国山地の奥深く過疎の進む小さな温泉町(岡山県湯原町)です。人口四千人にも満たず、さらに減少しています。観光と農業しか無い町なのですが観光従事者の比率も少なく観光は、疎んじられてきました。しかし近年の農業の衰退に比して観光は、好調で不況と言われた昨年も入客数60万人に宿泊客数22万人、前年対で105%と僅かながら入客数、宿泊客数とも増やしています。前年もまた前々年も微増でしたのでグラフにすれば唯一右肩上がりの数字です。ここに来て行政も観光に対する思いに変化が出てきました。やっと観光に(少しだけ)重きを置きだしました。観光振興のプロジェクトを観光協会、旅館組合を中心に農業、工芸品関係者、商工会も加わって立ち上げたのです。ただしお金を出すのは、旅館組合と観光協会そして行政。建前は、町内のあらゆる事を観光のコンテンツに利用して誘客を行うというモノです(本来、観光というのはそれが当たり前なのですが、何故か大上段にその当たり前の事を改めて振りかざしました?)。各団体から代表者が集まり委員会が作られました。予算は、大盤振る舞いの1千万円。町づくり・イベントなどの費用と大半は、宣伝に割り振られました。この宣伝をさらに新聞・雑誌・インターネットに細分した予算を立てました。この宣伝委員長に私がならされたのですが大事な宣伝の骨子を決める委員会を開催しても集まるのは、いつも事務局を入れて3人ぐらい・・役員経験豊富な町の重鎮もメンバーに入っているのですがご欠席。町を挙げての「一大プロジェクト」、その一番重要な宣伝がこれですから何こそ況や。この予算も元は、全て自分のお金の筈なのですがいったん手から放れたお金には無頓着。全て人まかせ、お金まかせ。任せて頂く方は、次第にその重要な役という気持ちが麻痺してくるのです。長期にわたり団体のお世話をして下さっている方が田舎程多いです。人材の問題もあるでしょうが若い後継者でなくても数年おきに交代でやって頂く等の方法等で新鮮な気持ちを維持する事はできます。読者の方で身に覚えのある方はいらっしゃいませんか?この際どうでしょうか、私と一緒にとりあえず一旦、役員から身を引いてみませんか?お一人辞めるのはお寂しいでしょうから私がお付き合いさせて頂きます。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2002年2月号
22.明日が楽しみな日々

先月号に書きましたが私は、現在、CIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)の治療として免疫ブロブリンの大量静脈点滴を受けています。一ヶ月のうち7日程度入院して検査と点滴を行います。この点滴で使用する免疫ブロブリンという薬は大変高価な薬で1本が3万5千円もするそうです。これを一日に11本、5日間点滴します。一ヶ月の治療代は、200万円を超えます。この治療をこれから2年間毎月続ける必要があるそうです。さらにその後も年数回は、この点滴を受け続けることになるとか。実際に私の支払う治療代は、保険と高額医療補助のお陰で10万円程度で良いのですが、お金の問題は別にしても複雑な心境です。免疫ブロブリンは血液製剤です。この薬1本を製造する為には、数十人単位の多くの人の献血(成分献血)が使われています。私の健康回復の為に他人の善意が消費されていく。

私が無駄な時を過す事は、その善意の方々の意を浪費しドブに捨てる行為だ。こんな私にそんな薬を使うだけの価値があるのだろうか。どんな生き方をすればその方々の善意に答えることになるのか。きっとこの治療を続ける限りまた生きている限りこの自問は繰り返す事でしょう。

 先日、こんな事がありました。ある親子連れの方が一ヶ月の間に2度お泊まり下さいました。一度目は、旅の途中の偶然のご利用でした。60歳代のご夫妻とそのご子息でした。ご主人は、くも膜下で半身重度の障害をお持ちでした。この宿泊の後、家に帰ってから旅先で偶然出会った私のことが話題に上がりフロントでの対応やレストランでのサービスの模様が話されたそうです。私の宿は、小規模なので手足は不自由でも口達者な私は、戦力です。フロントでのご案内と夕食時レストランでのアンティークオルゴール演奏会は、私の仕事にしています。そんな私の姿をご覧になりご主人を勇気づけようと二度目のご宿泊となったそうです。その日、チェックインの予定時間よりも随分早くご到着なさって車椅子で街をご散策されていましたが気がつくと他のお客様の案内をする私の様子を少し離れた位置からご覧になっておられました。こんな私でも人を勇気づけられる力があるのかと思うとテレ恥ずかしく思いながらも嬉しさも込みあげてきました。実は、私自身も発病当初は、奇異な動きが恥ずかしく人前に出ることが出来ませんでした。家内に無理矢理引っ張って行かれた会議の後、東京の交差点で偶然すれ違ったサリドマイドの方の毅然とされた姿に感動して吹っ切れたのです。

 治療の効果は、かなり劇的に出ています。昨日まで出来なかったことが私自身も気づかないぐらい自然に出来ると言ったことがあります。気持ちも180度変わりました。今までは、日に日に動かなくなる体に怯えて暮らしていました。夜、寝ることが怖い日々でした。今は、明日が楽しみな暮らしです。今後、完全に直ることはないでしょうが良くなっていくことでしょう。健康を取り戻した時に不自由だった時を過ごした日々を忘れないようにしなくては・・。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2002年1月号
21.人生修行の入院

今ちょっと入院してます。なかなか快適な入院生活です。お酒こそ飲めませんがかわいい看護婦さんが細やかに気遣ってくれて天国です。「最近の若い子は、何考えてるのか判らん」なんて自分の若い時のことを棚に上げて思うこともありますが、責任の重い危険な仕事をかいがいしくこなす彼女たちの姿を見て「なかなかどうして・・」と考え直しました。今回の入院は、CIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)と言う珍しい?病気の治療の為です。免疫不良による神経麻痺で体のあちこちが動かなくなる病気です。10年前に発病したのですが当時の医学では効果的な治療法がなく今日まで「気持ちを体に合わせて」きました。最近になってヒト免疫ブロブニンという血液製剤が認可され効果を上げているという情報をインターネットで得たので「じゃあ試してみるかな。」・・と言う事で入院する気になりました。十年前に一度はあきらめた躰ですので少々複雑な思いもあります。治療の効果はてきめんで一部ながら改善の傾向が現れてきました。十年前にも治療方法の一つとして医師から提案はされたのですが、当時は、保険の対象とならない為、数千万の費用もかかると言われ行いませんでした。もし行っていたら発病直後なだけにもっと画期的に躰の機能は改善したかも知れません。でも大量の血液製剤は、当時は、フィルタリングされておらず確実にB型C型などの肝炎に感染していたでしょう。もし十年前に不自由な体にならず元気だったら遊ぶことばかり考えて今ほど仕事をする気にならなかったかも・・等々。何が幸いで何が不幸に繋がるのか、こればかりは誰にも判りません。過去は、過去として今は、明日を見据えた最善の策と行いに心がける。悩むよりも行動です・・なんて事を自分自身に言い聞かせてます。私の今居る病棟は、難病や重病の方ばかりです。八人の病室も静かです。しかし中央にあるロビーは、様態の安定した方が集まり結構にぎやかです。私の場合は、タバコ吸いたさもあり点滴をぶら下げて大半をこのロビーで過ごしています。胃ガンで明日、手術する人、膠原病で30年入退院を繰り返している人、皮膚が硬化する難病で指が曲がり社会復帰に悩む二十歳のお嬢さん、筋ジスのお爺さん。世間話に病気を忘れ花が咲きます。消灯後もここは賑やか、若いグループは、お菓子を持ち寄り毎日パーティーです。そんな中に面白いお爺さんが居ました。自らも膵臓ガンで放射線の治療を受けているのですがその若いグループに入って毎晩人生相談に乗ってました。聞けばお寺のご住職。豪快に笑う様からは本人が重いご病気とは、とても思えませんでした。どんな境遇にあっても人を思いやれる気持ちを持ち続ける。十年前の長期の入院時には、感じなかった思いが少し芽生えた今の私です。世情を離れて病院暮らし、人生の修行にたまには良いかも。脈を執ってくれる看護婦の笑顔を見上げ何故か血圧の上がった私です。「修行がたらん、修行が・・カツ」例の和尚さんに叱られそうです。

 ホテルとホスピタルは、語源は同じだそうですが我が儘な患者に笑顔を絶やさず優しくいたわる看護婦さん達、旅人をもてなす我々は、見習うところが多くあるように感じました。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2001年12月号
20.ブロードバンド時代

ここにきて田舎であることが思い知らされる。待てど暮らせどブロードバンドがやってこないのだ。メーリングリストの知らされる各地からの「うちにも来たよ」の文に悔しい思いをしている。ブロードバンドとは高速度で大容量の情報を転送するシステム。1本のケーブルに複数の信号を乗せて送るモノで理想的には光ケーブルが良いのだがCA-TVが敷設されている一部の地域を除いて現在、進んでいるのは、ほとんどの家庭に引き込まれているADSLと呼ばれる電話線を利用する方法。既存の電話線をそのまま使うので手っ取り早い。1本の線に流れる信号の周波数を分けて使うので従来の電話と共有出来る。それでも交換機内の工事は、必要なのだが一度に全部出来るわけなど無く利用者の多い都市部から順に田舎に広がっているというわけだ。もう一つ家が世界に繋がっている線がある。コンセントの電源だ。研究中と言う事だ。これが使えればややこしい配線の必要がなくなる。もう10年もしたらコンセントに差すだけで全ての電気器具が情報ツールになってしまうと言う恐ろしい時代がやってきそうだ。電子レンジや冷蔵庫、テレビは、勿論のこと、照明の蛍光灯やエアコンまでもが世界中どこからでもコントロール出来るという時代だ。そんな先のことはともかくとして私の町、湯原温泉には、CA-TVは、おろかADSLですらまだやってこない。深刻な情報過疎だ。NTTさん頑張って頂戴。4年前まではアメリカに比べて10倍高いといわれていた通信料だがADSLなどブロードバンドの普及により一気に欧米並みとなった。さらに後数年すれば狭い国土が幸いしアメリカを抜いて世界一通信料の安い国になるかも・・。基本的なインフラは、もともと一番調っていたからということだがそれもブロードバンドがやってきたらの話であって、こないところには何の恩恵もない・・とほほ。さてこのブロードバンドの利用のされ方というとお国柄により何故か差があるという。アメリカでは、高速大容量を生かしたデーターの交換に主体を置いた使われ方をしており、日本ではデーター転送よりも常時接続されているという環境そのものにブロードバンドの価値観を持っているという調査結果を最近見た。まだ使い慣れていないからなのかも知れないが動画や音楽の配信よりも繋がっているという安心感が喜ばれているという。しかしもう少しADSLの普及が進めば動画などの大量情報転送のビジネスが本格化してくるだろう。ホームページに女将さんが案内する宿紹介のWeb-TV放送だけでは面白くない。現状の館内のネットワークから外に飛び出し業務全般にわたる一元管理の時代になるだろう。面白いところではお客様がホームページ上の「インフォメーション:ボタン」を押せばパソコンがTV電話になり対面しながら問い合わせにお答えする機能、これはすでに開発されている。便利な反面、もうパジャマ姿で事務所に待機出来ないな。フロント嬢の化粧が厚くなりそうだ。 

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2001年11月号
19.大きな耳

家内から「あなた少し黙ってた方が利口に見えて良いわよ」と言われて憤慨する事がありますが我ながら思い当たる面があり一人になった時、それなりに反省しています。家の中だけなら良いのですが確かにどこでも良く喋っていて「しくじった」と思う事が度々あります。饒舌な人は、少なからず誰でも身に覚えがあると思います。セールスマンの訪問時でもあまり喋りすぎる人の話には「?」唾を眉につけながら身構えてしまいます。ある意味、攻防戦ですからそんなセールスには、こちらも負けずと迎え撃ちます。逆に物静かで紳士的なセールスなら「とりあえず聞いてみよう」と言う気になります。こちらも客商売ですからそのテクニック?は、身につけていなければならないのですが、私の場合、やはり少々喋りすぎのようです。自戒に駆られる秋の夕暮れ・・。

 宿の経営にも同じ事が言えます。皆さんのお宿では、お客様のご意見は謙虚にお聞きになられサービスの向上に努められておられる事と思います。しかし昨今の一億総評論家といった様相に少々辟易した感もぬぐえません。その結果、手前みそのサービスで良しとしてお客様の声に耳を塞いでいた気もします。またエージェントの方ばかりを見ていて本来のお客様のお顔が見えてなかったという様なお話も良く聞きます。我々宿のサービスの提供は、多様な為その宿の個性により重点におくべきコストの配分に悩むところです。昨今は、旅館形態でもBBやRCの宿が多く見受けられますがこれもその悩みの呪縛から逃れる一つの方法からと思います。従来の一泊二食付きの形態でも「料金の泊食分離」を取り入れれる方法もあります。しかしこれらへの移行も「用意ドン」で一度に切り替えるのも至難の業です。こんな時、便利なのがホームページでの集客です。思いついたら取りあえずインターネットでやってみる。他の媒体と違ってプラン作成、即、情報発信ですから「思いついたら吉日」で実行出来ます。そこで重要なのが人の意見を聞く事、特にお客様の意見です。駄目な企画なら直ぐにやり直す事です。今までのホームページは、少々喋りすぎ?だったり、またそうでなくても一方的な形容詞だらけの情報でパンフレットそのままというのが一般的のようです。これだと情報発信は直ぐに出来ても反応が判るのにまだ時間が掛かる。私のホームページもまさしくこの部類を抜け出させずにウロウロしているのですが、これからのホームページには、「聞く耳」を持ったホームページ作りを行う工夫が必要です。一方的な情報発信でなくお客様の要望をお聞きしてそれにお答えするシステムです。それは見積もりという形になるのかも。もっとソフトな感じがいいですね。私もまだこれだというきちっとした形が見いだせないのですが、これが出来れば単に直接的な集客だけでなく潜在的な需要の掘り起こしも出来るし、メールニュースなどを利用した囲い込みも出来そうです。また勇気はいりますがご意見を拝聴する掲示板の設置もこれからは必要になってきそうな感じです。この手法は、予約サイトとして圧倒的な支持を得た「旅の窓口」に見る事が出来ます。「旅の窓口」は、宿泊者からの忌憚のない意見を掲載した事により成功したとも思えます。理不尽なご意見の投稿もきっとありますが真面目で正当な返答は、それを覆す説得力を持つと思います。それに運営者が自分なら最終的には削除も出来ます。それが難しいなら情報コントロールしたQ&Aをやってみるのも効果的です。これからは「大きな耳の付いた」ホームページが集客に繋がりそうです。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2001年10月号
18.地球外知的生命体探査プロジェクト「SETI」:ネットワークこそ力なり

地球外知的生命体を探査する強大なSETIプロジェクトがある。プエルトリコに建設された世界最大のアレシボ電波望遠鏡で捉えた宇宙からの電波をカリフォルニアのバークレーにある SETIの研究室に送りそこでデータを分割してインターネットで会員に配布しパソコンで分析しその結果を送り返し探査するという。インターネットが登場する以前ならスーパーコンピューターを使っても数百年は、掛かるという計算を現在は、インターネットでボランティアの会員と結び、パソコンの余剰能力を利用して分散処理し、わずか半年で行う事が出来るという。会員は、300万人、宇宙へのロマンに駆られた人々が国境や思想を越えて参加している。数年前この話を聞いた時、「これだ!」と感じるモノがあった。中国山地の小さな温泉町の宿屋の主でもパソコンの向こうに世界を感じることが出来た。ふとした切っ掛けで全旅連のネットのお世話する事になり、現在のホームページを「宿ネット」と名付けさせて頂いた。SETIの様なプロジェクトは、思いつかないが我々「宿屋のオヤジ」にも出来る事がある。それは自館のホームページに「宿ネット」:http://www.yadonet.ne.jpへのリンクをつける事や直接予約を勧める一文を掲載する事だ。これが業界の改革という大きな力になっていく。「宿ネット」へのリンクは、仲間への結束の証であり、一文は、長い間の慣習から宿の予約は、直接出来ないと思っている方への啓蒙です。ホームページの端っこで良いですから是非、実行してください。経営者である以上、ホームページ上での利益追求は、当然です。でもその端っこにSETIの精神を出してみませんか。小さなリンクも全国3万の仲間が行えば大きな成果になってきます。

PS:旅館組合直営射的店のその後

湯原温泉の温泉街活性化の目的ながら貧弱な組合予算で行う以上、やむなく夏までの期間限定となっていた組合直営射的店ですが、飲食店組合や土産物組合、そして観光協会の理解も得られ継続して行く事になりました。「ひとりで出来ない事だからみんなでやろう。」この言葉が町を動かしました。もう一軒残っていた温泉街の真ん中にある空き店舗も持ち主の理解が得られ何かお店が開けそうです。とりあえず試験的に一ヶ月。旅館青年部や商工会青年部の協力で行えそうです。今度の店は、何にしようかな?二匹目のドジョウを狙って「輪投げ屋さん(?)」と言う手も考えてます。「公営の宿」と同じように町の飲食店や土産物屋の商売敵にはしたくないのです。かといって収益もそこそこ上げたい。よくあるギャラリーは、どうも儲かりそうもないし、インターネットカフェも無理がある。やっぱし夜店で人気の「輪投げだぁー」・・ちと安易すぎるか?年間入客数で60万人、宿泊者数で20万人、この小さな温泉町の「町おこし」どうなります事やら・・。お陰様で今年も8月までは対前年度微増です。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2001年9月号
17.組織加入の「メリット」「デメリット」

最近、不景気な事も有っての事でしょうが、旅館組合や○○連を「やめる」等と言われる方が多いですね。理由を聞くと答えは決まっていて「入っていてもメリットが無いし会費が高いから・・」。末端の会員からすれば当然と言えばその通りなのですが単純にそう言ってしまうのは、「何か違う?」と言う気がしてならないのです。全国組織の事は、よく見えませんが地元の旅館組合とか観光協会とか青年部などに思いをはせて頂ければ想像しやすいと思います。この組織に加入している事の「メリット」とか「デメリット」と言うのは、「受け身的」な考え方ですよね。しかし本来、あらゆる組織は、「目的の為に」設立し運営されてきたわけでその考え方の根本は、「みんなで力を合わせて・・」とか、「独りでは出来ない事をみんなで・・」と言う事であったと思うのです。青年部時代に先輩から教わったのは、青年部に入って何か与えられると思うのは間違いだ。自分が動いて青年部から学び取る意識を持て・・と言うものでした。この言葉は、青年部活動に限らずあらゆる組織に共通していると思っています。「座して利を得られない」と言う事です。今、この「座して利を得よう」とする方が異常に多いと思えてなりません。その結果が「メリットがないから辞める」と成ってます。目的が無くなった組織ならば存続そのものが意味がないのですから組織そのものを解体すれば良いですし、トップがアホでその目的が無くなった事に気ず(又は、気づかない振りをして)形に拘り(褒章とか)のであれば、そんなトップは、ほっといてサッサと辞めるべきでしょう。そうではなくて「組織の目的」は、依然として有るのに自分が「メリット」が感じられない。会費を負担すると言う「デメリット」だけを感じているなら自分自身の「組織への関わり方」に問題があると思うのです。

 地域の組織での組織の関わりは、人間関係が絡むだけに「目的」は、単純でもさらに複雑になってきます。組織は、人で成り立っています。好き嫌いも有るし、まして同業者の組織で有れば時として利害で反目する事もあります。またとかくトップは、我田引水と見られがちです。しかし受け身ではなく、積極的に組織に関わっていけば見え方も違ってきます。間違っている事は、正して行けば良いし、逆に自分の過ちにも気づく事があるかも知れません。重要な事は、常にその組織に関心を持ち、時として「お世話する」側に成る事が必要だと思います。根気も必要です。多くの場合、組織のトップは、ご高齢者が多く変化を良しとされません。田舎の場合、一つの組織だけでなく関係する団体が多くその組織の改革だけでは事が終わらない場合もあります。「積極改革」で動いていた方が、根がつきて「アホクサ・・もう付き合っていられない→失速」と言うパターンです。正直に言って私も地域の組織において、この「アホクサ」状態に陥りそうになる事があります。しかし地域密着である宿屋家業である以上、根気強く付き合っていくしか道はないのです。多くの皆さんと同様、地域の共同体である組織と「袂を分かつ」事は、地域への義務の放棄であり、リスクは、群れから離れる羊と同様にあると思えるのです。  先日、町の世話役と話していて私が「私ら若い者が・・」と言ったら、その世話役からお前はもう「若い者の内には、はいらん」と言われショックを受けました。青年部の延長の気分でいたら、いつの間にか、ご長老の入り口に来ていた様です。私の考え方ももう古いのかな・・。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2001年8月号
16.露天風呂の日:web実況放送

今から15年前、湯原温泉の旅館組合や商工会の若者達が集まって温泉町の生き残りについて話し合いました。そんな中で知名度アップの為には、「やっぱりイベントも大事だよね」ってことで知恵を絞って始まったのが「露天風呂の日」です。幸い湯原温泉には、有名な共同露天風呂がある。「じゃいつにする」と言う事で最初は、6月10日「ロテン」と言う案もあったのですが・・・6月26日→6・26→6テン26→ロテンブロ・・・と言う事で毎年6月26日を勝手に「露天風呂の日」に制定してしまいました。イベントの理由付けは、温泉と先人が築いた露天風呂、そしてそこにお越し下さるお客様と温泉街を支える町人に感謝するという感謝、感謝の大感謝祭。以来15年、今では主なカレンダーにも掲載されるけっこう名の知れたイベントになりました。イベントの内容は、早朝6:26のお湯取り、露天風呂大掃除、感謝の集い等の儀式に始まり、全旅館の内湯の無料解放、飲食店や商店での割引、朝市、屋台、茶席、旅館の食器のガレージセール、チンドン屋等々の街角でのパフォーマンス。今年は、初めて、この露天風呂の日をインターネットを活用して、ライブを放送してみました。イベントの様子を丸ごと多次元でインターネットで放送するという、おそらく日本初の企画です。それを素人の町の人間だけでやってしまったという無茶苦茶な企画です。仕掛けは、2つ。街角2カ所に設置したライブカメラ(数秒おきに自動的に画像をウェーブ掲示する固定したカメラ)とビデオカメラで撮影してきた画像と音声をweb上で閲覧していただく方法です。ライブカメラは、本当に今、現在の街角の様子を放送、ビデオは、2つのチームが温泉街を自由駆け巡って取材しそれを無編集でwebにアップ、約1時間遅れの追っかけライブ放送です。6名のスタッフで行ったのですが戦場の様な忙しさ。前日や当日の早い時間にNHKなどTVやラジオ局がその事を紹介してくれた事もあり、アクセスは、うなぎ登り、イベントが終了するまでに約4000人の方にご覧いただけました。イベント終了後もライブカメラは、私のホテルに移動して残し、ビデオの方も見やすく再編集してホームページに掲載していますが、これが思わぬ効果を生んでいます。後日の新聞などでのニュースでこの事を知った地元の方がこのホテル前に設置されたライブカメラの前に立ち携帯電話片手に手を振ったりして楽しそうに話しているのです。中には、お子さんを遠くに住む親戚に見せようと抱きかかえライブカメラに向かって話しかけています。要するに一方通行の「TV電話」として利用しているのです。ホームページでのビデオを見て知人達の活躍を話題にして盛り上がる若者達も居ます。この企画は、宣伝にも役だったようですがそれ以上に故郷を離れた方と残った住民の架け橋と言う副産物もありました。今回は、ほんの思いつきでやってみたのですが周到に準備して行えばもっといろいろ楽しめる企画になりそうです。このweb実況放送、次回は、8月8日の「はんざき祭り」で行う予定です。

   web実況放送:http://www.net626.co.jp/live626.html

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2001年7月号
15.泊食分離考察

ヘアスタイルを気にする歳でもないが、どこでも良い様なものの床屋さんだけは、お決まりの、町の散髪屋さんと決めている。あれこれと、注文をつけなくても、黙って座れば、いつものように、ちゃんと仕上げてくれる。横着者の私には、快適な時が過ごせる、貴重な場所だ。その散髪屋さんのご主人曰く、宿泊業における一泊二食付きの旅館と泊食分離のホテルとは、ちょうど美容院と理髪屋さんとの関係に似ているそうだ。理髪屋さんは、カットから、洗髪、髭剃り、整髪、そして耳掃除、マッサージまでセットになっていて、いたせりつくせりと彼にいわせれば、旅館と同じだという。一方、美容院の方は、髪の、カットから、セット、洗髪、パーマ、その他諸々、全て積み上げ型の単価設定であるのでホテルに似ているという。なるほどと、肯いてしまった。旅館における、泊食分離の考え方が、最近インターネットでの予約のを受けやすさから注目されているがこの考え方そのものは決して新しいものではなく先進的な宿では結構古くから、取り入れられていた。20年程前に、ある先輩の旅館で客室に料金表が備えられていてその中に、宿泊代、7000円、夕食、5000円、朝食、1000円、などと、細かく記載してあったのを覚えています。当時としては珍しいことなので、その先輩に分けを聞くと、夕食の料金を、ハッキリさせて、その内容を、理解頂く為と言う事でした。とかくお客様は、1泊2食付きの料金が13000円なのに何故か夕食の内容が、13000円の料理と誤解される向きがあったからです。お客様には、あくまでも夕食は、5000円の料理ですよ、と言うことを認識して頂くために、料金表を客室に備えつけたと言う訳です。1泊2食付きでいくらでもお客さまがきた時代に、これはかなり進んだ考え方でした。極まれに、対応しなければならない夕食なし又は朝食なしのお客様に対しての説明用という意味もあってのことで現在のように積極的に、宿泊のみのお客様を、とると言うことではなかったのですが。小さな宿が集合する。温泉街にあって多様化するお客様のニーズに応える為にこの泊食分離の考え方を、取り入れていくのも、ひとつの積極的な方法かと思っています。それぞれ旅館の夕食メニューを交換しあってホームページで公開して予約を取る。宿泊は、うちのホテルでして頂き、夕食は、カニ料理なら○○旅館へ、山菜料理なら、××旅館。さすがに、当日の対応では難しいと思いますが、インターネットを利用して事前に宿泊と食事の希望を頂くようにすれば、効果を上げると思います。この方法なら、自由度が高まり保養目的での長期滞在にも、たやすく対応できると思えるのだが、如何でしょう。しかしこの方法、コンビニの有る温泉町にはあまり適さないかも・・。近々、私の宿で、実験的に行ってみるつもりです。料理に個性のある旅館が多いので、メニューを集めるのがとても楽しみです。スッポン料理に山菜、海鮮料理・・これにうちのホテルの、洋食が加われば・・「何でも有り」です。6月中には、ホームページ上で、公開しますので、お暇な時にご覧ください。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿 古林伸美
                 2001年6月号
14.宿屋のネットワーク:あれこれ

全旅連(全国旅館生活衛生同業組合連合会)が主催する「宿仲間メーリングリスト」と言うのがあります。本誌でも何度か紹介しましたが宿屋稼業の情報源としては、本誌「月刊ホテル旅館」以外(ヨイショ!)では、「これに優るモノはない」と断言します・・(^^;)。すでに読者の多くも参加されて居られますがインターネット初心者の方へのアナウンスと言うことでご了解下さい。

 そもそも「メーリングリスト=MLと略す」とは、インターネットのEメイルを活用して複数の仲間と意見交換するための工夫(道具・仕掛け・テクノロジー)です。インターネットに接続されたパソコンをワープロのように使って自分の意見を書き電子メールを決められた手順で送るとその手順に従う多数の仲間のパソコンにほぼ瞬時に届き、かつ他の発言者の意見も読めるというモノです。(5年前にも同じ様なことを書いたな・・独り言です)多種雑多な情報が勝手気ままに飛び交う世界ですので、それなりの情報処理能力は必要ですがその情報量は、膨大です。しかも聞き手に回るだけでなく即座に質問もでき、その答えも返ってくる仕組みです。当然、参加者が多くなければレスポンスも悪く面白みも少ないのですが、このMLへの参加者は、現在、1500名を越えており発言時にはそれなりの緊張感もありますが、同業者の多くの意見やアドバイスは、それぞれ真剣であり頼もしいモノです。同業種の集いとして開催されるMLでこの「宿仲間ML」以上の規模の物を私は知りません。影響力も大きく、エレベーター管理料等のコスト削減方法があるメンバーから提案され瞬く間に全国に広まった話や熱海での観光新税の話が持ち上がった際に一夜にして全国の関係者に知れ渡り反対運動の火が広まったのはつとに有名です。  毎日多くのメールがMLに投稿されています。発言者は、ある程度、常連さんが多いのですが他の方は、読んでないのかと思うとそれは、そんな事も無いようで「この人は、パソコン等、触ったことも無いだろうな」と思われるような方が「いつも読んでますよ」と会合などでお声掛けくれます。隣の旅館の女将など面白い話題がMLに出てくると「ノブさん、ノブさん・・この話は、どうゆう事?」「私は、こう思うんじゃけどノブさんは、どう思う」等と3日に一度ぐらい解説を求めにやってくる。彼女は、MLは、ドラマティックで面白いと言うのです。一日に3度は、パソコンに向かいメールを開いているそうだ。コーヒータイムを一緒に過ごし「宿仲間ML」の話題に花が咲きます。全国でこんな風景が繰り広げられている事でしょう。今までは、小さな温泉町の話題しか無かったのにこのMLのお陰で遠く北海道や九州の宿の話題がまるで同じ町うちの事のように話される。ここのところの関心事は、非常識な真夜中に掛かってくる問い合わせ電話への対処方法、皆さんいろいろと苦労されています。さて今日は、どんな話題が投稿されているだろうか?メールを開くのがいつも楽しいです。この「宿仲間ML」への参加は、全旅連のホームページ「宿ネット」上で登録できます。(宿ネット:http://www.yadonet.ne.jp)

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2001年5月号
13.密かな楽しみ「アクセスログ」

心血注いで作ったホームページがどの程度、人々に見てもらえているかと言うのは、気になるところです。アクセスの状況は、その表面上の数字だけなら「アクセスカウンター」と呼ばれる簡単なシステムで知ることが出来ます。通常、ホームページのトップ画面に設置して訪問者数を示しています。この数字が大きいと作った者としては、それなりに嬉しいです。ホームページを運営し始めた当初は、このアクセス数だけで充分満足していたのですがその内に「どんな人が見ているのだろう」とか「どうやってこのホームページに辿り着いたのだろう」等と言うことが気になり始めます。これを実現してくれるのが「アクセスログ」と呼ばれるモノでホームページのアクセス(閲覧者)を細やかに分析してくれます。ホームページに「cgi」と呼ばれる簡単な仕組みを施すのですがそれ程、難しい事ではないので是非、挑戦してみて下さい。(方法は、お教えしますのでメールでお尋ね下さい E-mail:nobu@net626.co.jp)このアクセスログを見るといろんな事が判ってきます。どの検索サイトからどんな言葉で探して来たのか等です。トップだけでなく枝葉のページがアクセスのきっかけになっている場合も多いです。私のホームページの場合は、この枝葉が非常にアクセスを稼いでくれています。例えば「露天風呂入浴風景」とか最近では「ライブカメラ」のページが多いです。また「かしこい宿の予約方法」も根強い人気ページです。これらに共感?して宿泊のお客様になって下さった方も多くいます。昨年末に全旅連の公式ホームページ「宿ネット」にもこの新型のアクセスログを取り付けました。同時にメーリングリスト「宿仲間ml」の仲間に呼びかけて「宿ネット」へのリンクバナーの設置運動を展開したのですがこれが「宿ネット」のアクセスに凄い効果を上げ始めています。アクセスログの分析によれば、あの有名なyahooやgooなど検索サイトのいずれより宿仲間からの訪問者が多くなっています。特に協力的な福島県がダントツで「いわき湯本温泉」「磐梯熱海温泉」の両旅館組合のホームページ、そしてネットの世界では今やナンバーワンの「こいと」、「和多屋別荘」「ホテル東横」「きらくや」等が続きます。これら皆さんのホームページからのアクセスは、それぞれにyahooよりも多いのです。我が湯原温泉のホームページや「プチホテルゆばらリゾート」も末席ながら名を連ねています。これらの皆さんからのアクセスは、「宿ネット」を通じて全国の宿仲間達へ貢献しているのです。全旅連「宿ネット」のアクセスは、今や業界組織では、ナンバーワンです。これは協力いただいているトランスネット社のお力も大きいですが、この「リンクバナー」設置がホームページを開設している全施設に普及すれば消費者側で一番使いやすい本当の意味でのホータルサイトになるでしょう。最近の私の一番の楽しみは、就眠前の「宿ネット」アクセスログの分析です。右肩上がりの数字を見るのは嬉しいモノです。ここ数ヶ月、期待を裏切られたことがありません。「おっ今日は、どこの宿からのリンクが100増えた」等とパソコンに向かってニヤニヤ(不気味)している今日この頃です。ちなみに最近の「宿ネット」人気ページは、「お宿探しのお手伝い」で訪問者の25%は、このページを見ています。  

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2001年4月号
12.温泉町の誘客宣伝 

私の住む湯原温泉は、31軒の旅館がありますがいずれも中小の規模で総宿泊人数も2500名程度です。観光関連の組織としては、観光協会(社団法人)、旅館組合、商工会があります。31軒の旅館は、それらの全てに加入しています。誘客宣伝は、主に観光協会と旅館組合が行っています。商工会は、案内所を持っていますが誘客宣伝は、ほとんど行いません。その代わりイベント関係では力を入れてくれています。

 さてその小さな温泉町の誘客宣伝の方法ですが、もっぱら新聞、旅行雑誌、そしてささやかにインターネットを利用しています。TVやラジオ等は、目を引くイベントを行うことで露出させる作戦です。6月26日の「露天風呂の日」や、8月の「露天風呂湯けむり寄席」、クリスマスやバレンタインに行う「キャンドル・ファンタジー」等、湯原温泉は、イベントが得意です。突発的(思い付き)のイベントもすぐ行ってしまいます。キャラバンなどの宣伝隊の派遣は、県の観光連盟などで要請でお付き合いで行く程度です。これらの組織としてエージェントを回ることは、この十年来ありません。

 昨年から町が誘客の特別予算を付けてくれました。補助金特有の手枷足枷は、あるのですがその宣伝部分は自由ということで、みんなで新聞、雑誌、インターネットにどのくらいの比率で振り分けるかを協議しました。7割を新聞広告、残りの2割を雑誌、1割をインターネットと言う配分で「たたき台」が出されたのですが、不満の声が上がりました。旅行誌とインターネットの費用を増やせと言う意見です。話を聞いていると面白い傾向が出てきました。インターネットへの予算をほぼ全員が増やせと言うのです。雑誌については、問題なし、でも新聞は、そんなに効果無い。という意見です。結果、大幅に予算を修正しました。さて困ったのは、インターネットの担当者(私)です。今までお金を掛けないことを一番に考えてきたモノですからお金が使えるとなっても使い方が判らない。「ホームページの雑誌広告を出そうか」とか、「美人モデルを使用した動画コンテンツの作成」とかを本気で考えています。幾らお金があっても人任せにはしたくない。わずか100万円そこらの予算を持て余し、その使い方に頭を痛めている今日この頃です。みんなの期待は大きいし・・さて、困った、困った。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2001年3月号
11.続報・繁盛してます・・旅館組合直営の「射的屋さん」

昨年の休業していた射的屋さんを湯原町旅館協同組合で借り受け12月に復活オープンした事をお話ししました。今日は、その続報をお知らせします。

 町の活性化の一助になればと始めた利益度外視の「射的屋さん」ですが、今のところ「とんとん」でうまく行っています。射的屋さんは、温泉街のど真ん中にあり、立地は最高です。最初は、私や理事長や組合の役員がハッピを着て詰めていましたが、現在は、町のシルバー人材センターに派遣をお願いしています。土曜日など本来5人でいっぱいの射的コーナーに10人以上が群がり順番待ちで遊ばれています。他に「アレンジボール」と言うパチンコに似たコインで遊ぶレトロな機械があるのですが、こちらも結構人気です。お世話下さるシルバーの方々も町の活性化の為という「大義名分」があり誇らしげに働いてくれています。張り紙で「旅館組合直営の射的屋さん」、「活性化事業でやってます」、「100円で遊べます。」等と出してあるので昼間も入浴客の立ち寄り客が結構、遊んで行かれています。システムとしては、お手伝い下さるシルバーの皆さんは、お金を扱うことが出来ないので、全て自動販売機でコインにして遊びます。宿泊のお客様には、旅館のフロントで「無料遊技券」をお一人に一枚差し上げています。その券は組合から無償で配られます。温泉街ですのでやはりお客様は、休前日に集中します。現在、金、土、日曜日の週3日の営業をしています。町の人達の評判も上々で射的で使う景品の人形を寄付して下さるスナックのママさんやアレンジボールの機械の調整や修理に来てくれる元パチンコ店に勤めていた人(素人ばかりでやってますので助かります。)、共同浴場の帰りに平日の賑やかしに子供連れで来てくれる商店のご主人など応援も多いです。旅館組合としては、今年度中の事業と言うことだったのですが4月以降の継続も商工会や観光協会の協力で何とかなりそうです。やっとついた小さな灯ですがこれをきっかけに町の動きが出てきました。今までは、理論ばかりであれこれ話すだけの町づくりがちょっとだけ前進したようです。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2001年2月号
10.宿泊業界に改革を・・

「全旅連インターネット委員会の歩み、そして明るい21世紀」 明けましておめでとうございます。今年が皆様にとって明るい年となりますことをお祈りいたします。今回は、全旅連インターネット委員会の長として私の知りうる全旅連インターネット委員会の歴史と新たな動きをご紹介し21世紀の希望のメッセージとしたいと思います。

 今から5年前、宿泊業界のパソコン通が全旅連の会議室に集められました。総勢16名、主に青年部関係者でした。全旅連のインターネット事業推進の為です。この中に私もいました。当時は、まだインターネットの創世記。集められた委員もパソコン通とは言ってもインターネットは、素人ばかりでした。しかし数ヶ月後には全員がホームページの閲覧やE-mailが交換できるようになりました。そしてインターネットの内容を知るにつれその可能性に驚き熱心に事業の内容について話し合いました。最初の事業は、すでに補助金事業で業者に委託し始められていた公式ホームページ「旅空間」、間に業者が入ることの歯がゆさから自分たちでもホームページを作ってみようと委員が自らの手で運営する「宿ネット」を立ち上げ、公式ホームページ「旅空間」とアクセスを競うようになりました。また「左手にフライパン、右手に電話機で頑張っている小さな旅館の親父さん達へどうすればパソコンを普及させる事が出来るだろうか?」と言う事から「安く使いやすいフロント会計システムを作ろう」と自主開発した「支配人君」を当時としては画期的な低価格\45,000で販売しました。(300本販売)結果的に通販カタログ「宿願成就」になりましたがインターネットを利用した共同購入システムも試みました。凄かったのは「宿仲間メーリングリスト」です。メーリングリストとはE-mailを利用した情報共有のシステムです。3年前に50名程度でスタートしたこのメーリングリストも現在1500名と言う業界最大の情報の源に成長しました。昨年5月、委員会も再編成、公式ホームページを「宿ネット」に統合、新たに各都道府県から参加するサイバー委員も加わりました。さて昨年末、全旅連では協力企業である(株)トランスネットの「ルームバンク」が認定事業となりました。この事業は、旧委員会のメンバーの夢が詰まった事業です。それが21世紀を迎える今、ついに始動し新たな委員も関わっていくことになります。共通客室情報システム=「ルームバンク」。これは客室(空室)情報をインターネット上で一元管理し正合性を計りながらインターネットとリアルの両面で多チャンネル販売を行うという画期的なシステムです。 複数のサイバーエージェントへ登録し複雑な空室管理を行うことからの開放。販売チャンネルを条件により宿側が選択できる「宿の主体」の実現。「ルームバンク」は、我々宿泊業界仲間にとっての21世紀を明るく照らす素晴らしい事業になることでしょう。私たちの業界には私利私欲を捨て業界の発展に尽くしてこられた素晴らしい先輩が多数おられます。私もその先輩達に恥じぬように精一杯頑張りたいと思います。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2001年1月号
9.本日開店:旅館組合経営の射的店さん

温泉街における宿の繁栄は、町の活性化無しには考えられないと思っています。私は、24歳で家業に就き地域の若者のお付き合いをしてきました。商工会青年部、消防団、旅館組合青年部等々、小さな町ですから顔を合わせるメンバーは、概ねいつも同じでした。20年前に湯布院に行き中谷さんのお話をお聞きして「町づくり」の洗礼を受けました。当時は、「一村一品運動」「村おこし・町づくり」の大ブームで私の町、湯原温泉でも若者が顔を合わせるとその話で盛り上がりました。「若者の残れる町づくり」から「子供達が残れる町づくり」へ、観光面からは、湯原温泉の方向性について語り合いました。当時は、置屋が6つ程あり芸者さんも120名程度登録されていました。団体旅行が主流で小さな温泉街ながらもスナックや赤提灯が20軒あまり、ストリップの小屋も最大時には12軒有りました。こんな状態の時に「どこに行く湯原温泉」をテーマに「歓楽型」「保養型」あるいは、「療養型」・・「どんな温泉街に将来していけば良いのだろうか?」と話し合っていました。親父などには「若いモンは、何を考えとるんじゃい」と不思議がられ叱られながら、また多くの失敗を繰り返しながら「町づくりゴッコ」をしてきました。振り返って現状をみると「いったい何をして来たのだろう?」と言う気になるのです。特産品の開発も手がけました。これも多くは失敗しましたがトマトの産地だからと言うことから生まれた「トマトの粕漬け」は、現在でも土産物屋さんや旅館の売店に並んでいます。6月26日を語呂合わせから全国で最初の「露天風呂の日」として旅館の内湯を開放するなど湯原温泉のイメージアップのイベントとしての成功例もありました。しかし温泉街は、確実に寂れてきています。時代の流れと言えばそれまでですが、何とか「下駄の音の響く町づくり」を続けていきたいと思っています。

 そんな中で温泉街の小さな射的屋さんが数年前に店を畳みそのままになっていました。ご多分に漏れず後継者がいないためです。温泉街に射的場は、付き物です。それが無くなるというのは寂しい。いろいろな事情から一般の方には譲りたくないと言う所有者の理由から旅館組合で運営することになりました。宿泊者には組合から無料の遊技券をサービスで差し上げて遊んでいただく計画です。周辺の飲食店や土産物屋さんは大喜びです。「小さな事からコツコツと」誰かの選挙公約ではありますが、全国初の旅館組合直営「射的店」の誕生です。さてさて少しは、町の活性に繋がればいいのですが。これから組合の役員総出でお店の大掃除に「行って来ま〜す」。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2000年12月号
8.楽チン人生・あまえてごめんね

CIDPと言う病気をご存じだろうか。CIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)と呼ばれる神経麻痺の病気で宝くじに当たるより希な病気だそうである。あまりにも発病例が少なすぎて疫学的調査は、国内・海外とも未だ行われていない。1992年2月にこの病気に大当たり。ファンファーレのラッパの代わりに手足の麻痺が始まった。最初は左手の小指から動かなくなり両足膝下、両腕が部分的に麻痺してきた。こんなややこしい名の病気など思いもよらないのでてっきり筋ジスと思い込み絶望し心底落ち込んだ。神経内科の治療を受けとりあえず生命に危険がないことは判ったモノの精神的な打撃は消えず落ち込んだままだった。治療法も当時はないまま退院。ホテルに帰ったモノのそれまでのような仕事は出来ない。私も他の旅館のご主人のように結構、手八丁、口八丁だった。下足番から調理までまた少々の修理なら電気から大工仕事まで何でもやっていた。身体の麻痺は、それらのほとんどを不能にした。出来る事と言えば電話番とパソコンを使った経理ぐらい。趣味の自転車やスキーともおさらばした。無様な歩き様や食事の仕草が嫌で人との接触を断っていた。気晴らしで飲む酒が過ぎてアル中になり県の保険センターのお世話にもなった。我が人生のどん底だった。
 そんな私を立ち直らしたのが家内の美穂だった。とにかく人前に引っぱり出したのだ。当時曲がりなりにも全国の旅館青年部の役員だったがほとんど出席しないでいた。そんな嫌がる私を無理矢理引っぱり出し義務感から仕事をさせた。お陰で少しずつ人の目が気にならなくなった。パソコンの技術を持っていたことも幸いした。指先の麻痺は徐々に進行したが急激に進む技術進歩がそれを上回った。近年にはインターネットも登場し否応もなく他の仕事から開放された身には、それに専念できかえってありがたい事となった。雑用も人に任す度量も出来た。

 さてこうなって来ると中なか快適な人生だ。頭の回転はそれほど良い方ではないけれどこの身体のお陰でじっくり考える時間が有る。経営のこと、町づくりのこと、業界のこと、今まで見えなかった事が見えてくる。要は割り切りだ。元気な身体が無いならその分、少々心許ない頭だがこれを使って経営してみよう。自分に出来る事で社会に尽くしてみよう。大それた考えです。動き回れば多くの人に迷惑も掛けてます。でも私にはこれしか有りません。これからもみんなに甘えながら生きていきます。

 私の病気の原因ですが最近の研究によれば免疫不全が原因だそうです。神経細胞は風邪などのウィルスに形が似ているそうです。風邪に罹った際に免疫の抗体が異常を起こし自らの神経細胞を攻撃するようになった結果だそうです。今年はインフルエンザの蔓延が起りそうとの事です。まさしく風邪は万病のもとです。読者の皆さんも何かと厳しい時節ですがお体大事に頑張って下さい。くれぐれも私のような拾いものをしないように・・。 PS:全旅連では集客に役立ち業界の情報ツールとしても役立つ「全旅連専用携帯電話」の配布事業を行ってます。詳しくはHPか、各都道府県の組合事務所にお尋ね下さい。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2000年11月号
7.EZ「宿ネット」と全旅連専用携帯電話

全旅連のEz-web「宿ネット」事業が正式にスタートしました。au(セルラー)&ツーカーグループの携帯電話専用HP(ホームページ)の公式サイトとして全旅連「宿ネット」が掲載されます。この公式サイトというのは、凄い事で一般のHPの1000倍から2000倍以上のアクセス(閲覧)があるメニュー画面に最初から登録されると言うことです。利用者は、特別な操作を行わなくてもメニュー画面から・旅行→宿泊→EZ「宿ネット」と進み「観光」または「ビジネス」、そして「地域別」または「料金」などで選んで希望する宿に画面上から直接、電話で予約を行うと事が出来る仕組みです。情報は当面、詳細情報のある9000の宿を掲載し随時拡大して行きます。また現在、集めている名簿情報3万軒も電話帳として掲載予定。さらにこのHPに空室情報を出す事になりました。これは希望する宿に無料で全旅連専用の携帯電話を配りそれを利用して空室情報の更新を行うものです。年内に2000台を配布する予定で以後は有料。(基本料や通話料は有料です)この携帯電話は、通常の電話としての他、画面に全旅連専用の画面があり、ここで空室情報の更新を行い全旅連からのお知らせを閲覧する事が出来ると言う物です。今まで全旅連からの情報は、全旅連→県の旅館組合→支部組合→組合員と言う経路で流れ情報の伝達に時間が掛かりました。この専用携帯電話の普及は、画期的な情報ツールとして全旅連加入組合員に集客及び経営や組織活動に威力を発揮してくる物と思われます。今や組織の行動にもスピードが要求されます。先般の熱海の観光税新設の情報がインターネットのメーリングリストで一夜にして全国に知れ渡り全国的規模で反対運動に火がついたのは業界では有名な話です。この全旅連専用携帯電話が 2000〜3000台と増えればその情報網は、さらに強力な業界の武器となり組織力は強化されます。それから「ここだけの話ですが・・」この専用電話を持つ方には特典があります。EZ「宿ネット」のHP上でこの携帯電話を持ち空室情報を出す宿は、優先的に上位に紹介されます。利用者側の立場で有益な情報を上位に掲載すると言う意味からです。小さな画面で表示する携帯電話においてこの上位掲載は、告知に於いて絶対的に有利という事なのです。サアーみんな、今すぐ紙に「全旅連専用携帯電話を頂戴!」と書いて全旅連事務局に FAXしましよう。FAX:03-3263-4428(〒番号、住所、施設名、代表者名、担当者名を書くこと)また全旅連HP「宿ネット」上の「宿主専用ページ」からも申し込めます。 (http://www.yadonet.ne.jp)

※注意:EZ「宿ネット」の施設情報は、全旅連「宿ネット」の詳細情報と連動しています。したがってEZ「宿ネット」上で施設を紹介させるには事前に全旅連「宿ネット」に詳細情報を登録する必要があります。登録用紙は、各都道府県旅館組合に用意してあります。(登録も無料です)

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2000年10月号
6.携帯電話って凄いね

この8月の集計をしていて「アレッ!」と吃驚したことがあります。それは携帯電話用に作ったホームページ(HP)をご覧になってお越し下さったお客様が5組あったことです。人数にして12名様、数字としては大したことはないのですが、これが何の努力もせず、ただ「どんなものかな?」と言う気持ちから遊び程度で作り検索サーバーにも登録せず、ほったらかしにしていたモノをご覧下さって予約になったという点で吃驚した訳です。もともと私は、情報量を限定される携帯電話のHPを馬鹿にしていました。「言いたい放題、書きたい放題出来るのがインターネットの良いところ」場合によってはラジオ放送やTVも流せる。それに対して携帯でのインターネットなど1ページあたり5kbと言う情報量、これは文字数に換算すると約200字程度です。画像も基本的にモノクロでホントに小さな(マッチ箱の半分ぐらい)しか表示できません。「こんなモノ使えるか・・フン」てな気持ちでした。しかし限定された環境の中で確かにこれは素晴らしい情報ツールになることに気づきました。上司の命令で「それ行け」とばかりに何の準備もせず飛び出した出張先での宿さがし、急に決まった家族旅行、ドライブ中に今日の宿泊先を探すとき等々、これは確かに素晴らしい情報源になるのです。だいたい元々電話だからHPの「電話する」ボタンを押せばあらかじめ簡単な情報とは言え選んだ旅館やホテルに直ぐ電話が掛けられる。詳しいことは電話で聞けばいいのだ。「これは素晴らしい!」と気付いたわけです。それに携帯電話は、誰でももっている。パソコンを使ったインターネットの利用者は約2000万人と言われます。携帯電話の普及は5000万台。大学生の息子に「みんなどんな使い方をしてる?」と聞いてみると「退屈な授業中とか、みんな下を向いてポチポチやってる」と言う答え。確かに駅で電車が来るのを待ってるときなど若者がポチポチやってるのをよく見かける。「そろそろ本気でやってみよう!」とパソコンで携帯用のHPを作っては、高校生の娘にポチポチやらせて携帯に表示させ、親子の会話を楽しんでいる今日この頃です。

全旅連情報:携帯電話のインターネット方式には3種類あってNTTドコモの【i-mode】形式(普及率55%)とau(旧セルラー)&ツーカーの各グループの【EZ-WEB】形式(普及率30%)が主なようです。その各HPには携帯電話のメニューに最初から組み込まれている「IDページ」と各自が勝手に作成した「勝手ページ」と呼ばれるモノがあり、アクセスの状況がまったく異なります。「IDページ」になれば「勝手ページ」の1000倍以上のアクセスが発生します。全旅連のインターネット委員会では両方式に対しHP掲載を持ちかけていましたが、この度、auグループからお声が掛かり【EZ-WEB】方式での「IDページ」として宿泊情報の発信を行う事が決まりました。NTTドコモ及びJホーンには引き続き交渉中です。情報は「宿ネット」のモノを利用しますので全旅連加盟の皆さんでまだ情報登録されていない方は、お早めに登録して下さい。登録の用紙は、各県の組合事務局に用意してあります。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2000年9月号
5.インターネットにおける宿泊予約の一元多チャンネル化
トラ社「ROOMBANK」について

Web上での集客システムは、雨後の竹の子のようにいろんな切り口で新しいサイトが誕生しています。雑誌などへの掲載と同じ手法でチラシ的なホームページを作成掲載するものやバナーなど見出しから宿独自のオリジナルホームページにリンクさせる広告型なども多いです。しかし主流は、Web上で空室情報や宿泊プランを掲載しホームページ上で予約を受け付ける電子エージェント型でしょう。この場合、宿側は、空室情報の更新や宿泊プランの見直しなどの作業を頻繁に行う必要があります。私の宿の場合、広告型のホームページには載せていませんが予約サイトは、5つのサイトに登録をしています。1.湯原温泉のインターネット委員会が運営する「カランコロン大通り」、2.全旅連「宿ネット」、3.潟gランスネットの「やど上手」、4.日立造船の「旅の窓口」5.オリジナルホームページの5つです。このうち「カランコロン大通り」「宿ネット」「やど上手」の3つは、実は全て潟gランスネットの「やど上手」の情報リンクで処理していますので1回の作業で同時に情報更新できますが、他の2つは、また別の方法でそれぞれに更新作業を行う必要があります。合計3つの予約サイトに向けて一連の作業を行っているのですがこれが非常に煩わしいのです。現在、予約全体の7割がインターネット経由だけにこの作業をおろそかにすることは絶対に出来ません。恥ずかしい話ですが一つのサイトの更新を忘れダブルブッキングを3度ほど経験しました。いずれも直前の予約で満室状態の時にお客様がお越しになられ友人の宿の助けで事なきを得ましたがバケツ一杯の冷や汗を流しました。このいちいち各予約サイト毎に行う作業を軽減できるシステムが出来ないモノだろうかと2年前から考えていました。これが出来れば宿の情報の信頼性も高まり、よりお客様のWeb予約も本格化すると確信し当時から全旅連の「宿ネット」で協力関係にあったトランスネット社に相談していました。昨年本誌でも紹介された「湯原温泉観光LIPシステム」が最初の試みです。これは単に町内の宿の空室情報を共有し観光案内所や旅館組合、観光協会などの窓口案内とインターネットで集客するという単純なシステムだったのですが、今回トランスネット社は、このアイデアを拡大し宿の空室を商品の在庫に見立てた「共通在庫システム」を事業化12月の立ち上げを目指しています。名前は「ROOMBANK」、各宿は、宿の詳細情報、宿泊プランをこの「ROOMBANK」一カ所に登録し、その後、日々の空室情報を更新すればその情報を他の宿紹介の予約サイト及び従来のエージェントにリアルタイムで転送し共有するというシステムです。成功の鍵は、宿と予約サイトの参加数に掛かっています。全国3万軒の加盟する全旅連がこのトランスネット社と業務提携しており協力関係にあることから宿の参加については、比較的スムーズに行くと思います。また先に書いたような宿側の理由は、きっとそれらのサイトを運営される皆さんにも理解していただけると思います。そうなればこの「ROOMBANK」の成功の可能性は、高いと言えます。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2000年8月号
4.【インターネットが危ない・・大手エージェントの反撃!】

私は、今、インターネットの先行きに危機感を持っています。 今年に入り第2次ITブームと言うか、本格的IT時代の幕開けというか・・次々と新規の宿泊業界を取り巻くITビジネスが立ち上がっています。その多くは、IT初期の広告媒体としての事業であったり、町の旅行業者のIT版という程度で一過的なものですが、(同業者が食い物にされているのは不愉快極まりなし)YAHOO見られるようなインターネットの「要:かなめ」とも言うべき検索サイトが大手旅行エージェントと組み既存の在庫(客室)を生かして従来の手法そのままに商売するというのは、どうにも合点がいかないと言うか許せないのです。大手エージェントがYAHOOにバナー広告を出すというのなら問題ないでしょうが、YAHOO利用者がIT検索をしていて無意識のうちに(YAHOOは意識的に)特定のエージェントのサイトに誘導するのは、情報を扱う商売だけに違法では?とさえ思えるのです。まるでH系のホームページのごとくイヤらしい。インターネットは大きな公の海、検索サイトは、その水先案内人です。その案内人が有る意図を持って情報を操作する。これは利用者への裏切りでありYAHOOの精神的自殺行為です。

インターネット商取引の流れは、この1年で大きく変化しています。当初ITは、「メーカー」→直「消費者」と思われていました。しかしIT市場もその「利便性」と「安全性」「確実」等の点において消費者から信頼を得た「楽天」に代表されるITデパートサイトに集中しつつあります。一方、我々宿泊業界は、これまでITに寄せる意識の低さからIT市場を甘く見すぎ、あまりにもいい加減な対応に終始してきました。端的な例が日本観光旅館連盟の「やど日本」というITサイトです。大手エージェントへの恐れから腰の引けた業界を一気にITの海に乗り出させるきっかけ(赤信号をみんなで渡る)にはなったモノの盆暮れの繁盛期に空室情報も在庫も無しにホームページからいきなり【予約】は、乱暴すぎます。消費者は、2軒もお断りの電話が帰ってくれば嫌になります。これは旅館やホテルの予約サイト全体の信用を落としています。早急にサイトを閉じるか、正確な空室情報を発信している宿だけに【予約】ボタンを付けるべきです。また宿の中にも無責任なモノが目立ちます。せっかく各予約サイトでは、簡単な手順で情報更新できるシステムを用意しているのですから正確な情報を発信しましょう。このままではITを本当に活用して自立した経営を目指す多くの宿仲間の若い芽が不心得な同じ宿の仲間により潰されてしまうことになります。我々が消費者に対して欠けていた「利便:サイトの集中」「安全:正しい情報」「確実:確実な予約」をまず自らホームページを運営する宿から実現させようと言う動きが始まっています。危機感から団結しようとしています。宿仲間がそれぞれのテーマで宿の仲間のHPを掲載するページを作成し、さらにそれらを集中させるサイトを作り、各宿は、自分のHPにそこにリンクさせるボタンを取り付ける。今まで草の根でやっていたサイトを集中させ消費者への利便性を高めると同時に横軸での連携からアクセスを増やす。元よりITに熱心な自ら情報発信している宿が集まりますから予約の信頼性も高いと信じます。全国の「ホームページを運営している宿」の皆さん団結しましょう。このままではIT世界でも屈辱を受けることになります。まずその手始めに以下のアドレスの「ホームページを運営している宿」に登録して下さい。折り返し私からのメッセージをお送りします。http://www.net626.co.jp/

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2000年7月号
3:宿仲間メーリングリスト「もう一つのインターネット」

かつて旅館の経営者は、閉ざされた情報の中で営業してきました。温泉街など集中して存在する地域でもそれぞれは商売敵であり経営のノウハウは、おいそれとは教えてくれません。組合や観光協会などでの共同宣伝は、行うものの一歩玄関を入った宿の中の事は隣の旅館に対しても鉄のカーテンを引き秘密でした。ところが面白いもので地域を離れた旅館同志となると以外に何でも話せるものです。また規模や形態が異なれば、これも鉄のカーテンが開かれたりするのです。昔から旅館のご主人が広域での会合に好んでお出かけになるのは、以外にその様な機会にいろいろな経営のノウハウの情報を得ようとされたのが要因かも知れません。今から12年前、私が全旅連の青年部役員で出向していた時にパソコン通信(インターネットではない)を利用した旅館のネットワークが作られました。名称は「RUN=旅館ユースフルネットワーク」、PC−VANと言うNECの主催するパソコンと電話線を利用した文字情報しか利用できない限られた世界での通信方法ですが当時としては画期的な情報システムでした。全旅連青年部ではこれを活用して「宿の悩み事相談」や「金融対策」「仕入れ価格」など経営のノウハウが教え合われていたのです。キャッチフレーズは「隣の宿には聞けない話しも全国の仲間となら話し合える」と言う意味のことを話して仲間を勧誘していたと記憶しています。悲しいかな、この情報ネットワークは、先駆過ぎて参加者(発言者)が少なく2年で廃止されました。開き掛けた鉄のカーテンは、再び閉じたのです。時は過ぎて1996年7月、あの旅館業法の改正や特消税撤廃で活躍された嬉野の小原健史さんの呼びかけで全旅連にインターネット実施委員会が作られました。ここではあらゆるインターネットの可能性を試みたのですがホームページの開設以外に「ml=メーリングリスト」と言うE-MAILを活用した情報ネットワークが構築されたのです。これは、加入するメンバーの誰れかが発言するとそれが全員に伝わるシステムで文字以外にもweb-TV放送や綺麗な画像も送れます。RUNから10年ついに鉄のカーテンは開かれました。開設から1年たった6月現在の加入メンバーは、約1200名しかも毎日5〜10名と申込みがあり増えています。今ではあまりの情報の多さに情報の交通整理が必要になりテーマ別に【全体】【ペンション】【温泉宿】【都市ホテル】【省エネ】【仕入れ】【集客】【金融】【外人受入】【B&B】【営繕】【経営】等々に分類を設定しているほどです。一日のメール数が300件を越えたこともありました。全旅連からの情報や全国の出来事が瞬時に伝わります。先般もある有名温泉で特消税に変わり「観光振興税」が地方自治体により新設されると言う情報が流れましたが、一夜にして反対運動の体制が整いその自治体に対し猛烈なFAXや電話などの陳情が行われ数日で廃案になったのは、我々の世界では有名な話です。宿泊業界も今、大きく変わろうとしていますがその原動力にこの「宿仲間ml」は、なっています。

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2000年6月号
2:インターネット旅行エージェントの手数料考察

インターネットの浸透は、あらゆる分野の流通に変化をあたえており「メーカー→消費者」と言う図式は、観光産業に置いても例外ではなく旅行の個人主義化(団体離れ)と相まって加速度的に進んで行くと思われました。しかし我々宿泊業界の取り組みは、既存の旅行エージェントへの遠慮からか先駆的な一部の宿を除いて全体としてホームページの立ち上げや積極的な集客手段としての活用に立ち後れた感が拭えません。「波には乗り遅れたくない」と言う気持ちから結果的に多数の宿は、無料でインターネットに情報を掲載して予約まで取ってくれる手軽なバーチャル旅行エージェント(例えば:「やど上手」や「旅の窓口」等のホームページ)に依存することになっているのではないでしょうか。多くのITエージェントは、現在、送客?手数料を5%から8%に設定し旅館もホテルも同じ手法で宿に負荷しています。本来、情報の掲載料とそのメンテナンス、そして通信費でこの手数料は決定されるべきモノと私は思っています。この考え方は、宿泊情報誌「例えば:じゃらん」等への情報掲載料(少々高すぎると私は思いますが・・)と同じという解釈です。確かに雑誌などに比べるとリアルタイムでの空室情報の発信やお客様からの予約をfax送信するなどインターネットの機能を利用して一見バーチャルな旅行業者の窓口を思わせる手法ですが実際には、それは単にコンピューターのシステム(トラフィック)が動いているだけです。結果的に発生する予約も1名のビジネスホテル利用\5000の時も100名で温泉旅館\20000の利用の時もまったく同じトラフィックで動かしているのに手数料が異なるというのは変でしょう。その費用は、手数料という考え方でなく掲載料+メンテナンス料+通信費と考えるのが正しい。それも成功報酬の形で予約1件につき\100とかで頑張ってもらいたい。現在は、まだ導入期と言うことで恐らくどこのITエージェントもペイラインには乗ってないでしょう。また多くがホテルと旅館の扱いを同じシステムで行っており運用費の回収を料率で行わなければ低価格でのビジネス利用の場合など一律\1000とかの高額の負担ではビジネスホテルなど掲載してくれないと言う事情も理解できます。しかし今後、加速度的に増大するであろうインターネットでの宿予約のプラットホームであるIT旅行エージェントが、いつまでも過去のリアル旅行エージェントの真似事をするというのは、絶対に許せません。将来にむけて是非、お考えいただきたいモノです。また私たち宿もこのインターネットの世界は、現市場構造の二の舞にはならないように頑張りましょう。あくまでも主導は「やど」でなければいけません。インターネットの活用は、客室を自らの手に取り戻す最後のチャンスなのですから。 

月刊ホテル旅館(柴田書店):原稿:古林伸美
                 2000年5月号
1:警告・ホームページは自らの手で・・

「2000年に入りホントにフィーバーしちゃいましたね。」私と同じくインターネットでの集客に努力している仲間との会話です。改めて分析して見ると昨年の秋以降、前年に比べて5%〜20%もネットでの予約が増えている。それも加速度を増している。嬉しい限りなのだが、チョット不思議な気もした。それはインターネット人口も2000万人と凄い勢いで増えているがその分、全国の宿のホームページも当然増えており、宿のHPの少ない時ならともかく逆に私の所など早くからHPを開設しているところでは、有る程度、減少してくるのではないかと思っていたからだ。そこで久しぶりに検索サーバーで全国の宿が現在どのくらいHPを立ち上げているのか調べてみた。yahooを使ってカウントしてみると以外にも旅館、ホテル、ペンション、民宿を合わせても4000余りしか検索できない。重複部分や団体、業者のHPを差し引くと3000余りと推測できる。この数字は、昨年と大差ない状態。昨年の同時期に比べ倍近くの伸びを示すインターネット人口の中で、どう考えてもおかしい。そこで推理し原因の幾つかを思いついた。1.今だエージェントの神通力を信じ遠慮あるいは恐れている。2.トップに高齢者が多く理解がない。3.組合あるいは、電子エージェントのHPに掲載されたことで自社のHPがあると勘違いしている。4.充分な集客が独自に出来ていてHPの必要性を感じていない。以上の4つだ。

しかしまだ納得出来ない。1.に該当する宿は、全国で4000軒程度だろう。全国に7万軒あると言う宿泊施設からしてみると微々たるモノだ。2に該当する宿は、かなりあるだろうが若旦那も居ることだろうから今や大した費用もいらないHPの作成に主の決済も必要ないだろう。よってこれが原因というのも違うようだ。3は、可能性が高いぞ。特に電子エージェントの台頭は、それ自らが送客による手数料が目的であり掲載される情報も画一的とは言え画像データも多くそれなりの実績も上げておりこれで良しと思ってしまうかも。4は大変羨ましい話だ。今時こんな宿が有るのだろうかと思うかも知れないがこれが結構多い。事実、私の温泉郷の中でも31軒中8軒は、こんな感じの宿。いずれも収容20名以下の小さな宿。と言うことで3と4が最大の要因と言う結論に至った。でも4はともかく3の要因で勘違いしている宿は、手間は要らないだろうがインターネットの恩恵も受けられない。情報は、自らの手によって発信されてこそ意味を持つ事に気付いて欲しい。


<ここから下は、1997年頃、業界紙に書いた記事です。>
見 出 し
1.脱!金太郎飴(1997/04)
2.本音で語ろうHP・・!(1997/05)
3.ホームページ造りは泥沼?(1997/06)
4.補助金禍(1997/08)
5.宿六女将のフロント会計(1997/09)
6.検索サーバーの恐ろしさ(1997/10)
7."96 夏の状況(1998/11)
8.HP作成に危険はつきもの?(1998/01)
9.HPデーターの一本化(1998/02)
10.日観連HPの危険性(1998/03)
11.宿願成就(1998/04)
12.OCNエコの有効利用(1998/5)
14.よっスグレ物!(1998/07)
15.人に優しいパソコン!(1998/08)
16.地域情報共同発信!(1998/09)
17. 夏商戦異常有り(1998/10)
18. 「宿ネット」繁盛記(1998/11)
19. 宿のネットワーク(1998/12)
20. 可愛いパソコン!(1999/01)
21. ドック・イヤー(1999/02)
22.メールニュースを活用(1999/03)
23.1998年インタ予約の分析(1999/04)
24.魔法使いの時代は終わった(1999/05)

その1:脱!金太郎飴

パソコンブームの中でwindows95の到来から1年とちょっと・・そのおまけ(?)で付いてきたインターネットのうねりがここまで世の中を揺るがすとは当初、誰が考えたでしょう?目敏くビジネスにしようと誰もが考え、その多くが挫折していった中で欲を捨てて事業を進めたところは最近そこそこビジネスのチャンスを掴みかけているようです。観光関連もその例外ではないようです。昨年の夏頃は、毎日のように来ていたホームページの作成などの怪しげなDMもこの頃はめっきり少なくなりました。その意味において全旅連が行ったわずか2000円でホームページ?を作成するという「旅空間」は、詐欺みたいなホームページ業者から無知な宿屋を守った功績は大きかったと思います。一月に2万から5万円もふっかけた業者も今はなりを潜めました。しかもトランスネットの「宿上手」のように無料でホームページを作成しているところまで現れては、もう悪徳業者もお手上げでしょう。でも「旅空間」にしても「宿上手」にしてもそこに載っている宿のページは単なる情報でしか無くとてもホームページと呼べるものじゃないですね。所詮、データーでしかない。もともと宿のパンフレットは客室一つとっても画像で出せば何処の宿もみな一緒なんですから。専門の業者さんで作れば手慣れている分だけ金太郎飴みたいな感じになってします。これからは個性化が必要でしょう。電子版パンフレットじゃなくて宿の月刊誌や季刊誌にすれば面白そう。

その2:本音で語ろうHP・・!

宿のホームページを語るときに「所詮、宿の規模しだいでホームページも決まりですよね!」と言われる方がいますが、果たしてそれはどうでしょうか?検索サーバーで探してみると最近はずいぶん宿独自で作成したホームページが増えてきました。業者に依頼して作成させたもの宿の主人が頑張って夜なべして?つくったもの等々。いろいろ見てみると小さな宿屋やペンションのホームページの方が元気が良いし、だいいち面白い。面白ければ見てくれるしそれが 頻繁に更新されていればリピーターも増えその結果として「あの宿は面白そうだから行ってみよう」と言うことになりそうです。大規模の宿のホームページは、格式なんかにこだわってしまい、どうしても画一的な面白くないホームページになっていることが多いです。その中で何とかアクセス数を稼ごうとプレゼント企画で客?を釣る。それはそれで確かに宿のホームページを見させるための手法ではあるけれども集客にはとても結びつかないようです。どうしても人任せで作成してしまうものだから本音の部分が出てこない。これからはインターネットの世界でのエンターテーメントとしての宿六や女将が登場する必要がありそうです。凝ったショックウェーブやJAVAといった手法より内容が面白くないといけませんね。しかしよく言ったものです。「インターネットの世界は10日が1年のごとく移り変わる」私自身、この一年間が信じられないスピードで過ぎ去っていきました。

その3・・HP(ホームページ)造りは泥沼?

インターネットでの情報発信には、その情報量に事実上制限が無いと言うことで、私なんかもつい、ダラダラと「載せとけば見てくれるだろう。」と自分の宿のホームページを粗製乱造してしまうのですが、考えてみれば見る方のお客さん?には迷惑な話で知りたくもない情報のために接続料(通話料金)を払わせているのです。サーフィンして頂いている間に退屈しないようにそれぞれのページに面白い?小話を挿入してみたりいろいろ小細工はしているのですがそれがホームページを益々、迷路にする事になってしまいました。宿泊予約の料金掲載のシステムにしても同じであまりに細かく分けていたモノでお客様から「こんな場合は、どうなるの?」なんて問い合わせのメールが多く、そのメールへのご返事に深夜までパソコンに縛り付けられる事が多かったのです。先々月から「これではいけない」と予約システムのページに少し手を加え宿泊プランを具体的に見ていただけるよう工夫してみました。「この料理、このお部屋、このサービスで¥16千円です。」 と いう具合です。これは、あまりに当たり前のことに私が気付かなかったのですが、どうもこのような一人よがりのページに陥りやすい面が情報量に制限が無いと言うことで成りやすいです。最初は、ねじり鉢巻き脂汗を出しながら、馴れると面白く「夜這い虫」、次には、担当に締め切りを迫られる物書きの気分、さてその次は・・・?ホームページの作成は、いったん始めると泥沼のようです?

その4・・補助金禍

最近、某旅館組合が予約システムを搭載したHP(ホームページ)を作成し地域情報の発信を開始したと地方新聞等で賑々しく報道されました。地域情報に10軒少々の旅館の紹介とそれに予約のシステムが搭載されて制作費はあっと驚く1000万円に近いお値段。これはきっと素晴らしいHPに違いないと早速アクセスしてみたところ、ごくごく普通のHP(ページ数50位?)にこれまたありふれた手法の予約システムが搭載されたモノ。 「また、やられたか!」と言った感じです。しかもその予約システムの運営費としてさらに月々1万円が旅館には負担させられる。(立派なHPですので是非ご覧下さい。編集部にお問い合わせ下さればURLをお教えします。)「ホームページを作るのなら今がチャンス!今なら県や町から補助金がたんまり出るよ。」と誘われ「他地区の組合に遅れて成るものか」と言う変な焦りから手を出したようです。事実、旅館側の負担は2割程度ですんだようですが、月額1万円+パソコン購入費で初年度合計6?万円+翌年から12万円が結果的に負担となります。HPの制作費としては信じられない価格です。しかも独自の開発に費用が掛かったという予約システムは、現在、全旅連で安く(月2千円程度)高機能なモノを開発中(9月公開予定)で、すでに公表しており一言相談があればこんな事には成らなかったはず。この事例など自治体の補助金政策の被害者としか思えませんね。

その5・・【極秘情報】宿六女将のフロント会計システム

左手にフライパン、右手に電話機を持ち頑張っている全国の宿のご主人達がいる。そして仲居さんと一緒になって走り回っている女将さん達も沢山いますよね。実際に全国の宿の大半は、このような小規模の宿でご主人が包丁を持ち女将さんがそれを運びながら頑張っているところが数の上では圧倒的に多いのです。しかも一仕事すんだ夜の一時、まだ帳面付けが残っている。小規模の宿だからと言って経理やフロント会計の処理は、大きなホテ ルとそんなに違うものではないのです。大変なんです。しかも事務処理を軽減化するパソコンの導入は、小規模の宿には相対的に高価で思った以上に進んでない。全旅連でインターネット活用の推進を進めようとした時、この経理の合理化も同時にやらなければと思いました。そんな訳で全旅連で9月から始まる旅館ホテル用品の通販事業の目玉商品にWindows95とマック対応のパソコンソフト「お手軽!簡単フロント会計システム」を加え ることになりました。スペックは、5部屋の小旅館から100室の中旅館までの旅館ホテルに対応、パソコン本体は、その辺の通販でも買えるごく普通のもので稼働し、プリンターも購入して、さらにインターネットも始める為にプロバイダーに契約してパソコンまで含めた全費用が5年リースで月1万円以内で収まるというお手軽さ。しかし内容は、旅館自らの手による開発(トランスネットと共同開発)だけにチェックインから請求業務、日報、月報、顧客管理までと100万円を越える現在販売されている会計ソフトと比べても同等か、拡張性の考慮という意味から考えると数段上のスペック! これ9月発売に向けてただ今、最後の調整中!今、買い換えやこれから始めようと言う方は、これを見てから決めた方が絶対良いですよ・・(^_^)/

その6・・・検索サーバーの恐ろしさ?

インターネット上のホームページをキーワードで探すサービスの凄さと恐ろしさに身が震えました・・お〜こわ(怖い)。最近メキメキと売り出し中の検索サーバー「goo」を使い、まず「古林伸美」で検索してみたところ15件のホームページが見つかりました。続いて「プチホテルゆばらリゾート」で187件が見つかりホームページのどこかに以上の言葉が記載されていれば、かなりの精度で見つけてきます。試しに少々名の知れた友人の名前をキーワードに検索してみると見つかる見つかる・・凄いです!何気なく書いた(投稿した)電子掲示板のホームページの記事まで見つけてきます。これって下手にアダルトのページ何かに投稿してたら赤面モンですね!温泉地名をキーワードに検索すると「山代温泉」=556件、「別府温泉」=272件、「嬉野温泉」=337件、ちなみに我が「湯原温泉」で検索すると430件でした。ホームページの詳細は、公的なモノもあれば個人の旅行記までありましたが、何れもなかなか興味深い内容のモノばかりです。お遊びで試みたのですが、これって情報発信のバロメーターになりそうですね。雑誌へのPR記事や名刺に自社のホームページのURLhttp://www.meshnet.or.jp/こんな長々としたもの)を書きますが、これは今後は必要なさそうです。「ホームページあるから見てね!」とだけ記載しておけば興味があればこのような検索サーバーに名前や宿名を入力して容易に見つけてくれます。お〜こわ!

その7・・・"96 夏の状況

やっと戦いの夏が終わりました。温泉地にあって小規模のホテル形式の宿では、秋の団体需要はあまり見込めません。8月が一番の繁盛期になります。インターネットによる予約は、特に好調で8月は、組数の50%以上を記録しました。おかげで同期としては新記録です。導入当初は、お客様も私もある種の特別な感じを持っていましたがこれぐらいになると当然の事のようになります。チェックインしたお客様が全組「インターネットで予約・・」と言うことも少なくありません。レストランでお客様とお話ししていると他のお客様も話しに加わり賑やかなインターネット論議に発展していくこともあります。中には、プロの方もいて新しい技術のお教え下さり大いに助かっています。何分にもDOSはともかくwindows95は、いまだに見よう見まねでろくすっぽ本を開いたこともないのですから・・ははっは。こんな私でもホームページは出来るし商売に充分活用しているのですから世の賢明な宿六さん達が本気になれば素晴らしい宿のホームページが出来ると思うのですがそれがなかなか進まないのは、やはりエージェントさんへの遠慮なのでしょうか?エージェントさんだけしか見られないホームページを作成しリアルタイムで空室情報や企画商品の案内をするなどの活用も双方に意識があれば容易に実現できると思うのです。「宿→インターネット→お客様」でなく「宿→インターネット→エージェント→お客様」と言う図式も積極的に考えられる。これは中小のエージェントさんには、大変な武器になると思いますよ。「賢い宿の予約方法」を掲載しているこの私が発言することではないかも知れませんが・・。

その8・・・ホームページ作成に危険はつきもの?

私のホームページの人気サイトの一つに「今日の露天風呂、入浴風景」というのがあります。なかなか毎日というわけにはいかないのですが、湯原温泉の名所の露天風呂をデジタルカメラで撮りアップしています。皆さんの期待は、もちろん美女の入浴風景。しかしそんなもの滅多に取れるものではありません。電子メールでお叱り受けております。勢い決死的な撮影になるのです。普通の一眼レフならば、300ミリとか500ミリとかのレンズで遠方からの撮影も可能ですが、使用するカメラは、安物の単焦点の電子カメラです、ひたすら接近戦で迫るしかありません。目的は、あくまでものんびりとご入浴を楽しまれている皆さんのお姿をインターネットを通じて皆さんにお伝えすることによって少しの間でも浮き世離れした気持ちにしたって頂こうと言う事なので、決して盗み撮りでは行けません。全てご了解いただいた上で撮影しております。と言うわけで・・頼りは口だけです。何気ないフリをしながら適当に話しかけ警戒心を解きながら被写体に接近します。そして簡単に趣旨を説明し撮影するわけですので、ヒット率は、極端に低いワケです。だいたいがカメラをもって接近するだけで、警戒されシャッターを構えると猛烈なお叱りを受けることになります。お察し下さい・・!決して下心は、ないんですが?被写体との距離は、1.5メートル位です。今にきっと顔にアザが出来ることでしょう。絶対に・・あ〜怖い!

その9・・ホームページのデーターの一本化

インターネットに早くから取り組んだ宿泊施設は、今ある種の混乱期に差し掛かりました。勿論、自社で自主作成し直接運営してきた宿は、まず問題ないのですが、ホームページを旅行誌などの広告と同じ感覚で考え古いデーターを出しっぱなしで運営している宿の場合です。複数のホームページを持つ事によりそのメンテナンスがおざなりになっているのです。政府登録旅館など全旅連・国観連・日観連のそれぞれにホームページを持ちその上、各種の野心的な宿や旅行関連のホームページを運営しているベンチャー企業のホームページにまで宿の情報を掲載し尚かつ、地域の組合などにも同じく情報を掲載しているというひどい場合もあります。立ち上げの時間差からそれぞれバラバラの料金を掲載している場合など容易に想像できます。お客様は、検索サーバーで宿を探すわけで仮に全文検索を宿の名前で行った場合など一つの宿のホームページが多数見付かりそれぞれバラバラの情報が掲載されていたとしたら混乱します。それはインターネットによる情報の信頼性を落とす事でしかなくなんとしても避けたい状態です。しかし現実には、メンテナンスをおざなりにしている業者や対応の悪い業者も多く見かけられます。これは大きな団体のホームページを運営している業者にも言える事です。 私の加盟する全国組織の団体の「旅○間」というホームページなど宿の名前の間違いといった根本的な情報の更新さえ申し入れてから一ヶ月以上かかった等という馬鹿げた事さえありました。ベンチャー企業であるため自社では、ホームページのメンテナンスすら出来ない状態だったのです。皆さんくれぐれもご注意を!

その10・・日観連の予約システムの危険性

 (または・・・猫に小判的予約システムは危険) 私は今、心配しています。全国組織のある中核旅館団体に置いて(仮に「日観連」とします)全会員の宿でインターネットによる予約を開始すると言うことですが、それによる混乱が成熟してきたインターネットによる予約の信頼性を落とす事になるのではないか言うことです。現状においてインターネットによる予約を行っている宿は、一生懸命研究し非常に慎重にそのシステムを運営しています。その実績は次第に上がっており、当初予想されたよりずいぶんと早くメジャーな集客のためのシステムになって来ています。ところが日観連に置いては、その組織の存続の為か、本来なら充分にインターネットの特性を理解した上で行って欲しいこの予約システムを猫も杓子も?・・全ての会員に与えてしまおうと言うのです。日観連においてはファックスによる予約申し込みのシステムを採用したようですが、ハッキリ言って現状に置ける宿のOAに対する知識は、格差が激しくパソコンはおろかファックスでさえ充分扱えるかどうか怪しい宿も多数あります。ファックスのための専用の電話線がない、その為、電話と切り替えて使用しているが扱えるのは、そこの若旦那ただ一人でその若旦那が青年部の寄り合いで出かけようモノならファックスの送信にひたすら「もしもし・もしもし」と答え続ける年老いた女将さんか?はたまたその電話すら満足に受け答え出来ない客室係さんしかいない。こういう末端の状態が目に見えるのです。予約を申し込む消費者には、そのシステムの性質上、他の一生懸命頑張って万一の不手際をなくそうと努力している宿の予約システムも日観連の予約システムも見分けは付かないのです。せめて充分に理解できる希望者だけへの予約システムの取り付けにならないモノなのでしょうか?ご検討を・・日観連様!

その11・・宿願成就(風が吹いて桶屋が儲かる話?)

全旅連が行っているプラットホーム事業がいよいよ稼働しました。(詳しくは本誌○○号または月刊ホテル旅館10月号をお読み下さい)「宿願成就」は、その事業の核と言うべき業界のカタログ本の名前です。ご存じのように全旅連3万軒の会員の殆どは小規模な宿です。小規模ゆえに大きなロットでの仕入れが出来ずコスト高に喘いでいます。その会員達と今まで商社に押さえられ販路に苦慮していた宿用品の供給業者を結びつけようと言うプラットホーム事業、これを評して三方一両得。全旅連は、大きな組織です。しかしその大きさ故に会員の声が聞こえにくくまた組織の意志も伝わりにくい体質でした。「宿願成就」は、確実に会員に届く通信手段でもあります。しかもそれは会員にとって有益な情報が満載され常に身近に置いてくれるものです。それは次のステップの為の布石でもあります。全旅連の事業委員会は、もとはそしてインターネット実施委員会の部会として発生しその根本理念にインターネットの普及を考えています。たとえば事業委員会で販売する自主開発フロント会計ソフト「支配人君」(\45,000)にしても会員にパソコンを購入してもらいインターネット環境を整えることが狙いです。その環境が整えばホームページやE−MAILを活用して低コストで会員に情報を流すことが可能です。そうなれば会員や全国1500の単位組合との連携の取れた活動も行え組織力も強化されます。しいては宿泊業界の地位も向上します。勿論この事業そのものが特消税廃止後の全旅連や県及び単位組合の資金的な助けになることは言うまでもありません。

その12・・OCNエコノミーの有効利用・・その1

◎ 11月ついにNTTのインターネット常時接続サービス、ONCエコノミーのサービ スエリアに我が町、湯原町が入りました。県内では県庁所在地の岡山市、そして倉敷 市に続くものでNTT格別の配慮です。(役場や教育委員会などに導入を進言すると いう約束で・・)他に人口が格段に多い市や町等の地区をさしおいてのサービス開始 という粋な計らいに素直に喜んでいる今日この頃です。さっそく申し込みホテル内の 全パソコンをルーターで接続しお客様や従業員はては近所の旅館の若旦那まで無料で インターネットを楽しんでもらっています。この環境は、今までのダイヤルアップと は比べものにならないぐらい快適です。別世界と言えます。過疎の町にこそこの環境 は急がれます。身近に図書館もない専門書を置く大きな書店もない町でインターネッ トは、それに変わる重要な情報源です。しかし今まではそれすら1分30円掛かり都 市に比べて3倍の通信コストを支払って手に入れなければならない環境でした。私の 場合は、ホームページのメンテナンスのため特別長時間利用していたこともあり月5 万円〜8万円も電話代が掛かっていましたがこのOCNエコノミーの導入で月3万8 千円の固定料金で24時間ストレスなしで世界とつながる快適な環境が手に入ったの です。インターネット上のE−MAILも常時受信できリアルタイムで返信できます 。勿論、予約のメールもです。NTTさんありがとうございます。次回は、この環境 を利用した旅館の積極的な営業手法について提案します。

その14・・よっ、スグレ物!

全旅連のホームページ「宿ネット!」の中にある「新鮮!ピチピチ!宿情報」 ここを覗いていただくと話が早いのですが、私の全旅連青年部仲間の小井戸君のホームページはなかなかどうして やってくれるページです。ファミリー有、ビジネス有、ゴルフ有とバラエティ豊かですが、白眉はお色気のページ。小井戸君本人は虫も殺さぬようなかわいい顔をしてますが、このページははるばる福島県まででも行ってみたいとその気にさせるスグレ物!いやらしいんだけれどカラッとした軽いノリで目を釘付けにしてくれます。 こういう肩に力の入らないような作り方は大いに参考になりますよ。 料金設定を細かく表示しているところも目を引きます。お客様はチェックが厳しいものですからこういうところは特によく見ていますし、一番気になるところでしょう。 見出しに「プチホテル古林様もびっくり!」と書いてあったのは吃驚しましたが、中身を見てあらためてびっくりでした。同じ湯原温泉のさる旅館の悪友「宿六」と「今度一緒に行ってみよう。」と声を潜めながら奸計をめぐらせております。  さて、話は変わりますが「全旅連」の事業委員会が共同購買事業準備のための通信販売カタログ「宿願成就」を発行いたしました。もうぼつぼつ皆さんのお手元に届いている頃だと思いますが「中小旅館の経営を助けるような安くて良い品物を流通させたい」という考えからスタートしたもので、まだアイデア商品が半分以上ですけど、それ以上に旅館に必要な備品、厨房機器、食品などを今後ますます品揃えを充実させていきたいと考えています。なかなかいい商品がありますのでご活用を考えていただければ幸いですし、同業者の互助のためですのでご意見なども積極的に言っていただければよりよいものになっていくと思います。  今後は情報も物流も急速にネットワークの時代になっていくといくと思われます。みなさんもどんどん積極的に意見や情報を発信して商売に役立てていかれることを是非考えて見て下さい。

その15・・人に優しいパソコン!

インターネットとTVをドッキングさせた「テレビ」がある。パソコン嫌いな人でもテレビを見ながらインターネットが楽しめるという物だか、一時は、これが家庭のお茶の間を埋め付くのではないのだろうかと本気で思った。ところがなかなかそうならない。いろいろ理由が在るのだろう。パソコンはこの上なく多種の仕事をこなすものでありインターネットは、これからの重要な情報の入手や発信の手段では在ってもそれが統べてではないからだ。パソコンが10万そこらで買える今、窮屈な思いをしてインターネットとテレビをひっつける必要はあまりない。むしろこれからのパソコン(インターネット)に望まれる一つの方向として「シルバー世代向けパソコン」と言うのを本気で考えた方がいい。機能は、通信と入力方法(インターフェース)の簡略化に力を入れて欲しい。何故、私が突然こんな事を言い出したかというと6年前から「慢性多発性根神経炎」と言うややこしい病気に犯されており両手足にかなりの麻痺があり近年は、自由に使いこなしてきたパソコンのキーボードに触るのがおっくうな事が出てきた。ブラインドタッチ等という高尚なテクニックはもとより無いがそれでも人様に比べると早いほうだと自負していたが最近は、入力ミスが極端に多くなってきたのだ。私は、現在45歳だが、この病気のおかげで運動機能はシルバースターの方々の気分を実感できる。音声入力システム(こっちの方が早いか)とまで言わないでも今の倍程度の大型キーボードが在っても良い。現在の技術力からするとすぐに登場するだろうが、私のように過疎地の町に住んでいるとより急がれる気がする。

その16・・地域情報を共同で発信!

今、インターネット人口は、1000万人と言われます。(ホントかな?)ホームページの数も日々爆破的に増え続けている中で宿として多くの方に見て頂き集客に結びつくホームページを維持していくには努力が必要です。ホームページは、情報量に制限が無いに等しい広告媒体ですからその宿の特徴が現れるオリジナルの形で十分な情報発信が行えれば最高ですが、お客様に分かり易い形で宿の基本情報をきっちりと押さえたパンフレットのようなものでもそれはそれで良いのです。お客様は、情報が必要となった時に検索サーバーや「たび上手」など宿紹介のサイトから見つけて見ていただけます。しかし宿の情報だけでは、旅の情報としては不十分です。地域情報や周辺の観光情報、天気や交通アクセスなど多方面のリアルタイムの情報を結びつけて効果があるわけですが個人の旅館やホテルでそこまで取り組むには大変なエネルギー(費用または労力)が必要であり同じ地区でそれぞれ宿毎に行うのは無駄な事です。地域としてのホームページを作成し情報発信を行う必要があります。地方のお役所で行っているところもありますが、これ、まったく面白くないのです。やはり直接お客様に接している観光協会や旅館組合など観光関係者が行った方が少しは面白いでしょう。(公平、平等を考えていると必ずしもそのように行かない事がありますが・・)地方の観光関係団体や宿泊業関係団体のホームページには、先の情報を掲載するほかに、旅を提案するより積極的な姿勢でホームページを「運営する」必要があります。とかくパンフレットと同じ感覚で一度作ってしまえばそれでOKとなりがちですが、あくまでも日々情報を書き換える「運営」というスタンスで取り組まなければいけませんね!E-MAILを使ったお客様とのキャッチボールも行わなければ成りませんし、旅行専門誌の「るるぶ」や「まっぷる」みたいな感じも良いでしょう。この機能性は、まさしくニューメディアです。時には、遊び心も盛り込んで特集記事なんて言うのも良いですね。一見、旅とは関係ないファッションなどの情報が、旅への動機付けとも成り得ます。これからの夏企画、海水浴場の「水着ファッション」情報なんて・・おおっ素晴らしい!トランスネットさん「やど上手」でやってみませんか?なんなら全旅連の「宿ネット」でやっちゃおうかな?

その17・・夏商戦異常有り

○夏商戦異常有り・・ 7月に入り夏休みの空室状況は、例年ならお盆を中心におおよそ満室になっている筈が・・ガラガラ!我が社の場合、直受けのお客様が多いのでもともと発生が遅いのだが、それにしても異常な状態だ。7月の後半になってやっと部屋が埋まっていく。その殆どはインターネット予約。8月に入り直前の通常の電話予約が入りだしたものの8月16日で締めて見たところ、この時点での発生割合は、インターネット予約が7割を越えるという状態。(昨年の同時期では4割程度)お客様にしてみればこの不景気、少しでも安く家族旅行をする為に「ジャ○○」や「る○ぶ」等の旅行誌やエージェントなどいろんな媒体で宿を探したのだろうと推測される。電話での問い合わせも多いのだが、値段を聞いて「検討します。」と言ったきり後がない。どうやらインターネットで予約すれば割引が受けられると言う話が、お客様には、我々が思っている以上に広まっているようだ。現実にホームページを見て予約フォームに記入して送信する電子メール(E-mail)派と電話(フリーダイヤル)で予約してくる比率は、ほぼ4対6、電話派には、インターネット初心者が多いのだがこの電話派がこの夏、異常に多い。中間職のお父さんが家族に旅行をせがまれ宿を部下の手ほどきを受けながら探し、メールは、苦手なので電話で・・という絵が見えてくる。またお客様の客層もずいぶん幅広くなってきた。始めた頃の大学の研究室の方とか大手の企業のその筋(パソコンに明るい)からごく一般的な職業の方がここに来て俄然、多くなって来た。この調子で行けば、西暦2000年、インターネット人口が、1200万人を越えるという話、まんざら嘘でもないかも?ただし一般的になればなるほどトラブルの発生も多くなっているのも事実、当初まずなかったノーショウもこの夏、発生、直前のキャンセルも3件ほどあった。でもまあこれも対処方法を考えれば良いことなので、ここは素直にインターネットの底辺の拡大を喜ぶことにしましょう!

その18・・「宿ネット」繁盛記

(1998/10/01) 全旅連「宿ネット」、言わずと知れた全国旅館環境衛生同業組合連合会(加盟数2万7千軒)インターネット実施委員会のホームページ(http://www.yadonet.ne.jp)です。ご支援頂いているトランスネット社のホームページ「やど上手」と相互に番組情報をリンクしており、情報量は、他を俄然引き抜いて多い。5月のリニューアル以来、人気がうなぎ登りで9月30日現在で開設以来の延べアクセス数は、58万、最近の一日平均アクセス数は、3千以上と人気を博しています。一番人気は、「新鮮ピチピチ宿情報!」と言うコーナー。

このちょっとエッチっぽいネーミング故か、はたまた「やど上手」との相互リンクの為か?メニューページ以上(120%)にアクセスが有ります。このページの特徴は、リアルタイムで宿の情報を直接、旅館やホテルはたまた民宿やペンションの担当者が掲示板形式で書き込んでいる事にあり秋の「松茸食べ放題」宿泊企画とか「秋祭り情報」とか、まさに宿が発信する「新鮮ピチピチ!」の情報で溢れています。ジャンルや地域別等で宿を紹介するホームページは、検索サーバーで有名な「Yahoo」の全国版の温泉&宿泊情報を見るだけでも現在100サイト以上あります。各都道府県版の情報まで入れると恐らく1000サイトを越えるでしょう。

しかしその情報は、多くの場合、頑張ってるところでも年に1回程度のアンケートと宿のパンフレットから情報を得て更新している場合がほとんどで宿の自主運営のホームページでない限り「新鮮ピチピチ」とはいきません。多少「カビ臭い」情報となってもしかたないのです。基本的に文字情報に限られるとはいえハイパーテキスト(ホームページを書くための書式)など特別な知識を必要とせず宿のご主人が手軽に書き込めるこの「新鮮ピチピチ宿情報!」は、今後も人気が続きそうです。

⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒
   ★☆★☆ 【面白情報局】 ★☆★☆

その1.
全旅連ホームページ「宿ネット」上で「私の見つけた素敵な宿」というテーマでレポートの募集をやってます。先日第一回目が締め切られ10月から第2回目が始まりました。前回と同じく優秀作品には全国の有名旅館の無料宿泊券を選んで頂戴できるというプレゼントや特産品テレカがもらえます。書くのが嫌いな人が多いのか応募数が俄然少ないので当選率が高そうです。暇つぶしにチャレンジしてみては如何でしょうか?URLは、http://www.yadonet.ne.jp

その2.
同じく「宿ネット」上の「宿のQ&A」に下記のような書き込みがあり、あまりに面白かったので転載します。

【お客様】Q:ホテルのタオルは、だいたいに大きくて厚く・・そしてそのまま置いてあるけど旅館のタオルは、ビニールの袋に入っている場合が多いのは、何故でしょう??またバスタオルの置いてない旅館も多いですね?あれって不便なんですが、どうしてでしょうか?
【某旅館オーナー】A:結論 入浴文化とH文化の違いです。
温泉に浸かっている時、バスタオルを頭に乗せられますか?
手ぬぐいは頭に乗せやすいサイズなのです。そして額の汗を手に取っ手ぬぐうから「手拭い」なのです。
また、女性が裸を見られた時、中国人は足を隠し、日本人は性器を隠し、フランス人は胸を隠すといわれます。そう「手拭い」は性器を隠すのに必要十分な大きさなのです。だから旅雑誌の写真の様にバスタオルを巻いて入浴する事は避けて下さい。お願いです。

一方バスタオルを巻いてシャワールームから出てきた女性が、男性の待つベットに近づき、ハラリとバスタオルを落として、全裸を見せるシーンがよく映画に登場します。これが、性器を「手拭い」で押さえた状態だと滑稽でしょう?布団の敷かれた和室には、ちょっと乱れた浴衣姿が似合うのです。昔 吉田拓朗とう歌手が「浴衣の君はすすきのかんざしー」と歌っていました。旅の宿は浴衣と窓辺に垂らす「手拭い」絵に成るのです。

その19・・明日を予感させる宿のネットワーク

全旅連インターネット実施委員会は、平成8年9月に全国からパソコンの得意な16名のメンバーが集められ組織されました。結成以来、インターネットというメディアの可能性を探る実験的活動を行い、現在その主たる活動は、自主運営のホームページ「宿ネット」と電子会議室とも言うべきメーリングリストの運営に行き着きました。
ホームページは、宿関係者及び消費者参加型の形式で宿関係者は、地域やその宿の「新鮮ピチピチ宿情報!」をいつでも書き込める仕様になっており、また一般の方からの各種のお問い合せや宿に対する疑問に委員がお答えしその的を得た回答は、非常に好評を博しています。現在アクセス数は、70万を越えており宿関係のホームページとしてはメジャーな物となっています。

 しかし特に注目すべきは、このホームページではなくてメーリングリストの運営です。メーリングリストとは、E-mailの同報配信で登録メンバー内からのメールが、同時にメンバー全員に配送されるシステムです。このメーリングリストには、現在、宿関係者、約600名が登録されており、日々2名〜10名の登録がありますから今年度中に1000名を越えさらに時間とともに拡大していくことでしょう。
このメーリングリストでは仕入れ価格や各種のカード手数料、エレベーターの管理料等と言った事や公営宿舎の問題、インターネットに関する事、トラブルへの対処方法、地域の活性化の問題等などあらゆる宿泊業の問題について話し合われており非常に活発です。また登録は、開放的で全旅連会員に限らずホテル・民宿・ペンションなど宿泊業に携わるものなら誰でもOKとなっており、メンバーも若手が中心で過去の蟠りもなく未来を信じる若者達です。

 私は、この宿のネットワークこそ官僚的で錆び付いた複数の「○○連」等といった組織を越え業界の発展を担う、まったく新しいスタイルの組織?に成長していくと予感しています。このネットワークは、明日の宿泊業界発展の起爆剤になりうるのです。

 反面、このネットワークは、従来、宿泊業を商売の相手(喰いもの)にしていたところにとっては、脅威になりますね。力の強いところが多いだけに邪魔が入るかも知れません。

   ★☆★☆ 【面白情報局】 ★☆★☆

その1.準備完了、TV電話での予約問い合わせ!
このインターネットコーナーでご一緒しているエムストーンの藤原氏のお世話でTV電話を試用する機会を得ました。ワールドPCエキスポ”98で会場の幕張メッセと私や岡山市の国際観光旅館「丸一」の山下さん、有馬温泉の陶泉「御所坊」の金井君そして東京新宿のホテル「たてしな」の柳沢君をNTTのTV会議システムで結んでTVの同時多次元放送よろしく会場の大画面に映しながら各地の観光とホテルを紹介するという試みでしたが、これなかなか面白かったです。まるでTVの生番組に出ているようで緊張感があり少々疲れますが、いい経験をさせて頂きました。その後もこのメンバー間での普段の通信にこのTV電話を使用しているのですが、最初に大勢に見ていただく経験をしているのでその癖が抜けず、サービス精神が旺盛な性もあってアクションが不必要に大きくなり、やたら疲れるのです。TV電話(フェニックスミニ)のベルが鳴ると「さあ、本番!」なんて気になります。TV電話に家庭用ビデオを接続してスイッチで入力画面を切り替え、話題の進行に合わせて露天風呂の可愛い女の子の入浴風景など流す・レストランでの食事風景を超アップで流す・お部屋の中を見せる・・終わればまた自分の顔のアップに戻す、小さなテレビ局でも運営している気分でけっこうノリノリで楽しんでます。近い未来、お客様からの問い合わせには、パソコンでビデオ画像(DVD)を制御し、話題に合わせた画像を観て頂きながら質問にお答えする、そんな自分の姿を想像しています。(実は、すでに対応できてます・・ただTV電話でのお客様からの問い合わせが、まったく無いだけです・・ハハッハ)

     TV電話専用番号:0867-62-7070(冷やかし歓迎!)

その2.公営宿泊施設撤廃運動等の陳情システム
全国旅館政治連盟の公営宿泊施設対策本部長の針谷さんのアイデアでE-mailのアドレスを持つ国会議員の先生方に一斉に陳情を行えるシステムが出来ました。所在は、全旅連「宿ネット」(http://www.yadonet.ne.jp)の会員のページにあります。以下は、開設に伴う針谷さんからのメッセージです。

「公営宿泊施設対策本部長の針谷です。小生のインターネットの師匠 古林さんが 公営問題を国会議員にメールで陳情や質問するシステムをつくってくれました。我々対策本部の希望を叶え、あっという小生が理想とするものを作ってくれました。公営宿泊施設は 官の天下り組織になっており、官自らが廃止したり、縮小したりすることはありません。 従って、我々の要望を叶えようとしたら 政治の力しか解決できないのです。政治は『要求なきところに施策なし』と言います。このシステムを使って、全国の公営宿泊施設が如何に民業を圧迫しているか。 員外利用の実体。 等々我々の切なる声を国政に届け、真の民主主義を確立しようではありませんか。
21世紀の日本が公平で活力有る国家になるため、この問題は試金石のような存在です。一人一人の力は大したことがなくとも、それが集まれば、大きな政治的影響力をもつようになります。一人一人が行動しなければ、声を上げていかなければ、この問題は解決しません。どうか積極的な参加を御願い致します。」

その20・・年の初めの命拾い& 言うことを聞く可愛いパソコン!

1999年最初の投稿というのに実は、この原稿、病院のベッドの上で書いています。 14日深夜に突然気分が悪くなり冷や汗が吹き出し、その後トイレで大量出血、遠のく意識の中で非常ベル(シルバースターで設置)を押し救急車で緊急入院、内視鏡検査により十二指腸からの出血が発見され、そのまま内視鏡手術で止血。その後は両腕から点滴と輸血を行い九死に一生をえました。輸血した血液の量は、2.4リットル。医者の話に寄れば、もう30分担ぎ込まれるのは遅ければ出血によるショック死、本当にあちらの世界に行っていたそうです。内視鏡手術というハイテク医術により間一髪で救われました。入院生活も十日を迎えましたが人様の生き血を頂いたおかげでグングン元気になり、病室にセミノートのパソコンを持ち込んで軽い仕事が出来るようにまでなりました。

さてこれからが今回の話の本題です。病室に持ち込んだパソコンは、いつもはモバイルに使用しているセミノートの小さなパソコン(Thinkpad535)です。長文の原稿の打ち込みや一日に何十通も来るEメールへの返信など、この小さなキーボードでは面倒くさく間に合わせで使用するならともかく、大量の文書を本格的に処理するにはパソコンの能力としては不足はないもののキーボードの大きさに問題がありとても使う気になりませんでした。ところがこの小さなパソコンが音声入力システムを備えたおかげで立派な仕事に役だつものになりました。IBMの開発したViaVoiceという音声入力システムのおかげでこの小さなパソコンが十分役に立っているのです。ヘッドホンとマイクがセットされたヘッドセットをかぶってパソコンに話しかけ命令する姿は、なかなかカッコ良くて看護婦さんにも好評です。昨年の12月にシステムをインストールし固有名詞の登録や「なまり」の調教もそこそこ済んでおり十分実用的に使えます。特にインターネットのチャットの時などはすごい威力を発揮しますね。音声入力の為に特別な話し方をする必要はありませんが、それなりの練習は多少必要です。この一連の登録や調教?そして練習といったパソコン相手の作業が、いかにも人間的で次第に賢くなってくるパソコンによく訓練されたワンちゃん等のペットに寄せるような愛情にも似たものを感じ始めてます。 私のように手の不自由な方、極端にキーボードの苦手な方、どうかお試しあれ、これ本当にお奨めします。

その21・・ドックイヤーの世界で2年も待たせるなんてあんまりだよ!

VAL21 先日、無事退院いたしました。もうしばらく自宅療養かな?・と思ったら、トラベルニュースから突然の電子メール、「いつも原稿ありがとうございます。お身体の具合はいかがですか?古林さんが愛情込めて調教されている(ちょっとエッチな方向を想像してしまいますが…)音声入力システム搭載のノート型パソコンのご機嫌はいかがでしょうか?さて、またまた原稿の締め切りの迫ってまいりました。まことに恐縮ですが、2月26日(金)までによろしくお願いいたします。トラベルニュース社 編集部」・・「身体は、ぼちぼちだし、IBMのシンクパットもいい子にしてるけど・・フムフム・・ひぇ〜〜!原稿締切が二十六日?」と言うことは今日から3日後、見舞いの言葉もそこそこに情け容赦ない原稿催促、もっとも入院中にも原稿を書かしたすごい会社だからなぁ・・恨みつらつらの枕文で原稿枚数を水増しして、ここから本文。  インターネット上で仕掛けた種が芽吹き、育ち始めるのに二年ぐらい掛かるみたいですね?二年前に仕掛けた種が今まさに花を咲かせ実を付けようとしています。  左手にフライパン、右手に受話器を持って頑張っている若旦那、配膳から接待、布団敷きまで一人で頑張っている女将さん、深夜、やっと仕事を終えて二人の時間、でもまだ帳面が残っている。小さな宿でも事務処理は、大規模旅館と大差ないのです。コンピューターを導入すればずいぶん楽になるのだけど大旅館と違って売り上げに対する相対的なコストが高くなかなか導入に踏み切れない。しかしコンピューターさえ導入すれば売り上げの集計や経理が楽になり、それに要していた日に数時間の貴重な自由な時間が生まれる。その時間をつかってインターネットも始められる。ホームページで宣伝してE−mailで予約を受け、仲間達の経営相談のネットワークにも参加できる。  パソコンや周辺機器は、ずいぶん安くなった、パッケージの財務会計ソフトも安くなった。後は旅館専用のフロント会計システムだけ、これを我々で安く開発すればパソコンの導入が一気に進みインターネットにも接続してくれるに違いない。全国の多くの仲間がネットワークでつながればあらゆる仕組みが変わる、業界が変わる。  そんな思いで二年前に蒔いた種でした。わずか四万五千円で発売した「支配人君シリーズのフロント会計システム」、ロジックの部分は私や全旅連の仲間達で出し合い、開発と販売は、上の理念を全て理解してくれた上で潟gランスネットがやってくれました。ところがこのソフト、あまりに安すぎて、月に2・3本、ポツポツ程度しか売れないのです。私としては、「何故この思いが通じないのだろうか?」って感じでこの2年間が過ぎていったのです。ところが、ここに来て爆発です。最近、警告されている西暦2000年問題でパソコンの買い換え需要が高まるにつれ次の「フロント会計システムは、どこのシステムにすれば良いのか?価格は?性能は?」と多くの方がインターネットのメーリングリスト上で相談したのです。当然安くて良いものが欲しい。そこにポツポツ出ていた支配人君シリーズのユーザーが「あれ超安いけど十分使えますよ!」とか、他メーカとの比較も交えながら情報があちこちから寄せられたのです。ホームページに取り付けるカレンダー型の空室情報&予約システムもどうやら同じ動きになってきました。※ドック・イヤーと言われるインターネットの世界で2年間は、とても長い時間でしたが報われました。 【インターネット面白辞典】 ※ドック・イヤー 1.犬の1年は、人にとって7年に当たると言う意味。 2.目まぐるしく変化し進歩するインターネットの世界における時間の経過を言い表す。3.インターネットの世界で1年間何も行動しないと言う事は、人生において7年間を無駄に過ごしたと同じ意味にだそうです。

その22・・積極的にメールニュースを

Val22
本当の情報発信は、E−mailの活用です。 宿の仲間達だけで開催されているメーリングリストが あるのですが、最近その中の話題でインターネットに よる予約がどの程度有るのかと言うことが、よく上が っています。磐梯熱海温泉 紅葉館「きらくや」さん (村田英夫 社長)のところではホームページへの訪問 者の5%が宿泊予約に結びついているそうです。 「とにかくホームページのアクセスを増やすことが集 客に結びつく」と頑張っていらっしゃいます。 ・・・と言うことで今回は、「ホームページの開設を いかに集客に結びつけるか?」を考えてみます。  とにかくアクセスを増やさなければ話になりません が、いかに見栄えの良いホームページや動画なども取 り入れ技術的に凝ったホームページを作っても更新に 力を入れないとリピートで繰り返し訪れる人は少ない ものです。またホームページは、あくまでも受動的な ものです。従来なら検索サーバーへの登録や宿ネット の「新鮮ピチピチ宿情報」への投稿が積極的な取り組 みとされていますが、より積極的な告知の方法として メールニュースという能動的な手法をお勧めします。  まず最初は何が何でもホームページにアクセスさせ ます。と同時にプレゼントなど企画を開催し電子メー ルで応募を受け付けます。そしてその応募された電子 メールからアドレスを抽出しデータベースに蓄積しま す。魅力的なプレゼント企画で有れば数ヶ月の内に何 万人もの情報が得られるはずです。情報発信は、その 応募者のアドレスに向けて電子メールによるダイレク トメールを送るのです。その内容は単に宿の紹介だけ でなく「桜が咲きました。」とか「お祭りのご案内」 等と言った、地域情報の盛り込んだ内容にするのです。 写真で紹介したい部分などはホームページ上に作成し ておきアクセスしてもらいます。これにより電子メー ルの文字だけの情報ではなくビジュアルでもアピール できるわけです。これに要する費用は、ホームページ を自分で作成できる方で有れば0円です。チラシの印 刷代も切手代も不要です。宛名を書く必要もなく一瞬 にして何万の人に告知する事が可能です。そしてアー ルも不要です。 集客倍増・・ご健闘をお祈りします。     合掌

その23・・1998年インターネット予約の分析

九十八年度の決算が終わり経営分析をすすめています。売上高で対前年度97%と減少。旅館からプチホテルに転身して11年、常に右肩上がりで頑張ってきた中で、3%とはいえ初めての減少に少々ショックを受けています。さてインターネットを利用した集客もこの春で4年目を迎えました。もうすっかり日常的なものとして受け入れています。  昨年のインターネット予約は、集客方法別の比率で30%と前年の35%に比べ5%程度減少しています。ただし平日の稼働率が高くなる時期、夏休み、春休み期間等では、50%程度と高い率を示します。集客数は、組数で380組、人数は、約1100名。予約の方法として「E−mail」と「ホームページを見て電話で予約」の比率は、6対4。「ホームページを見て電話で予約」が意外に多いのは、フリーダイヤルで受けている為と思われます。また直前予約が多いのも理由の一つです。年齢層で一番多いのは、30台の男性、次いで20代の女性です。旅行形態としては、カップル、女性グループ、家族連れの順で多く最近ではシルバーのカップルのお客様も増えてきました。平均の一人当たり消費額(税込み)は、14000円程度と他の媒体を見てお越し頂いたお客様より5000円程度低いのですがこれは、20%offなど割引率を大きくした平日のお客様が多いためとインターネットでの売り物にB&Bの低価格プランを提案していることによります。

インターネットでの情報発信には制限が無いと言うのが私の口癖で実際、私のホームページでは何もかもすべてを掲載しているのですが、これはかえってご覧頂く側にとっては混乱を起こすだけであり、宿泊プランなどの情報については、ある程度、割り切りと絞り込みが必要と最近、考えるようになってきました。インターネットを集客の方法として考える場合も同じでインターネットは特定の宿泊プランの集客に向ける等、割り切ることが必要かも知れません。その方が思い切った特典を出せるので消費者にとっても有益であり、今後のインターネットの宿予約をより普及させる事になると思います。

−−−−−−−−− 面白情報局 −−−−−−−−−−
ホームページ「ネット626」の人気ページの「今日の露天風呂、入浴風景」で奇しくも私は、ただのスケベ親父であるという証明をしてしまうことになりました。前号の「ナベちゃんが行く」で暴露されましたので開き直りです。

        http://www.net626.co.jp/new.htm  是非ご覧下さい。

その24・・・魔法使いの時代は、終わった。

日経新聞の分析に寄れば、現在、日本におけるインターネット人口は、1千4百万人と言うことです。1995年11月WINの幕開けと同時に実質的に始まったというのが私の見解です。以来、わずか3年半の出来事です。ビデオやFAXの普及と比べても目を見張るモノがあります。チョット前までパソコンやましてインターネットを自由に扱える人間は、現代の「魔法使い」でした。おとぎ話のように魔法使いの力次第で国(会社)の繁栄が決まったのです。魔法使いは、もちろん特別扱いされました。呪文(専門用語)を唱える魔法使いは、時には尊まれ、時には恐れられ(嫌われ)てきました。しかし今やその魔法を誰もが使う時代になったのです。魔法使いは、もはや普通の人になりました。インターネットも同じように今やTVや電話と同じレベルの使われ方です。(扱えない人は、火を知らない原始人?はたまた文字を知らない古代人か?・・言い過ぎです・・haha)  気まぐれで始めたインターネット。ホンの少し、人様より始めたのが早かったばかりに、このコーナーの執筆までしてしまいました。振り返れば世間知らずにも「言いたい放題」恥ずかしき事ばかりです。最後にもう少し言わせて頂きます。  インターネットの世界にも表と裏の世界があります。表が公開されたホームページなら裏は、E-mailの世界です。今、裏の世界ではメーリングリストと言うネットワークが拡大し力を増しています。地域と組織を越えてリアルタイムでの連係プレイが可能となったのです。すでに伝説となったエレベーターの保守料値下げやクレジットカードの料率引き下げ等コストダウンの連携、エージェント対策等々。また最近ではデビットシステムの導入事例など・・。活発に全国の生きた情報がネットワーク上で交わされます。 上意下達でなく広い裾野の現場間のやり取りは、血の通ったものです。今後、このメーリングリストというネットワークが業界の未来を切り開いていく予感がします。ご年輩の方が居座る組織という巨大なピラミッドでなく・・(^^;)  さて最後もまた誰かに睨まれるような事を書いてしまいましたが、これをもちまして私のインターネット「よもやま話」を終わらせて頂きます。長らくお付き合い下さりありがとう御座いました。新しい神通力を得るため暫くチベットの山の中でも隠ろうかと思います。チベットに混浴の露天風呂は、有るかしら?皆さんとはまたメーリングリストの世界でお会いしましょう。チベットから「今日の露天風呂入浴風景」のネット放送を楽しみにして下さい。ではでは・・・(^o^)/~~~~~~~

ホームへ